経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

恵まれている。被害者ぶりたいだけ。

私はとても恵まれた環境にいる。厳しくも私のことを想ってくれる父、優しくいつも味方してくれる母。今は自立して家を出ているが、尊敬できる姉や兄もいる。祖母がアルコール依存症で毎晩父と怒鳴りあっていた時期もあるが、そんなことたいした不幸ではない。そもそも、母に祖母の介護を押し付けていた立場で、不幸だなんて言えるわけがない。

 中学時代は同学年の全員と会話できるほど、人付き合いが上手かった。人に優しくするのが苦じゃなかった(今考えれば「親切な自分」に酔っていただけかもしれないが)。高校に進学してからは人間関係は狭まったが、狭く深い人間関係の良さも知ることができた。

 それなのにうつ病になってしまった。こんなにも恵まれているのに。というか、これは本当にうつ病なのだろうか。自分で勝手にそう思い込んでいるだけではないだろうか。精神科の先生は、やってきた患者に対して「ただの怠惰ですね」なんて言えないだろう。だからうつ病と診断するしかなかっただけでは。

 そう思うほど、私は恵まれているのだ。周りには辛い環境に置かれた人がたくさんいる。

 例えば、中学時代の幼なじみ。彼女は病気を患っており、保健室登校の日があった。そんな日には、教室で彼女の陰口大会が始まることがあった。幼なじみは良く言えば素直、悪く言えば少々自分勝手で子供っぽいところがあった。私は「トイレに行く」と言って教室を出るようにしていた。誰の陰口も言わない自分に酔っていたから。クラスメイトたちの陰口を止められないのは、結局は我が身が一番可愛いからだ。

 例えば、高校で仲良くなった友人。母子家庭で、母親から虐待を受けている。家事を押し付けられ、暴言を吐かれ、学校で必要な書類すら用意してくれないことがあるらしい。それでもしっかり学校に通っている。対して私は恵まれた環境なのにも関わらず学校に通えず、もうすぐ退学する。

 私より不幸な人はごまんといる。というより、私は世界でトップクラスに恵まれた環境にいる人間だ。それなのにうつ病と診断された理由。それは、きっと被害者ぶっているだけだ。

 心配してほしい、自分を見てほしい、優しくしてほしい……浅ましく自分勝手な願いで、周りの人に迷惑をかけ、自分の人生すら棒に振った。いじめられているわけでも、虐待されているわけでも、悲劇的な出来事があったわけでもない。幸せな一般人が、ただただ被害者ぶりたいだけ。これじゃあ、本当に辛い思いをしている人を馬鹿にしているようなものだ。自分が気持ち悪い。こんな人間が生きていて申し訳ない。もしかしたらこの文章も、「こんな気持ちの私かわいそう」という意識から出てきているのかもしれない。もう自分が信じられない。

 ちゃんと前を向かなければいけない。私に苦しいと思う権利はない。私は恵まれた人間だ。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。何をもって恵まれているというのか・・・ぐるぐると考えながら読ませていただきました。あくまで想像でしかないのですが、ハッキリと理由は分からないけれど、ずっとどこか心が満たされない・埋まらない感覚を抱いてきたのではないかなと感じました。また、周囲のちょっとした変化や些細な感情の動きなどを察知しやすいことで常に休まらない状態が続いてしまっているのかもしれないなとも思いました。(全然違っていたらすみません)
文章を読んでいて、自分が感じる辛さや苦しさなどのマイナスな感情を理由をつけて否定することで何とか自分を保とうとしているように私は感じました。これまでのことが詳しく書かれているわけではありませんが、それが投稿者さんの生きる術というのでしょうか、そうしないといけない何かが投稿者さんの中にあるようなそんな感覚になりました。
全くそうじゃないという人もいるかもしれませんが、人は誰しもどこか打算的な気持ちを持ちながら生きている節はあると私は思っています。例えば人からどう見られているか気にしたり、他の人とは違う自分にちょっと酔いしれたり、別に恥ずかしいことではないと思いますし、むしろ自然なことなのではないかなと思います。「心配してほしい、自分を見てほしい、優しくしてほしい」という気持ちも、投稿者さんの中にあるこれまで出すことのできなかった思いが含まれているのではないでしょうか。
私自身もつい周りの人やことと比べ、自分なんて大したことないと思うこともありますがそれでも抱いている辛さや苦しさを一時的に誤魔化せることはできても消えることはないんですよね。そもそもそれぞれ抱えている辛さや苦しさは比べるものではないのかなと最近は思っています。
そう簡単に自分に対する考え方などを変えるのは難しい(変える必要はないかもですが)
ですが、もう少し自分の本当の気持ちに耳を傾けてあげてほしいなと勝手ながら思ってしまいました。直接誰かに自分の気持ちを話すとかはハードルが高いかもしれないので、死にトリにある「とりコミュ」という掲示板を活用してみてほしいです。良ければまた死にトリに参加してください。お待ちしています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございました。うまい表現がまだ浮かびませんが、あなたの心はとても正直に反応しているように思いました。同時に勝手ながら子どもの頃のあなたを想像してみました。子どもってわからないことがたくさんある一方で、実は多くのことを感じ取っています。例えば祖母さんと父親さんとの怒鳴り合いは内容そのものよりも感情や雰囲気を感じ取っていたのかなと想像しました。(ちなみに私は幼少期、兄に向って怒鳴っていた母の感情や威力はいまも感覚として残っています…)あなたは恵まれていると表現された家庭環境に育つ中で、正しい振る舞いや考え方、求められる“あなた像”を無意識に表現したり、演じたりしていたのかもしれないと私は想像しましたがいかがでしょうか?仮にあなたが少しでも何か心当たりがあるとしたら、子どもの頃から受け止められていないあなたが今もずっと心の中にいるのかもしれませんし、うつ病と診断されるくらい心がしんどくなっていたとしても不思議ではありません。多くの方が投稿してくださる経験談の中には、「何も嫌なことが無いのに涙があふれて生きているのが辛い」といった内容があります。読んでみると、どこか自分の意思や気持ちが置き去りにされたまま、家族や周囲のひとの正しさや希望が優先されて必死にそれに応えてきたら、キャパオーバーしてしまった…といった語りが少なからずあるので、あなたももしかしたら似ている部分があるのかも…そう思いました。○○と思われたいだけじゃないか…そう自分を責めるあなたがいるんですね。私も「今思えば、あれはただ周りにいい顔したかっただけじゃないか?!」って自分のことが浅ましく思うことがあります。自分を振り返ってみることは必要だと思いますが、もしもそれでしんどくなるのだとしたら、ひとりではなく誰かと振り返る方が良いのかもしれません。いまはSNSを使って匿名でお話できる窓口もありますので、そんなところへのアクセスもおすすめしたいです。繰り返しになりますが、あなたにしかわからない環境や雰囲気、受けてきたメッセージ、それに反応してきた自分…そんなあなたの心は自分で思っているよりも傷ついていて、苦しいと言っているのかもしれません。そしてそれは誰かと比べられるものではないように思うのです。「恵まれる」…この言葉を今までで一番深く考えさせられました。死にトリにはとりコミュなど他のコンテンツもありますので、またお待ちしています。

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