経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

『私』とは・家族が1番難しい

『私』とは

私は私であることがわからなくなります。
『私って何?私って誰?』
家にいるときが本当の私?会社にいる時が私??友達…知り合いといる時が本当…?いつも迷子です。
私はステキな友人を持った時期がありました。私もその人が大好きで、、いろいろ話しました。私は気持ちも自分もしっかりしていないので感情的になることが多々あり、友人はカウンセラーに話を聞いてもらったほうがよいと道を作ってくれました。ですが、受け入れられない私がいて、でもきっと病院に行けなんて他人に簡単には言えないことだと思うので友人には感謝を述べました。友人は今までに見たことのないタイプで刺激ももらいました、生きようとも思いました、だけどやっぱり他人です、私が煩わしくなったのでしょう、連絡もだんだんなくなりました。正直、頼る、甘えるが苦手な私は友人に無理をさせてしまったのだと思います。顔を合わせれば話はしますが、私から笑顔の仮面は外れません。誰ももう傷つけないために、笑っていなければ。

家族が1番難しい

狭いアパートに5人暮らし、共同生活。
アパートだから周りとも共同生活。
父は無関心、母はヒステリー、妹たちはダンマリ。母は年に2、3回酷いヒステリーを起こします。頭に血が昇っているので誰の話も聞きません。触らないのが1番と思っている家族は放ってますが、扉を勢いよく閉めたり、騒いだり、近所迷惑甚だしい母を放っておいてよいのか、、私は心がすり減っているのを実感しながらどうにかしようとしてしまいます。甘いんだと重々承知の上です。でも、何を言っても無駄、無駄だと思ってもどうにかしなきゃが先にきてしまうのが悲しいです。昔から機嫌取りをしていた自分が馬鹿馬鹿しい。いい加減良い歳なので自立して出ていけばよい、が、世間一般の意見だと思います。ですが、お恥ずかしいことにお金がありません、そうなるとここで生きていくにはある程度我慢しなければならないのだと言い聞かせています。いっそ死んでしまったほうが、と何回も何回も考えています、これを打っている今もその気持ちは変わりません。夢は早く死ぬことです。私が死んだら少しでも何かが変わるのか、母にわからせることができるのか…そんな悲しい希望しか持てず今も生きています。

感想1

「私」について、私も考えることが何度もあります。
ひとりでいる時の私と本音を話せるひとといる時の私、会社にいるときの私…もしかしたら役割を持ったり、背負ったりするとひとりでいる時の私ではない私が出てくるのかな?と思ったりもします。「私から笑顔の仮面は外れない。笑っていなければ。」とありました。仮面と表現するくらいなので、もしかしたら友人とのことだけではなくて、家庭でも…と想いながら読み進めました。5人でアパートに共同生活という環境を想像すると、物理的な距離が近いと思いますから、例えばお母さんが感情的になっても精神的な距離を保つにも限界がありそうで、相当しんどいことでしょう。最初に出てきた「私」でいうと、家の中のあなたはどんな私ですか?経験談の中で昔から機嫌取りをしていたと書かれていましたね。きっと他のご家族の表情や発言、行動を敏感に感じとって、少しでも家庭の中が平和であるようにバランスを保つ役割でいたのではないかなと想像しました。(感想を書いている私は母が突然感情的になるタイプで顔色を見ていたので勝手に同じような感じかな…と思って読んでいました)いまの状況から抜け出したいですよね…。それはそう思って当然だと思います。夢は早く死ぬことだと思うくらいですから、相当に苦しい毎日なんでしょうし、ほとんど周囲のひとはそれに気づいていなさそうです。経済的に家を出ることが難しいという状況だということですが、家から出ることを誰にも相談した経験はないでしょうか。経済的なことも含めて方法があるかもしれませんので、匿名の相談窓口で一度お話してみませんか?最近はSNSなど家にいても相談できる方法があります。良かったらサイトを見て検討してみてくださいね。家を出ることでなくても、死にたいほど苦しい気持ちからお話してみて欲しいと思います。
「まもろうよこころ」https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/
それと本当の「私」について、また死にトリに来てお話してみませんか?24時間投稿できる「とりコミュ」というコンテンツもありますので、参加お待ちしています。「私」というテーマ、とても深いですね…。

感想2

二つの経験談の一つからは自分自身の心の中を中心に、もう一つからは生活の状況を中心に、それぞれ投稿者さんがつらいと感じていることの違う側面からの声を聞かせてもらいました。
一つ目の『私って何?私って誰?』という問いがあるように、人はとても多面的な存在なのだな、と読んでいて改めて感じます。

「家にいるときが本当の私?会社にいる時が私??友達…知り合いといる時が本当…?」という問いかけには、どれも本当(だけど、全てではない)なのかなと思いました。
でも、投稿者さんが迷子になるのは、もしかしたら、だれかと関わる時に無理をして苦しくなることがあるからなのかな、と想像しました。いつも無理をすることに慣れていると、無理をしない自分でいる方法がわからなくなることもあると思います。

家族との関わり、仕事や友達との関わり…その中で、投稿者さんは「自分がこうしたいから、こうする」と行動を選べる機会が少なかったのかもしれないと思いました。
生活圏内では多くの人が生活していて、その中で安心して過ごすことがむずかしいと、気を抜くタイミングが持てないかもしれません。
家と職場の他に、投稿者さんが過ごせる場所はあるでしょうか。
それは特別な場所でなくても、公園や公共施設でと、布団の中でも、あるいはインターネット上でも、どこでもいいと思うのですが、投稿者さんが周りの人をあまり意識せず、安全を感じながらゆっくり過ごせる場所があればいいなと思いました。
もしかすると、友人がすすめたというカウンセリングという選択肢も、家や職場から少し離れた場所に行く、という意味もあったのかも?と想像しました。
日本ではハードルが高いイメージがあるかもしれないですが、そういえば、欧米ではカウンセリングをごく一般的なセルフケアの方法として多くの人が気軽に活用していると聞いたことがあります。
また、死にトリもとりコミュ(掲示板)などがありますので、よかったら使ってみてください。

お返事1

この度は読んでいただき本当にありがとうございました。
お二方のご感想は私の見えない、見ようとしない視点からのご意見でじっくり読ませていただきました。きっと友人は私のことを考えてくれていたんだろうな、難しい、無理と決めつけて家を出る手段も諦めていたんだ…等考えさせられました。

30年空気を読み続け私がわからなくなった私でとてもネガティブ人間ですが、何か、良い方に向かうことを考えてみたいと思います。
いろいろと時間はかかるかもしれませんが、死にトリがあると思うと少し心強いです。

貴重な時間をありがとうございました。

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