経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分を救わない

ここを見ている皆さんなら分かるだろうが我々が抱える苦しみは理解され難くまた解決が困難で傍から見れば何事もないかのように扱われることも少なくないだろう。私も例外なくそうだった。幼い頃から言葉にできない息苦しさがあった。ぼんやりとしている。

転機は12の頃の春だったはずだ。記憶が正しければ。地方の某進学校に入学し新たな交流が増えた年、自分の中の違和感に名前があることを知った。

「毒親」「虐待」「性虐待」「搾取子」「発達障害」「モラハラ」

ぼんやりとした苦しみに名前がついて、突然信じていたものが一瞬で消えた。足場がなくなってどこまでも落ちていくような、絶望という言葉がこれほどぴったりな経験を私は知らない。「微妙に違うもの」がかちりと音をたてた。まるで回らなかった鍵があっさり開いてしまった、そんな感じだった。

その日から関連記事やブログを読み漁った。図書館に入り浸って片っ端から心理学、哲学、倫理、実用書。絶望で終わりたくない。対抗するための手段を、答えを必死で探した。一月もしたら自分の置かれている状況を知り、己が社会的に無力であることにまた絶望した。

「両親は毒親であり、私は虐待を受けている。両親の世間体のために一切の権利を奪われ利用されている。なお祖父母は非常に差別的な感覚を持っており現状を黙認。」

「外部の未成年保護に関する機関は緊急性がないと頼れない。悪化の危険大。」

「家庭内で起きていることは犯罪だが通報しても嘘扱いされて状況悪化する可能性がある」

賢くない私にでもわかる答えだった。

「現時点でこいつらの子供である自分に対抗手段はなく助けはない。死ぬまで、というか死んでも関係は消えないし開放されない。そして時間をかけても己に主導権はなく恐らく社会的に守られることもない。他人を害して生き残る。要するに加害者が得をして被害者が泣き寝入りするしかない。それを大多数が容認している。都合がいいから」

たったそれだけのことだった。

大人になった今では不思議なのだが所謂若さという奴で、当時の自分は何故かそこで

「よっしゃ。じゃあ大人全員利用して文句言えないくらい有能になって敵全員社会的に潰したろ。年老いてから痛い目あわせて土下座させて頭踏んづけてやる。若いころの失敗より大人になってからの失敗のがきっついしな」くらい性格が悪い決定をしたのだ。実行できたら胸スカものである。ここから自殺未遂、閉鎖病棟入院、更なる絶望のセカンドライフの三連コンボを決める崩壊への一歩を歩んでしまった訳だが正直自業自得でしかない。スタート地点がマイナスなのに圧倒的パワーゲームに身を投じたようなものだ。要は負け戦。学生だった頃の生活を書いてみると

0445起床 父親に起こされ効果のない体力測定をやらされる。記録が悪いとボディーブローを食らう

0620朝練終了 シャワー朝食着替え支度を終わらせる

0650家を出る。通学中は勉強。

1600課業、部活終了。自主学習のちに帰宅。そのまま習い事へ。

2100習い事終了。着替えて自室に避難。

2330親が監視にくる。勉強してないと殴られる。

2400消灯

なおこれは比較的平穏な日の場合である。兄弟の不在、母親の不在、または休日なんかは一日勉強と称して自室にこもるか、父親の趣味仲間と遊び(と称した接待)か、父の相手だった。毎日クソだなとか同級生と愚痴りあいながら平気な顔をしていられたのは親族への殺意と鮮明な怒りがあったからだ。青春なんてとても呼べない時間を、繋ぎとめていたのは紛れもなく負の感情で、それをギリギリまで支えたのは若さ故の体力だった。毎日両親に罵られ殴られ時には木刀で痣ができない程度に痛めつけられて、一番じゃないと許されなくて、穢されて、誰にも認められなくて。それでも折れなかった15の私は確かに正しかったのだろう。今の私よりずっと強くて価値があったのだ。今でも、そう思う。

でも続かなかった。ある日の朝、起きようとして自覚する。

体が鉛みたい。動かない。

経験者ならお気づきだろう。そう。鬱状態である。そこから転落するのに時間はかからなかった。あんなに長かった一日が一瞬で過ぎていき当然成績は最底辺に。冬に帰ってきた考査結果は初めて見る低い点数で教師のしかめっ面と無言の時間で確信した。

「あ、人生終わった」と。

一番恐れていた鬱という抵抗できないステータス異常に挽回の余地のない考査の結果、教師に見限られた事実。あっという間になくなる時間。計画がだめになった。この状態であいつらを圧倒なんて無理だ。同時期に成績が良いからという理由でいじめられていたこともあって加害者達が何食わぬ顔でいるのに気分が酷く落ち込んだ。認知機能が低下しているので日常的にあり得ないくらいのイージーミスを連発するのは当たり前、色が認知できない、文字が認識できない、言葉が聞き取れない(音は聞こえている)味覚障害に失禁、他にもあったが一番困ったのは「自分の感じているあらゆるものが嘘に感じる」ことだった。ここまできたら休むという選択肢が出てくる。が私には休むことなど許されなかった。

「成績の悪いお前に人権なんてない」「精神が未熟だからこうなる。背も伸びない」「お前にいくらかけたと思ってんだ」「養育費全額返せ」「公務員以外認めない」「しねばいいのに」「金も稼いでこない分際で食う飯は美味いか?」

親への殺意が自分に向くようになって毎日言葉が頭を支配した。

「こいつらを殺せないなら自分が死ぬしかない」

「こいつと分籍しても血は繋がっている」

「こいつにそっくりな自分が嫌いだ」

「なんで」

高校卒業あたりから公務員になって現在に至るまでかなり記憶が飛んでいる。研修中にぶっ倒れて死にかけたり、ストレスで激やせして生理が止まらなくなったり、同僚から性暴力被害にあったり金銭を取られたり退職させられたり、分籍して書類上は両親と他人になったり、前述のとおり自殺未遂で閉鎖病棟に入院したりとなかなか忙しかったはずなのだがほとんど覚えていない。嫌になるほど見た書類の様式も上司同僚の顔も名前も忘れた。言われた暴言やセクハラ発言の一部しか覚えていない。忘れっぽさは通院を始めて投薬が始まってからも改善されなかった。ずるずると死に損ねてもう気づいたらいい年した大人である。

こうなった言い訳ならいくらでもできる。好きなものより嫌いなものばかりになったこと。何度死のうと思ってもできなかったこと。子供と写真と鏡が苦手なこと。発達障害グレーだから。病気だから。親が。

そういう事を言うと決まって飛んでくる言葉に何回も傷ついている。いつまでも嫌いな奴らの言葉に思考を邪魔され続けている。眠りを妨げられて、夢でさえ土足で荒らされる。救いを求めて読み始めた本ですら俺を否定する。親もまた被害者です許せば心が楽になりますみたいなことが書かれた本や記事を見たときは「うっせえわ」と流行りの曲が頭に浮かんだ。

誰かにとってそれは正解なのかもしれない。だけどそれは俺の答えじゃない。啓発本によくある今までの環境や関わった人に感謝しましょう、なんてのも無理な話だ。本当に誰もいなかったから。もしかしたら誰か気にかけてくれていたのかもしれないし助けようとしてくれたのかもしれないが残念ながら俺には分からなかった。その難しさも知っているけれど、可能性は限りなく低いと思う。言葉の端々に「厄介だ」という態度が滲んでいたから。俺の周りにいた人はそうだった。自分の思い通りに他人に「はい」と言わせ慣れた奴ばかりが。どこにでもいる、最低な奴が。

ここまで要約すると「虐待されて仕返しするはずが鬱になったうえにクソみたいな大人になったよ」の一文で終わる。そんだけ?と思うかもしれないが本当にそんだけである。今のところ感動的な出会いも衝撃的な経験も何もない。貯金とメンタルを減らしながら生きている。処方箋のお陰で無害そうな一般人に擬態して最近バイトも始めた。でも昔みたいに無理できないな、とまた言い訳しながらのらりくらりやっている。お局や年下のバイトリーダーに嫌味や「頭おかしい」と言われながら高くない賃金で働く。どうせあとの人生消化試合だ。何も積み上げられなかった無能だ。どうせ自分の過去も名前も何もかもを呪うのをやめられない。欲しいものは何も手に入らない。穏やかな最期なんてのも望めないだろう。時間が経って薄れてく傷と同じで、どうしようもないのだ。理由はわからないが嘘をつけないのも。それでも苦しみに名前をつけてくれた言葉を知って良かったと思う。知らなければいけないことだったと、本当に思う。それで救われるわけではないけれど。

感想1

貴重な経験談の執筆ありがとうございます。
社会に重大な課題があって、自分もその犠牲を被っている一人であることを理解して、ゆえに絶望していたのだろうと伝わりました。おそらくこの社会では全ての人が多かれ少なかれ犠牲になっているけど、その程度にばらつきがあり、実感や理解の具合も異なりそうです。一人一人の固有の経験をお互いに知ることは、私たち皆で社会の課題を理解するための鍵になると思っています。
あなたが絶望したときに、その絶望や背景について、話し合える人たちがいたとしたら、それからの発想や行動はまた違ったのかもしれないと思いました。でも、暴力や支配を受けているにもかかわらず、それが第三者に知られたら被害が大きくなるかもしれない(だから助けを求められない)という現状は確かにあり、本当に絶望的なことだと思います。
ここに書かれていたような「権利を奪われ利用されている」という主張は、聞き逃されてはならないし、周りの人がそれを否認したとしても、とにかく本人がそう思っていることには変わりないので、権利を回復できるように、第三者の大人が手伝う必要があると思います。
そして現在も、あなたの健康的で安全な生活を営む権利が守られているのか、疑問に思いました。
これまでにあなたの権利を侵害した人たちと一切関わらずに済む環境で、生活を再スタートする権利があると思います。そのような選択肢について一緒に考え、手伝ってくれる人はいますか?もし見当たらなければ、死にトリを通してできることを考えることもできるので、連絡いただけたらと思います。
あなたの絶望が薄れて、穏やかな時間を過ごせる日が訪れてほしいと、勝手ながら思っています。そして、絶望ばかりではない社会になるよう、一緒に少しずつ理解を広げていけたらなと思います。

感想2

自分の経験していることやその中での違和感に名前がつき、社会的な言葉で表現できることを知った過程を教えてくださりありがとうございます。他人が勝手なことを言うのも憚られますが、書かれているスケジュールを見て率直に過酷だと感じました。うつ状態になるのも、生きることを否定したくなるのも、なんら不自然ではないと思います。

「誰かにとってそれは正解なのかもしれない。だけどそれは俺の答えじゃない」と書かれていて、その通りだと思うと同時に、投稿者さんは長らく「答え」を探しているのだろうかと想像しました。
文章の中には、これまでのエピソードがとてもわかりやすく書かれていました。それは、なにが正解なのか探しながら、幼少期からの経験を投稿者さんは何度も反芻したり、整理したりしてきていたからかもしれないと思いました。考え続けて、どういうことだったのか、自分になにが起きていたのか、そして起きているのかを理解しようとしてこられたのだろうかと想像しています。(見当違いでしたら、すみません)

苦しみに名前がついたからといって、その名前ですべてが表せるかというと、そんなこともまたないのだろうと思います。投稿者さんがインターネットや本から学んだ言葉は、投稿者さんのすべてを表してはくれないだろうと想像しました。
ただ、その言葉があるからこそ、そしてこのように経験談として伝えてくださったからこそ、その状況を少しでも教えてもらえたことに感謝します。

お返事1

体験談を読んでいただきありがとうございます。また感想もありがとうございます。
今では大嫌いな実家を飛び出し、1人で生活しています。
1人になっても後遺症らしきものに悩まされる日々。後悔しない日はありません。
昔から答えを探しています。今でもそうです。最近は音楽でそれを見つけてまた次を探しています。
「比較症候群(葵木ゴウ)」「地獄に落ちる(カンザキイオリ)」「偶像(カンザキイオリ)」「うみなおし(MARETU)」「失敗作少女(かいりきベア)」「自傷無色(ササノマリイ)」「不死蝶(Mili)」
是非聴いてみてください。

私の文章が誰かのためのヒントになれば幸いです。貴方の答えが見つかりますように。

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