経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私の生きづらさ

私は今、日常生活を送る上で、環境にも人にも恵まれていると思います。でも、どこかで「早く消えて楽になりたい」とも思っています。

私の家は、両親と兄、姉の5人家族でしたが、小学生の時に両親が離婚し、父が家を出ていきました。元々母は、私が生まれる前から躁鬱病だったようですが、離婚してから症状がひどくなっていきました。薬を大量に飲んで倒れたり、カッとなって包丁を持ち出したり、意識が朦朧とするなか行動して部屋中を汚したり。私はそんな母が嫌で、兄姉ともそれほど仲が良くなかった事もあり、家庭での楽しかった思い出はほとんどありません。

同じ時期に学校では、友達に無視されるようになりました。暴力等は無く、ただ無視されるだけでしたが、一人で過ごす時間はとてもつらかったです。この無視されるという経験は、高校生になるまでに3回ほど繰り返されました。

この頃から私は、人に嫌われたり、相手の機嫌を損ねたりするのを恐れるようになりました。「友達に気に入られないとまた無視される」「母を怒らせたら殺されるかも」と、常に相手の顔色をうかがって過ごしていました。今感じている生きづらさは、ここから始まったように思います。

高校生になってからは、優しい友達と明るいクラスの中で3年間過ごしました。今思えば、何も不安に感じる事はなかったはずなのに、楽しかった印象はあまりありません。それはきっと、「またいつ誰に嫌われるか分からない」とビクビクして、人に気を遣って生きることが当たり前になっていたからだと思います。もっと楽に過ごせたら、と今でもたまに後悔します。

社会人になってからは兄姉との仲も良くなり、会社では優しい同僚、先輩後輩に出会いました。結婚もして、もうすぐ一緒に住み始めるというタイミングで、母が倒れました。私が放った一言で自殺未遂をしたからです。私はその場にいましたが、母を止めることが出来ませんでした。母は脳に障害が残り、一人で動くことも喋ることも出来なくなりました。そんな母が最後に言った言葉は「◯◯ちゃん、助けて」でした。後から知った話ですが、母は親戚のおばさんに、子ども達は3人とも可愛いけど、私が一番可愛いと話していたようです。

その後、ありがたいことに母のお世話をしてくれる施設が見つかり、たまに会いに行くのですが、会う度に心が苦しくなります。私を大切に思ってくれていたこと、それなのに十分に親孝行出来ないままこうなってしまったこと等、色々な事を考えます。大人になってからよく考えてみると、母はとても優しい人であることに気付きました。怒ったところを見たことがありません。母が怒るのは、子ども達の事を悪く言われた時だけのようです。子どもの頃の私はそれに甘えて、母にひどい事をたくさん言っていました。それを思い出すと、苦しい気持ちがより強くなります。

その出来事があってから、私は死にたいと思うことが増えました。実際に死のうとする事はありません。本当は様々な不安から解放されて楽になりたいだけなので、痛い思いや苦しい思いをして死ぬという事は出来ないのです。ただ、生きている限り不安から逃れることは出来ないので、あぁ早く消えてしまいたい、と思うのです。現在、心療内科にお世話になっていますが、この思いは変わっていません。

将来やりたいことや希望等はありません。人に迷惑をかけたくないし、嫌われたくもないです。結婚はしたものの、子どもが欲しいとも思えません。自分の体調が悪くなっても、別にどうでもいいや、という感じです。

始めにも書きましたが、私は環境にも人にも恵まれています。仕事があり、信頼できる友人が数人いて、頼りになる兄姉もいます。なのに、ずっとどこかで生きづらさを感じています。なぜこんな風に感じるのかも分かりません。こんなに恵まれているはずなのになぜ?と思います。いくら楽しい出来事があっても、やっぱり早く消えたいのです。

長々と書いてしまいましたが、読んでいただけると嬉しいです。

感想1

母親さんの自殺未遂について読んで、あなたが考えている色々なこと、思い出すことについてすごく考えていました。この文章でしかあなたのことがわからない私が簡単に想像できるものではないとも思いながらも、文章を何度も読んでいました。死にたいと思うことが増えたこと、死にたいのは様々な不安から解放されて楽になりたいからだと書いてくれていたので、母親さんの出来事は今のあなたが不安を感じる要素として大きいものになったからなのかなと勝手に考えていました。

恵まれていることと、消えたいと思うことや生きづらさを感じることは共存しうることなのではないかなと思っています。恵まれていない人だけが「消えたい」と思う権利があるわけじゃないですし、矛盾した感情や感覚を持つことも人間らしいように思うからです。また、私自身、ひどく傷つくような経験は無く、困ったときには誰かに相談できるような環境にいたため、恵まれていると表現してもおかしくない環境で育ちました。でも、「ああ、生きるのやめたい」と思うときがあります。私の感覚を正当化したいための考えかもしれませんが、でもやっぱりそれでもいいのかなと思っています。

感想2

経験談を読ませていただきました。
小学生の頃から、友達や母親さんの感情や言動といった、あなたがコントロールできることではないことを常に考えなければいけない状態だったのだろうと思いました。

母親さんの躁鬱病の症状を、幼い頃から側で見てきたあなたにとっては、それが大変なこと、というよりは、日常的なこと、嫌だけど仕方ないこと、という感覚だったのかなと想像しました。

「友達に気に入られないとまた無視される」「母を怒らせたら殺されるかも」と不安に思うのは、ごく自然なことだと思いました。無視されたり殺されたりするリスクから身を守るために、感情や感覚が鋭く研ぎ澄まされ、また、他人に気を遣ううちに(気を遣うために)、さらに鋭くなっていったのかなと考えました。

経験談では、不安やつらさといった感情面の困ったことを主に書かれていたように私は感じましたが、もう少し物理的な面(衣食住や睡眠、勉強、身体の健康などをイメージしています)で困ったこともあってもおかしくないな、と想像しました。

また、経験談を通して、「環境が整えば、自分はもっと楽に、楽しく過ごせるのではないか」というふうに多少期待していた(いる)面もあったのだろうか、と思いました。でも、実際それが叶えられることへの後ろめたさのようなものも感じました。

「◯◯ちゃん、助けて」という言葉からは、母親さんにとってあなたが頼りになる・支えになるような存在だったのだろうと想像させられました。
大人になってから母親さんの優しさに気づいた、ということから、あなたは母親さんの優しさを受け取っていたのだなと思い、そのことが母親さんの支えになっていたのかもしれない、と勝手に考えています。大切に思える存在がいることは、それだけでも支えになることだと、私は思います。

母親さんの優しさに甘えて、ひどい事をたくさん言ってしまった、と書かれてありました。それは、発言だけを見ればひどかったのかもしれないけど、当時のあなたなりに精一杯、母親さんと支え合いながら生きていこうとしていた中で、そのように言うしかなかったのではないか、と私には思えました。

始めに書かせてもらった「あなたがコントロールできることではないことを常に考えなければいけない状態」が、今ではデフォルトになっていて、周りに不安を煽る直接の原因がなくても、そのような考え方をする習慣が付いてしまっているのかな、と思いました。

他の人にどう思われるか、どうすれば迷惑にならないか、嫌われないか、といったことについてたくさん考えていたら、自分自身について興味を持って考える余裕はあまりないのかもしれないし、「別にどうでもいいや、という感じ」なのかなと思いました。

ただ、自分自身のことを「どうでもいいや」と感じていそうな一方で、「自分はどうしてこんなふうに生きづらさを感じるのだろう?」ということを考えたい気持ちも伝わってくるように感じました。

その問いに、一人で向き合うのがしんどい時などは、死にトリの「ここチャット」で色々な生きづらさを感じている人と話してみたり、他の人が書いた経験談に触れたりしてもらうのも一つなのかな、と思いました。

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