経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

希死念慮

小さい頃からずっと死にたい。今も死にたいけど、自分で死ぬのは怖い 死に損ないだから今も生きてる。
実家暮らしの時は家族と一緒にいるのが辛かった。毎日母の愚痴を聞かされ、機嫌が悪いと八つ当たりされた。父と喧嘩すると家を飛び出してどこかに行ってしまうので、毎日機嫌を損ねないように顔色を窺ってた。
学校にも居場所がなく、どこにいても辛かった。早く自立したかった。自立すれば変わると思ってた。

でも一人暮らししてからも辛いことの方が多くて、病気で働けないし夢も挫折して、何もやりたいことが無い。好きなことはあるけど仕事にしたいかというと微妙だ。自分にできることがわからない。何もできないのに生きていていいのだろうかと思う。十年後も同じことをしているなら死んだ方がマシだと思う。

自立する前に考えてた人生設計とは随分違うものになってしまった。この先もっと状況が悪くなることは目に見えてるし、きっといいことはない。期待するだけ無駄だし、早くいなくなりたい。誰かに殺めてほしい。

自分も他人も嫌なところばかり見えてきて好きになれない。他人と関わるのは怖い。どうして皆友達増やしたり恋愛できるのか理解できない。どうせ離れていくのになぜ一緒にいるのかわからない。昔から容姿のことでからかわれてきたから、女であることに劣等感があるし、見た目のいい人しか幸せになれないと思ってる。

絶望することがたくさんあるのに、どうやって前向きに生きていけばいいのかわからない。本当は差別してるのに、綺麗事を並べる上辺だけの言葉にはうんざりだ。結局は自分が一番大切なのに、見え透いた嘘をつく。人の嫌なところばかり見てきたから、今更いいところなど見つけられない。人も自分も大嫌いだ。なぜ生まれてきたのかわからない。

感想1

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。
様々なことに絶望しながら生きていて、前を向くなんて想像もできないような心情なのだろうと考えました。
実家にいたときは、両親の機嫌を損ねないようにすることが一番重要だったのかなと思うと、常に緊張した状態で過ごさねばならなかったのではないかなと想像します。それなら居場所がないように感じて当然だし、学校にも居場所がなかったとなると閉塞感が強かったのではないかなと思いました。

「結局は自分が一番大切なのに、見え透いた嘘をつく」という文がありました。おおよそ、人間は自分のことが一番大切であるのは間違っていなさそうだなあと感覚的に思いました。私自身は、他人も、自分のことも大嫌いでもいいと思いますし、無理に好きになろうとする必要もないと考えています。

もしかしたら、投稿者さんとしてはもっと「できる」人間でありたいという意識があるのだろうかと想像しました。現時点ではこの世で生きるための「要件」を満たしていないような感覚があるのかなというか……。ですが、こういったことを考えていると、それならば果たして誰がこの世界で生き残れるのだろうか?と思ってしまいます。だから、こういうことを考えた最後にはみんな生きていてもいいのでは?という結論に落ち着くことが多いです。

自分がなぜ生まれてきたのかということは、私にもわからず、もしかしたらたいした意味はないのかもしれません。もしあるとすれば意味づけはその人次第なのかもしれないなと感じています。
……などと文章を読んで考えを巡らせていました。投稿者さんは私の考えについてどう感じるのかなあと気になったりしています。もしよかったら聞かせていただければなと思いました。

感想2

子どもの頃から、何も非の無いあなたが家でも学校でも辛い思いをして過ごさないといけなかったこと、ずっと死にたかったことを知り、この社会では「子どもは家で家族と一緒に過ごして、学校で同級生と一緒に学んで、成長して自立しないといけない」みたいな暗黙のルールがあるような気がして、それがたくさんの人を死にたくなるほど苦しめているのではないか、という考えが私の中に出てきました。もはや今の社会の「家族」や「学校」は、生きることを保障してくれる安全なシステムではないなと、あなたの経験談や、他の人たちの経験談を読んで考えています。

「早く自立したかった。」という思いは、あなたの希望や願望というよりも、焦り、救い、解放と言った方が近かったのかなとイメージしました。実際にあなたの思い描いていた「自立」が、辛さからの解放にはならなくても、そう信じなければ、辛さに耐えて生きていくことが困難だったのではないかと考えています。
一人暮らしになれば変わると思っていたのに…という落胆、失望のような気持ちになったのかなと想像します。

「自分にできることがわからない。」という一文からは、「人の役に立つことをしていないといけない(生きている価値、資格がない)」という思いがあるのだろうかと考えました。それは子どもの頃から親の顔色を窺う(=自分を差し置いて他人のことを気遣う)経験を重ねてきたことも背景にあるのかなと勝手に推測しています。

あなたの経験談で「自立」という言葉に触れて、死にトリで行った、こえサーチ第4弾「自立・自立の土台」に関するニーズ調査を思い出しました。(よければサイトで報告を見ていただければと思います。)そのニーズ調査では、自立の土台として、4つの項目があるという考え方をしています(衣食住に困らない状態、こころとからだが脅かされない状態、居場所があり社会貢献ができる状態、自分のことを自分で決められる状態)。そして、現実の社会では、これらの自立の土台が、子どもの権利として保障されないまま、一定の年齢になると「自立」を求められるのではないか、という問題意識がありました。これらについて、もし機会があれば、あなたの考えを聞いてみたいと思いました。

「他人と関わるのは怖い」という気持ちには、個人的に、共感を覚えました。私は、人が怖いので、避けて避けて孤立してしまうことが多いです…。
「期待するだけ無駄だし」「絶望することがたくさん」と書かれていて、私は今の世の中でそう感じるのは尤もだと思います。期待すること、希望することには、エネルギーが要るし、なかなか疲れることだと感じます。なので、責めて今のところは、期待できない、希望は持てない、ということを率直に語り合えることが必要なのではないかと考えています。
今回ここで、そうした思いを発信してもらい、私は勝手に仲間を一人見つけたような気持ちになりました。経験談を送っていただきありがとうございました。

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