経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

記録(手紙の形式による)

○○ へ

お久しぶりです。お元気ですか?
私は元気です。嘘です。食欲が落ちています。食べられないと痩せてしまい、痩せると体調が崩れるので困ります。

私がどんな治療を受けているのか、詳しく話したことはありませんでしたね。私は今、(中略) を繰り返し…詳しく話すとキリがないのでやめておきますね。

この治療を半年程、その前に精神科外来に11ヶ月くらい通っていたので、先生には1年半ほどお世話になっています。(精神科主治医がそのまま精神療法の治療者になっています)

最近、少し辛いのです。過去の外傷体験に触れるようになってきたというか、先生の言葉を借りれば表層の話でなく「深い」話をするようになったというか。
面接の最中に息が詰まり、言葉が出せなくなりました。混乱はしましたが、怖くはなかった。見守られている、というのがわかったから。

ただ、日常がなんとなく辛いのです。過去の記憶が瞬間的に差し込む、というのか、ほんの一瞬、目の前の風景と過去の風景、感情が交錯するというのか。でも、ほんの瞬間の事で、細かい事はさらさらと忘れていきます。
息が、苦しい。背中が、あの感覚は背中からやってきます。

フラッシュバック、と言うのでしょうか?フラッシュバック、トラウマ、専門用語は難しい。私に起こっている事と、それらの言葉が、正しく対応しているのかわからないのです。

主治医は、私に診断名を付けませんでした。たぶん患者毎に判断しているのでしょうが、私に関しては、「診断名を付けて、その診断にあなたを当てはめる事に意味が無い」と言いました。
長いこと、「厳しいな」と思っていましたが、今は、「それでよかった」と思っています。診断名があれば、きっと私はそれに甘えたから。診断名に自分を合わせようとしたから。自分自身で自分の事を考えようとしなかったと思うから。

不思議だと思うのは、私は自分がなぜ精神療法を受けているのか、説明できないのです。他の病院や薬局で「何のために通院しているのか」と問われるのですが(当然の質問です)、答えられないのです。それは、ただ単に診断名が無いからではなくて、本当に、何に困っているのかよくわからないのです。だからいつも、首を傾げて、困った笑顔を浮かべて、「よくわからないんです。」と答えます。

(中略) 私は明らかな虐待を受けていない。ご飯は食べさせてもらったし、教育にお金をかけてもらった。暖かい布団があり、病院に連れていってもらった…。

あの時、何が起きていたのか。

理由が無いのに、泣きたくなる。
家族が苦しい。夫と子供たち。親密な関係は息苦しい。声をかけないでほしい。近寄らないでほしい。何もしないで。私があなたたちに働きかけるまで、私に触れないで。私をそっとしておいて。

子供たちはかわいそうだなと思います。私の子育ては、私が作り上げる環境は、子供たちにとって不適切な環境です。心理的な虐待です。
こんな親になりたくなかった。
声のかけ方、子育てスキル。ああいうものは、技術だけ知っていても意味がない。心から発した言葉でなければ響かない。

でも私は、子供たちが私の領域を脅かしていると感じてしまうのです。

子供の声が耳に刺さる。
私の心が悲鳴をあげる。イヤだ、イヤだ、心にもない言葉を発したくない。
私に近寄らないで。私にさわらないで。もう、イヤだ。

「イヤだ」 これが今の私が唯一感じる強い感情です。表層を取り繕う私を脅かすように、もう一人の私がイヤだと叫ぶ。イヤだ、イヤだ、イヤだ、従いたくない。

だから私はいつも困惑します。そんなこと言われても困るのに。

私には私の気持ちがよくわからない。何を感じているのかよくわからない。だからいつもフワフワしています。私の外側で、私以外の世界が、日常を回しているようです。

書けないこと、語れないこと、認識できないこと。
私の中には言葉にならない何かが渦巻きながら保存されています。
私はその何かを知りたいと思う。何故、の答えを見つけたい。
私は、私の気持ちを探したい。私が、私の中の私たちが(解離ではないけど、少しバラけている)、誰も泣かずにすむように、死ななくてもすむように、別の道、別の方法を見つけたい。

だから私は治療に取り組む。

取り留めもなく書いてしまいました。

返事はいりません。読んでくれる他者がいる。そう思うだけでも、少しほっとします。

体に気をつけて。お元気で。

感想1

記録、という形式に感想を書いてもよいものか、やや戸惑いながら・・・。私も記録という形式で、自分自身の視野が広がった点をまとめてみようと思いました。

・「混乱すること=怖いこと」ではないということを知りました。混乱しても見守られている感覚があることにより、混乱は混乱しているという事実でしかなく、それ以上の意味は持たない(のかもしれない)と思いました。

・『過去の記憶が瞬間的に差し込む、というのか、ほんの一瞬、目の前の風景と過去の風景、感情が交錯するというのか』→フラッシュバックの描写だろうか。投稿者さんは専門用語が自分に正しく対応しているのか、慎重に繊細に感じ考えている印象。専門用語や診断名の解説は、専門家ではなく、経験者の方が表現することで、豊かな情報として伝わってくる気がした。ある意味、経験者は専門家である。『ある意味』ではなく、『正確には』のほうが適切かもしれない。

・『診断名がつくことで、診断名に自分を合わせようとする』→診断がつくことで、自分で考える機会が失われることがあるということを知りました。診断名と同様に、何かがカテゴライズされた瞬間、人は考えることをやめてしまう可能性があるかもしれないと思いました。

・『親密な関係が息苦しい』『私があなたたちに働きかけるまで、私に触れないで』『子供たちが私の領域を脅かしている』『「イヤだ」が唯一感じる強い感情』→感情の種類は多様であると圧倒された。自分の知らない感情がこの世にはまだたくさんあるんだろうなと唸ってしまいました。

・『言葉にならない何かが渦巻きながら保存されている』『その何かを知りたい、答えを見つけたい』『私の気持ちを探したい』→自分自身を取り戻すために、自分自身を知るために、自分自身を意味づけるために、いろいろな解釈をしてみましたが、自分自身を諦めていない渇望しているものを満たそうとするようなエネルギーを感じました。

全体を通じて、投稿者さんを想像しながら思い浮かんだ言葉は、慎重・繊細・誠実・渇望です。もしかしたら、読むだけでそっとしておいてほしかったのかもしれない・・・この記録が投稿者さんの足を引っ張ることにならないようにと祈りながら返信します。

感想2

投稿者さんへ

こんにちは。私宛ではないとわかっていながらも、この手紙を私が受け取ったことを伝えたくてお返事を書いてみます。

親密な関係は息苦しいという言葉を聞いて、いくら家族といえど、それぞれに人格があって、考えがあるので他人なはずなのに家族など親密な関係であればあるほど、自分と他者の領域は曖昧になってしまいそうだなと思いました。

お手紙の中には沢山の「イヤだ」が出てきましたが、どの「イヤだ」も投稿者さんの心の叫びなのではないかと感じます。「心にもない言葉を発したくない」というのは自分から他者に対して向くものですが、触られる、近づかれるというのは投稿者さん以外の他者から自分へ向くものなので、分解すると「イヤだ」というのは色んなベクトルがありそうですね。もしかしたらうまくいかないことを責めてしまったり、後悔したりなど自分から自分へ向かうものもありそうだなあと考えていました。

「何のために治療をしているのか」という疑問は、ともすれば理由(診断名)がないと治療を受けてはならないとも聞こえそうだし、投稿者さんが困るのも頷けるような気がします。主治医と投稿者さん自身が必要だと思っていて、投稿者さん自身が自分のことをわかりたいと思っている、それだけで十分な気がしています。

主治医と話していくことで少しずつ投稿者さんの言葉にできない気持ちが見えてきたり、硬くなった結び目をほどく作業をされているのかなと想像しました。話していくうちに見えてくる部分もあるけれど、そこにはこれまでの自分と向き合う必要がありそうです。辛いこと、悲しかったことと向き合うこと自体苦しさなどが伴うかもしれませんが、そこに向かい合おうとしている投稿者さんがいることを強く感じました。自分の気持ちがわかってもわかるまで時間がかかっても、わからなくても、投稿者さんが向かい合おうとしている過程は無駄になることはないと考えていました。どうか焦らず、投稿者さんのペースや領域を大切にしながら、ゆっくり探していけることを祈っています。

お返事1

*感想への返信*

改めて自分の体験談を読んでみて、ずいぶん調子が悪かったんだなぁと思いました。今の私にはあの文章は書けません。

戸惑わせてしまうような題名をつけてしまいましたが、「記録」と名付けて自分の気持ちと距離を置く形でしか表現することができず、それでいて誰かに届いてほしくて「手紙」という形を選んだのではないかと思います。

結局、起こった事も、その時何を感じていたのかも、具体的な事は何も書けませんでした。治療の場でも、未だに話すことができません。景色とか、手触りや感触は何となく見えるのに、言葉にできないのです。

たぶん、私は決意表明がしたかったんだと思います。
治療で向き合うものが、重くて苦しくて、逃げ出したくて、それでも私はこの治療を選んだ。これからも続ける。

そういう「今」の話を、誰かに聴いてもらいたかったんだと思います。
だから、お返事を頂いて嬉しかったです。
ありがとうございました。

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