経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

楽になりたい

 自分が今まで生きてきた時間のうち、そのほとんどが自己嫌悪や希死念慮に苛まれて苦しんでいたように感じます。私は心が繊細で他人に迷惑をかけることを嫌う性格であった故に、身内や友人に相談する機会が少なく、自身の悩みを事細かに話すことがありませんでした。そのため、今回の寄稿においてはほんの一部しか書くことができません。現状で辛いと感じるものを経験談として投稿します。

 今辛いのは、過去のいじめの経験や反芻、自身の能力の無さの2つに大別されます。

 まず一つ目から。私は保育園、中学高校といじめられた経験があります。在籍してる間ずっとという訳ではありませんが。保育園での記憶が曖昧ではありますが、身体の大きい男の子に暴力をされという事実は覚えています。小学生の時は両親が共働きしていたこともあって学童にも所属し、とても楽しい時間を過ごせました。中学生では部活動においていじめられました。グループの仲間外れにされ、陰口を言われ、くせ毛の私を馬鹿にしたりなどがありました。(学年が上がるに連れて受容され、3年ではいじめは無くなりました。)高校では入学当初浮かれていて羽目を外したことが原因で、1年時のクラスでは浮き、所属した部活(バレーボール部)では同学年のチームメイトにいじめられる形となりました。部活のLINEグループとは別に僕が疎外されたグループで陰口を言われ、私と接する時だけ高圧的になったりしました。また、割とサディズムな先輩が僕と対人練習をすることが多く、高圧的な言動が苦手でした。私は運動音痴で、バレーボールにおける技術の体得が遅かったため、先輩を苛立たせてしまうことが多々ありました。私が参加した練習試合で先輩とレシーブの鉢合わせになったときがあり、「邪魔しかしてねえじゃん」と言われたときには、その場で泣くのを堪えていました。昔からいじめられることが多かったことからあまり他人を信用しないようになりましたが、それでも孤独感は無視できず、そこに追い打ちをかけるように精神的に攻撃を受け、もうとっくに心はボロボロでした。過去の経験を上手く説明することができませんでしたが、以上の過去のいじめの経験を反芻してしまい、胸が苦しくなります。

 2つ目の別の観点についても説明します。私は小さい頃から両親に、「うちは貧乏だから、ちゃんと勉強して大学行けるように頑張って」と言われて育ちました。そのため、小学生から本格的に始まった勉強は熱心に取り組み、テストではなるべく満点を目指すように頑張っていました。高学年になっても高得点をたたき出し、周囲から羨望の眼差しを受けたり、両親から褒められるようになってから、「自分って頭が良いんだ!」と自惚れと、同時に「もっと頑張って高い得点を維持しなければ」という義務感も抱き始めました。中学生になると、各教科と総合点毎に順位が通知されるようになりました。親(特に母親)からは、「試験で上位にいないと難関高校に行けない」とよく言われていました。(具体的な順位を言われてましたが、50位以内だったと思います。)部活も一生懸命やって、勉強も上位にいることを目指して頑張りました。結果的に母親から目標にするように言われていた順位以内は守ることができ、この時まではまだ楽でした。

 高校生になってから、一段と自殺願望が高まっていきました。入学当時、勉強だけしかできない人間になることを恐れ始めていました。中学のときにより強まったコンプレックスを払拭するために、悲観的な自分を変えよう(今風でいう、『陰キャ』を卒業しよう)としてバレーボール部に入部(試験の順位50位以内の保持が条件)したり、別なキャラ、即ち偽りの自分を演じたりしていました。しかし、最初の試験では中学のときよりも大幅に順位を落とし、部活を続ける条件を守れませんでした。コンプレックスの克服は諦められなかったのでそのまま部活は続けましたが、その後の試験も良い結果は出せず、順位も下から数えたほうが早いところまで来てしまいました。もう両親には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そんな中で部活も結果を出せず、いじめや嫌いな先輩からの心無い一言などが積み重なり、いつしか自分に期待することをやめ、毎日が無意味に思いました。このまま生きてても何も結果を出せないし、いても迷惑にしかならない。授業を聞いてもわからない。このままじゃ難関大学なんて行けるわけないし、かといってどうすればいいのかわからない。これから幾ら努力しても意味ない。早く死んで、もう何も考えたくない。毎日ではありませんが、深夜布団に入ってから何度泣いたかわかりません。それぐらい精神は疲弊していました。

 現役時に予備校に入っていましたが、大学受験は比較的近い公立大学を前後期に計2校受験。しかしどちらも不合格。浪人して地元の小さい予備校に通い、より上の大学を目指そうとしましたが、理系なのに数学Ⅲが理解できない、物理化学はわからない、英語読解はなかなか向上しないなど、より上を目指すには突破しなければならないものを突破できずにいました。そんなある日、帰宅して家に誰も居ない時に、自殺を図りました。ベルトを押し入れのハンガーパイプに引っ掛け、首を吊ろうとしました。高さが無いので上手くいきませんでしたが、一度目の前が暗転し、地震のような揺れを体感したかと思うと自分だけが倒れていました。腰痛のみ患いましたが、自殺の難しさとこれからも生きなくちゃいけないことへの辛さが残りました。

 今は滑り止めの大学に通っています。次男は僕が浪人してたときから東大を目指すために努力し、末の弟は次男と同じ難関高校に合格。これから私はこの二人に追い越され、無能で無価値で、劣等感を抱きながら生きるんだろうなと思います。子供部屋が兄弟で統一されていたため、浪人時は部屋にいると劣等感が際立ちました。大学の講義も高校の復習みたいな講義が多く(プログラミング言語だけは初めてでしたが、おそらく初歩の初歩の内容でしょう)、早く抜け出さなくてはと編入試験なるものの情報収集や勉強をしようとしていますが、だらけてしまい正直進捗はよくありません。自分の無能さがまた出てしまい、劣等感ばかりで死にたくなる毎日です。また容姿や髪質にもコンプレックスを抱いているため、「こんな気持ち悪くて打たれ弱い、意気地なしな自分は誰からも愛されないだろうなあ」と、寝る前に考えて泣くことがあります。

 自分の内面を研鑽しようと、心理学に関係する書籍などを読んだり、大学数学の動画で予習をしたり、先の就活のための情報を調べたり。くせ毛を目立たせないヘアセットやスキンケア、メンズメイクを始めたりなど、色々努力はしているつもりです。でも、この先幾ら努力しても、自分の求める結果や環境などを得られないとしたら。早く全部投げ捨てて、命を絶って、楽になりたい。もう何も考えたくない。

感想1

これまでの経験や思いを綴っていただきありがとうございます。

最初の段落から、長い間あなたが理解者に出会う機会がなかったことが伝わってきて、とても孤独だったのでは、と思いました。でも、人に迷惑をかけるくらいなら関わらない方がいい、という思いで孤独感を抑えてこられたのかなと推察します。

学童などが楽しかったということは、人と交流することは嫌いではなく、むしろ人と一緒に過ごすことで楽しい時間を作れることがある、と知っている人なのだろうと思いました。

いじめは、心ある人を貶める、くだらない行為だなと思いました。そして、標的になった人の貴重な時間を黒く塗りつぶしてしまうこと、後々の人生にも影を落とすことが許せない思いです。

小さい頃から親に言われてきたという言葉を聞いて、どうして親が人生を決めるのだろう?そんな特権が許されるのだろうか?と率直に疑問がわきました。親の期待に応えようとしたのは、あなたが優しさを持っているからでもあったのかな、と私は思いました。
勉強って本来なら私たちの暮らしをより豊かにするためのもので、大学に行くためにするものではないはずなのに、大学に行くために勉強せざるを得ないという状況があり、たくさんの若者が苦しめられているように思うので、どうにかならないかと思っています。
試験の目標を課してくる親(特に母親)は、あなたにとって安心ではなく大きな不安を与える存在になっているように感じてしまいました。

そして、あなたの周囲の人が変わるべき(いじめをしない、目標を押し付けない、など)だったにも拘らず、周りは変わってくれず、逆にあなた自身が自分を変えようと努めなければならなかったことが、理不尽に思えてなりません。

悲観的な自分を変えようとしたとありましたが、悲観的なのはあなたの一面でしかなく、自殺念慮を抱えるのも、これまでの状況(家庭でも学校でも傷つけられて味方がいない)を考えるとやむを得ないもので、それらを否定する必要はなかったはずなのに…と悔しく思いました。また、あなたの思いに耳を傾けてくれる人がいれば、一人で自分を犠牲にしながら闘い続けることはなかったかもしれないのに、と考えてしまいます。

自分は無価値だと書かれていますが、誰にあなたの価値を決めつける権利があるのだろうか、と思います。死にトリでは、社会の固定化した価値観が生きづらさの源になると考えているのですが、どうすれば単一の価値観を人に押し付けたり、単一の価値観のものさしで人の価値を評価したり、してしまうことを減らせるのか、一緒に考えていけたらありがたく思います。

感想2

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。分析した上で今の自分を変えようと、多くの行動を起こしているのだなという印象を持ちました。
「この先幾ら努力しても、自分の求める結果や環境などを得られないとしたら」とありますが、この文章からもストイックさを感じました。
それだけ追い詰められている感じも受けて、だからこそタイトルにあるように「楽になりたい」という気持ちがわいてくるのかなとも考えました。

いじめの経験のところで、相手から高圧的にあたられるという話がありました。きっと、投稿者さんはおっしゃっているような繊細さがあり、また相手に強く自身の感情を発信することに難しさがあったのかなと想像しています。
そういったふうに見えると、相手が高圧的に接してくることもありそうだと考えました。自分より強く言えなさそうな人、発信の弱そうな人に攻撃性が向くところがありそうだけれど、それって理不尽だよなあと思っています。

また、ご自身の能力について書かれてました。幼少期から親に勉強を頑張るように言われ、高校では試験上位にいないと、とされていれば、たしかに義務感も生まれてくるのかなと考えていました。また、小学生の時に感じた、周囲からの羨望のまなざしや、「自分には勉強ができる」という気持ちが合わさって複雑なものになっていったのだろうかと思いました。
そういった状況になっていけば、投稿者さんが思う一定基準を満たせなければ生きている価値がないと思っても無理はないのかなと考えます。
それに、全部投げ捨てたいと思っても、簡単に捨てられるものでもないのではないかなと感じるところもあります。

そして、能力のなさ、と語られていましたが、人それぞれ様々な能力があるわけで、例えば学力や運動神経に絞ってのことを能力と言われているような風潮を私自身は感じ取っているのですが、それって能力の一部でしかないのでは?と思っています。もしかしたら、一面的な能力のみをのばしたり、高いことがよしとされているのではないかなと思います。繊細さだって能力の一つだと思っています。

世間一般が求める「こうあるべき」は重たくて、つぶれそうになってしまうなと、個人的にはそう思っています。

きっと、投稿者さんはおひとりでたくさん考えて、行動しているのかなと想像しています。ネットの居場所で似たような境遇や感覚のある人とつながってみると、もしかしたら心が軽くなることもあるかもしれないと感じます。もしよかったらまた利用してもらえたらと思います。

お返事1

感想を書いてくださり、ありがとうございます。私の心理や行動にストイックさを見出してくれたこと、私の今までの状況を理不尽だと言ってくれたことなど、本当に感謝しています。ただ、私の力不足で変えられなかった結果も存在し、自分が辛く感じた出来事の全ての原因が外部にあるとは言い切れないと考えています。少なくともいじめ以外の、人生のうちで頑張らなければいけないイベントが何なのか分かっているのに、どれぐらいの時間があるのか、どれぐらいのお金や時間、参考書などを投資できるのかなど、逆算して行動できなかった自分にも責任があるとは思っています。こうあるべきであるという固定観念を忘れられずに、責任の所在を上手く判断できていない点が未だに根を張っているため、そりゃ生きづらいよなとも思いますが。

 現時点でもコロナの影響は続き、不要な外出の自粛を求められている世の中です。対面する機会が減ることで同時に出会いが減り、過去に知り合った友人とも疎遠になり、人との会話や相談によってストレスを解消しようにもできないという状況にある方も多いのではと思います。現に私も友人達との会話をする機会が減って、相談できることの有難みを感じました。また、愛を獲得することの難しさも実感しました。

 今の自分の心持としては、人生を楽しんでいこうとか、頑張って生きようとかそういうポジティブなものではなく、死ぬことなんて自分には出来そうもないから仕方なく生きるしかない、というネガティブなものです。それでもこれから自力で稼がなくてはいけないし、将来キャリアに支障をきたすことがないように努力しなければいけないために、様々な書籍や学問から知識を得たり行動をしなければいけないと考えています。相変わらず自殺願望は付きまとってきますが、自分で上手く精神状態を管理して生きていきたいな、と思います。

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