経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

間違った人生

今、自分は、できるだけ生き易いように生きてる。けれども、「生き」ていることそのものが、どうしようもなく「辛い」。

不登校になったその時点で、将来を諦めた。「死にたい」がずっと付き纏って、それが無かった時の感情が思い出せない。狂ってしまった思考の戻し方がわからない。

ただ不思議なことに、自分は恵まれている。だから今も生きているし、生きられている。まだ死ななくても大丈夫。そう思える余裕がある。
必要以上に頑張らなくてもいい環境に身を置けているのは幸せなことだ。

そんな訳で、生きづらくはないけど、生きてるのは辛いなぁ…なんて。


以上を前置きにして、
ここから詳しく自身の話をします。

小さい頃は人見知りで、人に注目されるのは苦手だし、嫌いでした。家に誰か訪ねてこようものなら、真っ先に隠れるくらいに。
今は、成長と共に平気になってきた。というよりは平気なように振る舞う術を身に付けた。という方が正しいのかも。なんて、書きながら考えました。やはり、根底には恥ずかしがり屋な自分がいる気がするからです。

小学生で、不登校になりました。宿題をやらずに登校することができなかったから。じゃあやれよ。って話なんですけど、遊ぶことを優先しちゃったんですよね。「真面目」でいたかった。「頭の良い子」でいたかった。
どうやら自分はそれを貫き通すことはできなかったみたいです。
途中、周りの支援があって行けるようになりましたが、結局また同じことになりました。
習い事もそうですが、生きるのに役立つことが長続きしないのは、生きるのに向いてないのでは?別に向いてる必要もないけど。

高校生くらいの歳に、これもまた周りの支援があって働けることができたのですが、結局辞めることになります。
理由は、過呼吸が起きるようになったから。前置きで書きましたが、「死にたい」がずっと心にあるので、自分がおかしいことはわかってたんです。ただ、表立った症状は出てなかったのでまだ大丈夫だと思っていました。ここで精神科に通い始めます。

そこから、うつ病だと診断されたり、障害年金の申請したり。精神科の先生にも恵まれた自分は今もまだ、生きているというわけです。

詳しくと言いつつ、話してないこと、話したくないことはあるので、大体、こんな感じの人生送ってますってことで。
さらに、ここからは自身の感情や思考をもって生きづらさについて語りたいと思います。

私は考えるのが好きです。小さい頃から頭の中で物語を展開してました。
人生を諦めた故の、現実逃避かもしれません。
つまり、考え過ぎる癖みたいのがあって、生きづらさに関係してる可能性がある。ということです。
考えなくていいことまで考えると終わりがないなぁと思うので、考えたくないんだけど考えちゃう。そして、めんどくさくなってどうでもよくなって、死にたいって。
「熱しやすく冷めやすい」という言葉はすごく自分に当てはまる気がします。
とにかくいろんなことが煩わしい。
朝起きるのも、夜寝るのも、ご飯食べるのも。それをやれてる自分も。
知っています。頑張ればできる、できてしまうこと(どうやっても頑張れない、できないこともあるけど)。
でも、頑張りたくないんです。だって生きたくないし、生きるつもりもないし、そんな考えが離れないし。
じゃあ死ねって言われても、正直自殺するのには抵抗があります。

すみません、なに言ってるのか、なに話したいのかよくわかんなくなってきました。
まとめとしては、消えない死にたいがあって、生きるの諦めてるのに生きちゃってるから辛いな、苦しいな…でも今すぐ死ななきゃならないほど不幸ではない。そんな自分が嫌いです。(好きなところもあります。そういう矛盾するところは嫌になりますが。)

経験談っていうかなんていうか、自分の書きたいこと書きなぐりました。
趣旨と違ったらすみません。

感想1

経験談を投稿してくれてありがとうございます。

読ませてもらって、思考や感情を他の人に向けて表現することが少なく、自分の中に溜め込んでこられたような印象を持ちました。

将来を諦めた、という言葉も気になりました。もし、将来を諦めていなければ、こんなことをしたかったな、とかあるのでしょうか?
将来を諦めさせるような周囲からのメッセージを受けていたのかなぁとも考えました。たとえば、「学校に行かないと、将来生きていけないよ!」みたいなメッセージを世間から感じ取っていたのかなとか…

学校で学ぶことは、義務ではなく権利なので、強制させられることではないし、勉強しなかったからと言って、その人にマイナス評価を付けるのは違うんじゃないかと思います。
でも、今の社会にはそういう評価をしてくる空気があるので、生きていくことへの自信を失ってしまっても不思議ではないなぁと思いました。

人に支援してもらったとも書かれていますが、周りの人は、あなたにとってどういう存在なのだろうと気になりました。
たしかに、生きることを支えてくれてはいるけれど、つらい気持ちを分かち合えることはあまりなかったのかも…と想像しています。
自分の考えや気持ちを表現することには、まだまだ不安や怖さがあるのかなと思いました。あるいは、安心して表現できる場所にまだ出会っていないのかなと。

今回、自分の人生について書いてみて、どう感じたでしょう?
もし、話すよりも書く方が表現しやすいなと思ったら、また文章を書いてみてほしいなぁと個人的に思いました。

あと、「恥ずかしがり」と書かれていたので、「恥ずかしい」気持ちの中身が気になってしまいました。
私自身も昔から、恥ずかしいと感じることがよくあり、「生きることは恥晒しのようなもの」だと思っています。でも、そう自分に言い聞かせてみると、みんなが恥を晒して生きているんだなぁと思えて、人前に出る怖さが、すこし減ったような気がします。
それでも、恥ずかしいと思うことは、自然な気持ちだと思うので、大事にしてもらえたらなぁと思いました。

感想2

 経験談を投稿していただき、ありがとうございます。「死にたい」や生きているのが「辛い」ということを、投稿してくださった方らしく書いてくれているように感じました。がんばりたくない、生きたくないという気持ちをはっきり書いてくれていて、やっぱりそれって自然な気持ちの1つだよなと再認識させられました。感想を書かせてもらったのですが、なんか分析っぽくなってしまいました。どんな方がこの文章を書いたのだろうと興味が出て、その気持ちが反映されたと思われます。上から目線になってしまっていたらすみません。

 小学生のときのエピソードに、宿題をやらずに登校することができず、不登校になったとのお話がありました。真面目な方なのかな?と思いましたが、宿題をしなかったのは「遊ぶのを優先しちゃったから」とのことで、なにか私の中に引っかかるものがありました。真面目だけど目の前の刺激に反応せざるを得ない人なのだろうか、それとも手を抜くのが苦手な方なのか…と、あなたがどんな人なのか色々想像してしまいました。気持ちと思考と行動が一致しないことがあるのかもと思いました。

 なんだか全体の文章から、あなたがあなた自身から少し距離を取っているような印象をもちました。私がそう感じているだけかもしれませんが…。根本的につらい経験や鮮烈な感情があっても、そこと距離を取っているかんじがします。もしかするとそれが「話してないこと、話したくないこと」なのかなと思いました。そうだとすると、つらいことから距離を取って、自分を守っているのかもしれません。ただ、距離をとればとるほどつらいこともあると思います。諦観した書きぶりから何となく、しんどい経験があったのかなとは(勝手に)推察しています。

 読んでいて、できれば直接話してみたいなという気持ちになりました。あなたの考え方や、考え方のルーツについて、もっと知りたいなと思います。あなたがあなた自身の考えを話したり、議論したりする機会はあるのかなと気になりました。また、感想を読んでみてどう感じたか、教えてくれると嬉しいです。

お返事1

感想ありがとうございます。

感想1の方、最初の文から既に感銘を受けました。
このように体験談を送ったり、死にトリにアクセスしている理由に、「人と関わる」というのがあります。
書いてくださっているように、私は自分の中で考えを巡らすばかりで誰かにそれを伝えることは少ないです。それが本心であればあるほど。(なにが本心かよくわからなかったりしますが)
そこに「恥ずかしい」があるかもしれません。

将来を諦めていなかったら、学校に行って、社会に出て、恋愛して、結婚して……そんな理想の人生を送るために努力する。そういう生き方をしてみたいと思います。
周囲からのメッセージはどうなんでしょう?受けてたかもしれないし、周りに〝できた人間〟が多くて、自分もそっち側で頑張ってたのに、外れた。と思ったからかもしれません。
外れたなりの生き方を誰かと一緒に考えられたら、諦めたまま生きてこなくてもよかったかもしれないですね。

自分の人生について書いてみて、どう感じたかと問われれば、正直よくわからないです。私は自分の気持ちを改めて聞かれるのが苦手です。考えて答えを出してもいいですが、今この瞬間の率直な回答は「そう言われても困る」って感じです。

感想2の方、私がどういう人間か気になっていただけて嬉しいです。他人が分析する自分、というのはとても興味深いと思います。

エピソードを読んで「気持ちと思考と行動が一致しない」と書いてくださってますね。似たようなことを考えたことがあります。「脳と体と心が一致しない」と。
苦しいけど泣きたくないなって思う心と、それでも涙が出てしまう体と、泣いてもしょうがないのになって考える脳。
距離を取るのは、それらがめんどくさいからです。
もし距離を縮めたとして、それで人生を円滑に進めるかって言ったら違う気がするからです。なんかどうしたらいいかわからなくて、諦めて楽な方を選んで、逃げて……
他者を交えない、自分の中の思考はそんなことの繰り返しです。

いつか、話せる機会があるといいな。と私も思います。

感想を書いてくださったお二方、改めてありがとうございます。
相手の文章から読み取る力がとても素晴らしいと感じました。

「また文章を書いてみてほしい」や「直接話してみたい」と思ってくださっているのを見て、死にトリのブログや、とりコミュの投稿にもあったと思いますが、死にトリのスタッフの皆さんと経験談を書いた皆さんとが話す機会があれば良い経験になる気がします。
個人的には、文字での会話と、声での会話は違うものになる気がするので、どちらもしてみたいなと思います。

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