私は多分虐待を受けて育ちました。多分というのは両親ともに虐待をしたという自覚がないからです。お前が悪だったからと言われてきたため、私もそうだまたのかもしれないと思ってきて、未だに私自身に問題があったからの日常だったのか、親の心に問題があったからなのか分かりません。
ただ、当時は生きることに必死でした。
両親と妹の4人家族でした。
物心ついた頃から妹と差別があったと思います。妹の物を私が手にしたり、借りたりすると、母に殴られました。「私の可愛い子の物に触るな」と。妹は常に私に付いてきていましたが、よく転び怪我をしました。その度に父が帰ってくるまで正座をさせられ、ひたすら土下座で謝らせられました。また、朝は毎回、蹴飛ばされて起こされました。小学生のある日、妹と喧嘩をして妹が私の顔を棒で叩きました。その時私はびっくりして大声で泣きました。その途端に母が来て、妹に「傷になったらあなたが悪者になってしまう、やり過ぎは良くない」と叱るのを見て、私の何かが冷めました。
頭を撫でて妹に言い聞かせている母に、私の親は他に居て、いつか迎えに来てもらえるんだと思うように過ごしていました。小さな頃からおかしいと疑問を持っていました。また、宗教にも入れられて除霊をされました。私に悪霊が付いていると。1人で朝早く駅の掃除に参加しました。ただ宗教に行くと皆が優しかったのを覚えています。また、父はそんな母を叱りますが、母が父に泣きつき、私のことを手に負えない目つきが怖い子だ、と説明するため、父はいつも最終的に「お前が低姿勢にお母さんに擦り寄れ」と私に言い聞かせてきました。「子どもは親の付録だから」と。当時私の周りは裕福な子が多く、我が家は貧乏ではなかったものの、子どもに使う余分な金はないと月200円のお小遣いの中から文房具を買い、また友達と遊びました。洋服は年に2回買ってもらえましたが、新しい服を着られるのは特別な行事のみ、あとは2着を着まわしていました。おかげでいじめにも合いました。中学になり、母に殴られ蹴られたりする事に耐えられなくなった私は母に向かっていきました。すると母は急に弱くなり、父に泣きつきました。そこからは父に殴られるようになりました。父曰く、どんな親でも歯向かうな、歯向かう奴は俺がやる、と。意見を言うとビールをかけられて蹴飛ばされました。
高校は塾にはもちろん行かせて貰えないので実力で行ける公立に行きました。その頃から、食卓に座ると母がえづくようになりました。
私と同じ空気を吸うと吐き気が止まらなくなるのだと。しまいには顔を見たら叫び出すようになりました。あくまでも私に対してのみです。
そのため、父に、私は家を出たいと伝えました。ホームレスでも、なんでも良いので出させてください、と。すると父は父自身のお小遣いの中からアパートを借りてくれ、私に住んで良いと言ってきました。アパート代は出すから食費、学費は自分で稼げと。
そうして私は高校2年の時に親と別居しました。生きるために色々なバイトをしました。高校卒業後は水商売をしました。人に言えないような仕事もしました。ただがむしゃらに他の子と同じような生活が出来るように。
今私は結婚して、子どもが大学受験です。途中資格を取り看護師をしています。管理職です。
昔の私は想像もされません。ただ普通に生きたいと、自分を大事にしたいと生きてきました。親とはつい最近疎遠になりました。私の中の何が悪くて、何が足りなくてあんな辛い毎日だったのか分かりません。また、親に問題があるのも明らかです。子どもに同じ事をしないように気を張ってきました。ただ最近思う事は、疲れたなって事です。本当に疲れた、もう終わりにしたいなって思ってしまいます。人の看護をする立場にあるのに申し訳ないとも思いますが。
疲れた、という事しか出てきません。妹は当時のことを振り返り「お姉ちゃんを守れずにごめんね、逆らうと私もやられると思って」と言います。妹もまた、自分を守るために生きてきたんだと思います。今両親は海外で豪遊したあと日本が1番だと日本に戻ってきて暮らしています。我ながらあっぱれな両親だと思います。我が人生に悔いはなしと言う2人に対し、呆れてしまう私です。
今が良ければそれで良いと思います。今は何も問題ありません。とにかく人並みの幸せをと振り返らずきました。でも時々疲れたという気持ちに負けそうになります。死にたいというワードを入れたらここに辿り着きました。聞いて頂きありがとうございました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
疲れた
感想2
「疲れた」という言葉の手触りのようなものを幾度も感じるような経験談だと感じました。あなたがこれまでどれだけ苦労してきたのか、どれだけ消耗しながら生き延びてきたのかということを想像すると強い敬意を感じるとともに、この社会でともに生きるものとしてやりきれない気持ちにもなっています。
私はあなたが悪かったからとか、足りなかったからということではないだろうと感じました。もちろん、親も子も異なる人格をもつ人間ですから、相性が合う・合わないということはどうしたってあるのだと思います。でも本当であれば、相性がどうであろうが、どんな子であろうが、安全の中で生きる権利があるはずです。
あなたが求めてきた「ただ普通に生きたい」ということの内実は、尤ものもので、当然保証されるべき願いだと思います。だけどそれが事実ではまるで担保されないまま、心身ともに安全を確保できないような状況に幼少期から置かれてきた中で、あなたは自分自身の数少ないリソースを駆使して生き延びてきたのだと思います。文章から、あなたが受けてきたことは虐待と呼べるものだろうと思いました。また、具体的にはわからないですが、比較の中ではあなたより優遇されていたようにも思える妹さんも、あなたが「自分を守るために生きてきた」と振り返るように、他にとれる選択肢のない中で、休まることのない幼少期だったのではないかと感じました。そして、、虐待という意味では加害者となる両親の側もまた、なにかすごく追い詰められているような印象を受けました。「我が人生に悔いはなし」と言っているということですし、私の考えすぎなのかもしれないのですが……。暴力と支配の中で、無自覚に加害してしまっている人にももしかしたら必要なサポートがあるのかもしれない、そういうものがあれば、もっと違う方法を選べたのかもしれないと想像してしまいます。もしあなたにも、あなたの家族全体にも、もっと支える他者がいれば、目を向ける人がいれば、そういう社会であれば……と、(過去に対してそんな勝手なことを言うのも無責任でしかないと思いつつ)考えてしまいます。
経験談の言葉の一つ一つから、あなたがこれまで戦い続けてきた人だということを感じています。それは別の言い方をすると、戦い続けるしかなかった、「気を張る」ことをやめることを状況に許されなかったということでもあるのだと思います。それはもう、疲れるのも当然のことだし、あなたにゆっくり休んでほしいと感じています。ただ、あなたは戦うやり方をたくさん身につけてきたことだと思いますが、その一方では休むやり方を練習したことがあまりないのではないかと想像しています。私自身も、いろんな状況に反応して「対処しなければ!」というモードに入りやすい方なので「休む」の練習をしているところなのですが、教えてくれる人もいないし、第一自分の心身のことなので、自分で身につけていくしかないらしくて、難しいなぁと感じています。
私もよく死にたいと思うのですが、私の場合には「疲れたから眠りたい」「なんにもしたくない」「もういやだ」みたいないろいろな気持ちがまざって「死にたい」になっていることが多いように思います。死にたいというワードで死にトリに辿り着いてくれたということですが、あなたの「疲れた」や「死にたい」はもし別の言葉で言うとしたら、もうすこしいろいろな言葉で説明するとしたらどんなものなのかなぁと気になりました。
あなたの疲れが束の間でも癒せる方法がひとつでも多く見つかることを願っています。
投稿ありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。
読んでいて、リアルな描写が目に浮かんでくるようで、圧倒されました。
それは、あなたの経験の過酷さと同時に、あなたの言葉(文章)にする力・生き延びる力ゆえのものだと感じています(敬意を表したいです)。言葉にすること、文章にすることには苦しみを伴ったかもしれませんが、よく書きに来てくれたなという気持ちでいます。
あなたがしてきた経験は、私から見ると「多分」ではなく明らかに「虐待」であり、あなたに責任はないと見えますが、それでもあなたが自身に「問題があったから」だといまもどこかで思わされているところや、「小さな頃からおかしいと疑問」を抱いてもどうしても解せない感覚があるところに、「虐待」をはじめとする暴力被害の困難さ(傷の深さや呪いの強さ)を思わずにはいられませんでした。また、高校2年生の時に家を出る決断をしたことは、相当エネルギーが必要だったのではないかなと想像しますが、そのことよりも、度重なる暴言暴力とあなたを拒絶する母親の言動が存在する空間にい続けることの方が困難であり、とてもではないけどここにはいられない…という選択だったのかなと想像しています。そういう時に(そういうことが起こらないようにという思いは前提にありつつ)頼れる人がいたら、逃げやすい世の中であればどれだけ違っただろうかと思うと、とても歯がゆい気持ちにもなります。その意味で、あなたが(家を出る前もきっと)ひとりで「がむしゃらに他の子と同じような生活が出来るように」と、「生きるために」闘ってきたことを悔しく思うと同時に、心から労いの言葉をかけたいです。
そうした過酷な日々をあなたが過ごし、看護師の道や大学受験を迎えるまで子育てをしてきたことなどを思えば、あなたが今となって「本当に疲れた」と感じるのもそれはそうだろう…と思います。きっとあなたは周りにあなたの経験や傷を見せるどころか何もないかのようにふるまい続け、何より「子どもに同じ事をしないように」と必死で自身を奮い立たせ続けてきた、そして実際にそのようにできてきたのだろうと想像します(「昔の私は想像もされません」という言葉はあなたのつらさの吐露でありつつも、そのことの証拠でもあるのかなと私には感じられました)。そうした張り詰めた生活、特に懸命に注意を払ってきた子育てが一段落したところでふと、これまで必死に生きてきたあなたにあなたが出会ったのではないかな…と、それが「疲れた」という言葉となったのではないかなと感じています。もしかしたら、辛い毎日だった理由をわかりたい気持ちと、かといって「親に問題がある」(理由である)だけでは片付かない虚しさがあなたの中に錯綜していて、それもまた「疲れ」につながっているのかもしれないと考えたり、もはや「あっぱれ」だと思えてしまうほど、両親とあなたとで見えている世界や生き方があまりにも違う(乖離している)ことにあきれ果て、それが「疲れ」の理由ともなっているのかもしれないなどと考えたりもしました。いずれにしても、あなたが必死に生きてきたこと、その力があるということを私は大事に受け取りたいですし、あなたがそのことを確かに認めつつ、可能な範囲で、あなたの「疲れた」感覚に耳を澄ませ、誰かの力を借りて自身をケアすることに時間を費やしてもいい、そういうタイミングがきたということなのかもしれないと個人的には感じています。必死に生きる以外の生き方をすることは怖かったり難しかったりするかもしれませんが、「今が良ければそれで良い」として生きるあなたの生き方のままでいいし、「振り返らず」に生きるあなたの生き方のままでもいいという前提で、「時々疲れたという気持ちに負けそうになる」ことを否定せずにあなたが迎え入れ、そうした時に誰かやどこかに力を借りる(休んだり自身をケアしたりする)過ごし方が少しでもできたらいいのかな…などと勝手ながら感じました。私はどのような生き方であっても、あなたのこれからを陰ながら応援していたいです。
最後に個人的な関心事を失礼します。私はあなたが親による呪いの言葉ー特に「子どもは親の付録だから」など、こどもを権利の主体と見ない言葉ーに、あなたが屈せず(都度折られながらだったかもしれませんが)生きることができているように感じたのですが、そうだとすると、そのようにできたのはどうしてだろうかと聞いてみたく感じました。今の日本社会は残念ながら子どもの権利を重んじる社会とはなっていないように私には思えるため、子どもは親の所有物、それこそ「付録」のように考えてしまうようになっても仕方ない部分があるのかもしれない(それを肯定する意味ではないです)と私は感じています。もちろん完ぺきではなかったかもしれませんが(そもそも完璧などないかと思っています)あなたがそこを大事にできたのはどうしてか、その力はどこからきているのか、ということをいつか機会があったら聞いてみたい気持ちになりました。必要に合わせて、またよければ書きに来てください。改めて、あなたの話を聞かせてくださってありがとうございますとお伝えし、感想としたいと思います。