不幸だったり死にたくなると安心する。だって、不幸だと不幸になる心配がない、もう不幸だし。死にたくなるまで不幸になると、全部どうでもいいやってなって、逆に苦しくなくなる。不幸を求めてしまうようになった。
友達とかと笑っている時とか、幸せな時は心がちくちくして、お腹が痛くなって、その場にいられなくなる。私にとって幸せは「辛いこと」。私の人生に辛くない事なんてない。
ずーーっと前から父にセクハラを言われ、母に「産まれなければよかったのに」と首を絞められ、兄に殴られ、弟に罵倒される。家に居場所なんてない。
友達には気付かれないよう明るくふるまって、嫌でもいじられ役をして、陰で悪口を言われる。担任に軽く言ったけど信じてくれなくてあしらわれた。学校にも居場所なんてない。
このことからくる、悲しみや孤独さが、夜になってば――と大きくなる。
私はスマホはなく、親のパソコンでしているけど、弟はスマホを持っている。だから、夜に悲しみや孤独さを紛らわせるためにネットで話せない。前はネッ友と話して紛らわせていたのに、親に禁止されできなくなった。
夜は毎日死にたくなって寝られなくなってしまう。ずっと気持ちよく寝れなくて、体調がいつも悪い。
幸せを感じたい、でも不幸を求めてしまう。そんな自分が嫌で、怖くって、苦しい。でも治らない。
死んだら、苦しいことから解放される。死んだら感情もなくなるから、死にたくなかったとか後悔とか死んだ後に思わない。これから苦しいことがいっぱいあるけど、死んだら死ぬときの痛みだけで済む。生きる意味が分からない。なぜ私は、死ぬことが怖いと思っているんだろう。なぜ私は、成人になったら好きな事が出来るとそんなあり得ない希望を、夢を見ているんだろう。そんなことを思っている自分を否定したいから、不幸を求めているんだろうか。中学生ってこんな辛いものなのか。もうやだきえたい
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
不幸を求めてしまう
感想2
中学生のあなたがどれだけ意思を無視されて、期待をしては裏切られてきたんだろう…家は安心の場所ではなくて、危険な場所。学校は居場所じゃなくて、大丈夫を演じなければいられない場所。唯一のこころのつながりをもっていたネッ友にもつながれなくて、経験談を書いてくれていた時はひとり寂しく、苦しさの中にいたのかなって想像しました。辛いことが当たり前のこれまでだとしたら、幸せかもって思うような場面にいると、心の中で本来感じてもいい嬉しさとか安心感をそのまま感じられずに違和感として心に刺さって耐えられなくなるのかな…。小学生だった頃は、自分の世界がそこまで広くなくて、家の状況が過酷であっても当たり前に感じてしまうかもしれません。でも中学生になると世界も広がって、友人と自分の状況を比較したり、自分が自分を客観的に理解するようになって、周囲から見た自分も意識し始めるので、余計にメンタルが苦しくなる時期です。ちょうどこの頃に今までよりも生きる意味を考えて、こころがぐらぐら揺れたりするでしょう。(揺れるだけの理由、経験が過去も今もたくさんあるということが投稿からも伝わってきます)ぐらぐらすること自体はとても自然な成長の過程でもありますが、あなたが暮らす家の環境は過酷なものですし、この時期に頼れるひと、気持ちを聴いてもらえるひとが家の外にいないとすれば、死にたくなるくらい辛くなるのは無理もないです…本当に。
幸せを求めたい。と書いてありました。幸せを求めることは期待することだし、希望をもつことです。これまではそれを押さえつけられて、裏切られてきたのだと思いますから不幸な自分を考える方がまだ気持ちのダメージが少ないのかもしれません。幸せに近づくと身体の症状にも出るということは、「こんなはずじゃない」と拒否反応が出るのでしょうか…。あなたのこころは、期待通りにならなかった時の苦しさ、守ってもらえない辛さをよくわかっているのだと思います。ただ、私は今の環境から離れることができたときには、期待や希望が少しずつ形になるのかなと思います。あなたの感情も少し和らぐかもしれません。今の状況は、あなたが原因ではなくて、周囲の環境が原因だと私は感じるからです。あなたに見て欲しいなって思うサイトがあるのでお伝えします。(生きづLABO https://ikidulabo.lifelink.or.jp/) ここにこれからのヒントが書かれています。辛い中学生時代を過ごしているあなたを本当は周囲の大人が守ることができるはずです。でも大人なら誰でもいいわけではないので、どうか家でもない、学校でもない、こどもが相談できるところにあなたがつながってくれることを願っています。
投稿ありがとうございました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。ずっと心の内に抱えてきた辛さや苦しみもそうですが、幸せになりたいという思いをどこか抱きながら不幸を求めてしまう…相反する感情に揺れ動く心の様子がよく伝わってきました。
“幸せ”を感じる時の心の状態や体調の変化を考えると“幸せ”に対する拒否反応というのか、受け入れがたい何かが作用しているのだろうと感じますが、それほどまでにこれまであなたが深く傷ついてきたという表れでもあるように私は思います。私自身もあなたと過ごしてきた環境や状況は異なりますが、自分にとって辛さや苦しい状況が当たり前で過ごしてきました。なので、少しでも自分が“幸せ”と感じられる(そうした状況に身を置く)と、途端に不安を抱き、不快な感情さえも抱いてしまいます。自分を不幸な状態に引き寄せようとする時もある(あえて自分が傷つくほうにあらゆる場面で仕向けたり)ので、あなたの抱く感覚には勝手ながら共感でき、他人事とは思えない気持ちになっています。(自分では“幸せ恐怖症”だと思っています)
本来、子どもを守る権利のある大人が守ることをせず、むしろ傷つけているという状況に、同じ大人として悔しいやら情けないやら、憤りも感じています。誰を信じていいかも分からなくなってしまいそうですし、心の拠り所(ネッ友との繋がり)さえも断たれてしまうのは「もうやだきえたい」と思うのも当然なことだと私は思います。親のパソコンを使い、こうして死にトリと繋がってくれたことは嬉しくもありますが、同時にバレたりするリスクはないかそれによって余計にひどい目にあったりしないだろうか・・・とあなたの状態が心配です。
あなたの抱くものがすぐに解決したり気持ちが楽になるというのは難しいことだと思いますが、「幸せを感じたい、でも不幸を求めてしまう」というジレンマ含めて私はありのままのあなたの気持ちを受け止めたいと感じますし、あなたの抱く感情の取り扱い方について一緒に考えたいと思いました。
一人でこれからも悩み続けるのはあまりに酷なことだと私は思うので、また繋がれるタイミングで死にトリにアクセスしてほしいなと思います。(経験談以外にも気持ちを書き込めるとりコミュという掲示板もありますので活用してほしいです)
容易なことではないかもしれませんが、この先少しでもあなたが安心して関わることのできる場所や人に繋がれたり、少しずつ“幸せ”を感じても抵抗感を抱かなくなる状態になれるといいなと思っています。