物心ついた時から、誰かに自分の思いを共感して貰えることなく育ちました。家族は私の思いよりも世間体が大事なようで、祖父母からはいい成績を、両親からは世間体に恥じない行動を求められてきましたが、それには最大限、出来る限り応えてきたつもりです。
しかし中学に入ってから、クラスメイトからのからかいや嘲笑の対象となったり、授業中に嫌がらせを受けるなどしたため学校を休む日が出始めました。休む理由を知った父と祖母は、私に聞こえるように『あいつ(私)の心は弱いなあ、あんなに弱くてどうすんだ』などと玄関口で私を貶し、挙げ句の果てに『あんなに弱いんじゃ、悪口言いたくなる同級生の気持ちも分かるわ』と同級生の肩を持つ発言をされたことで私は父に対し嫌悪感がわき、その時から、父や祖母に重要事項を相談することはなくなりました。母は『父と祖母はほっとけばいい、私はあなたの味方』と私に言ってきましたが私の思いを肯定はしてくれず、言い含められ無理矢理学校に通わされました。学校を休みたいと申し出るも、『出席日数が足りなくなったら進学できない』ことを理由に諭してくる有り様でした。昼間学校で言われたこと/されたことを夜に思い出して泣いてしまうようになってしまい、精神科に掛かりたい、と申し出るも『そんなの思い出さなきゃいい』『何を言われても気にしなきゃいい』と言われ、当然受診も却下され私のメンタルへのダメージなんか全く関心を持ってはくれませんでした。授業や登校に支障が出ているため、学校でカウンセリングを受けることを報告すると『なんでそれを勝手に決めるのか』と怒られる始末。私は母に相談、頼ることが激減しました。
学校ではクラスメイトによる悪口、からかい、嫌がらせが同学年全体まで広がり、クラスメイト以外からも何か言われたりされたりするようになりました。特に担任は『私のような真面目キャラなんか今時流行らない』などと悪くいい、クラスメイトを誘導して私に悪口の矛先が行くようにしていたそうです。私とクラスメイトが揉めても私から事情や話を聞いてくれることはなく、一方的に私が悪いということにされてクラスメイトに強制的に謝罪させられました。クラスメイト以外からは、校庭を歩いていただけなのに、ネットの向こうにいる私に対し後輩に命じてサッカーボールを蹴らせるなどのことをされていました。どこにいても私を嘲笑する言葉が聞こえてきて来るような状態でしたが、担任も他の教師も誰一人助けてくれませんでした。
保健室登校に切り替えようかと養護教諭の先生に相談にも行きましたが、『迷惑なんだけど』と断られて終わり。『あなた教室には行けてるじゃない』と。私が毎日どんな思いで席に着いているかも知らない癖に。
学校にも、家にも、私の思いを共感/理解してくれる人はいませんでした。『どうしたの?』『大丈夫?』『辛かったね』たった5、6文字の言葉ですら私にはかけて貰えませんでした。私は一体どこにいたらよかったんでしょうね。
とっくに中学は卒業しましたが、いまだにこの世からいなくなってしまいたい気持ちがいっぱいです。悪口しか言われなかった、庇われすらしなかった自分がこの世にとって価値のある存在とは思えず、好きにもなれません。こんな価値のない人間、いなければよかった。こんな思いをするのなら、生まれてこなきゃよかった。あるいは生まれてくるのが私じゃなければよかった。家族でも学校でも、自分がその中にいる異物のように思えてしまい苦しくなります。いっそのこと消えていなくなりたい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
消えていなくなりたい
感想2
世間体…私の母も口癖でした。
「やめなさい!恥ずかしい」という高いトーンの声が今も思い出されます。
世間体…世間って何??って嫌な言葉として私の中に残っています。こどもの本当の気持ちよりも目に見えない“世間的”に目を向け否定されるので、どんどんこころがふさぎ込みます。
あなたは親が求めるあなたでいよう、と必死に応え続けたんですね。私もそういう部分はあったのかもしれません。幼少期は親が絶対の存在ですから、そうするしかなかったのかなと思います。(つい私の自分の経験を重ね合わせています)
あなたの中学時代は、四方八方どの方向を見ても誰にもわかってもらえない、それだけではなく嫌がらせなど無理解や暴力が凝縮されたような日々だったのでは…と感じました。特に家族からいじめられたことを弱さのせいにされたことで、2重にも3重にも繰り返し傷つけられたのだと感じました。
こどもが自分の意思を持ち始め、思春期を過ごす中で人との関係をつくっていく一番大切な時期に、家でも学校でもあなたのSOSを受け止めてもらえなかったのだと思います。こども時代に守ってもらえない、助けてもらえなかったことによって、あなたの土台が不安定なものとなって、今もあなたのこころに影響を与えているとしても不思議ではありません。そして何よりも自分の意思や希望が無かったことにされることで「自分が自分を生きる」感触をつかめないまま育つことになります。あなたが最初に書いてくれた“誰かに自分の思いを共感してもらえることなく育った”という部分がそれにあたるのかもしれません。あなたが自分には価値がない、生まれてこなければよかった、消えたいって思うことは無理もありません。
投稿の最後を読むと、もしかしたらあなたはまだ家族の中であまり安心して過ごせる環境で暮しているのかなと想像しました。その環境であなたが感じてきた辛さや違和感のようなものは間違っていないと私は思います。だからこそ学校や家ではない、今までとは違うつながり(例えばこの死にトリなど)の中で、あなたが感じていることをこうやって繰り返し言葉にして欲しいです。それによって、今まで感じなかった気持ちに気付いたり、自分を少しずつ取り戻すことができる力をあなたは持っていると私は思います。
今回はこうやってあなたとつながってやりとりできて私は嬉しく思いました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。特に中学時代の出来事があなたの中に深く影を落とし、今でもその時の影響を感じながら過ごしていることが伝わってきました。自分の思いを伝えても、家でも学校でもその声は届かず、受け止めてもらえないどころか傷つくような言葉をかけられてしまった経験は、どれほどあなたを苦しめたか…「消えていなくなりたい」と思うのも無理はないことだと私は感じました。
学校でのいじめとも言える嫌がらせに対する教師や学校側の無関心さにほとほと呆れてしまいますし、むしろ教師自らがあなたを貶め、クラスメイトを誘導してさらに傷つけるような言動をとったことは決して許されることではないと思いました。また、そこに家族の理解のない反応が加わったことがあなたの苦しさを増幅させたと思うと、勝手ながら胸が締め付けられる思いになっています。子どもは誰しも大人から守られる権利がありますが、実際は守られていないことも多くあるのが現実だなと、あなたの経験談もですがそういったお話を目にすると強く思うことですが、家庭内や学校内で起きていることを個人の問題として捉えるのではなく社会全体がこのことについてもっと真剣に考えていく必要があると私は感じます。身近に、あなたの思いに耳を傾け、受け止めてくれる人は残念ながらいなかった(もしかしたら今もいないですかね…)かもしれませんが、私はあなたがこうしてここに届けてくれた気持ちを、もちろん全て理解するというのは難しいですが、あなたの抱える苦しみ、痛み含めてありのままに受け止めたいと思うということを伝えたいです。
これまで経験してきたことから、そう簡単に自分に価値があるとか自分を好きと思えることや、消えてしまいたい気持ちがなくなるわけでもないとは思うのですが、あなたの思いにしっかり耳を傾けてくれる人はいるはずですし、あなたがこの先少しでも安心して過ごせる場所に出会えたらいいなと願っています。今も家族とは一緒に暮らされていますかね…、十分なケアをこれまで受けてこられなかったのだとは思いますが、あなたがここまで生き抜いてこれた理由の一つとして紛れもなくあなた自身の中にある力だと私は感じますし、どんなことでもいいのでそんな自分を労わってほしいと思ってしまいました。自分の心の声を大切にするためにも、またよければこうして死にトリに思いや考えを届けてほしいです。お待ちしています。