経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

希死念慮と祈り

今は高校三年生
希死念慮、この言葉に出会ったのは自分が高校2年生でした
今まで「死んでしまいたい」と思うことが多くあり、最近まで誰にも話さずずっと自分の中に閉じ込めていました
そうするしかなかった
「死にたい」、この感情を持ち出したのは小学5年生くらいからです
小学生の頃、友達に相談したら「わかる〜」「私も思うことあるよ」
あぁこれは多分思ったことがない人だ
そう思ったことが始まって親からは長子であること、中学受験が迫っていること、最近知ったことですが比べる対象が中学受験に成功して、俳句のコンクールに何度も出て優勝している従姉妹であり自分の子でもできるのではないかという自分に対して大きすぎる期待が重なり誰にも言えなくなりました
結果的に中学受験は失敗し、親からは「出来損ない」「死ねばいいのにw」等今になっても言われ続けています
中学生から今まで受験が失敗してからは模試やテストは上位を取ったり95点以上を取っていましたがそれでも「まだ取れている人いるんでしょ」「もっと上目指せないのw」等言われてしまい今年の6月に睡眠薬を大量に飲んでしまいました
そこからカウンセラーにかかり夏休み前には「死んでしまいたい」という気持ちはあまり出なくなりました
ですが同時期、弟にストレス性の腹痛が出て家族間の空気は不穏で自分にも飛び火して暴言を吐かれたり、殴られたりして限界が来てここに吐き出しています

話は変わりますが、もしも、この文章が親、または親になるかもしれない人に届くなら、これだけは心においてほしい
どうか、自分の子供に大きな期待をしないでほしい、子供達はあなたたちの道具ではなく、一人の人間として誰も歩んだことがない人生を歩む可能性が無限の数あること
子供に部屋を与えるならその部屋で何をしているのか疑問に思っても覗かないでほしい、自分のテリトリーに入られてしまっては家の中であっても安心することができません、自分自身そうです
どうか、誰にも相談できず20歳を迎えずに命を絶ってしまう子どもたちが一人でも減ることを祈っています

感想1

はじめまして。あなたの切実な願いが伝わってきました。教えてくれてありがとうございます。だいぶ長い間、あなたのあり方、言葉、気持ちをしっかりを受けとめ、安心して生活出来る環境ではなかったがために、あなたは自分の気持ちを閉じ込めざるを得なかったのかもしれないと経験談を読みながら想像しました。

まずは初めて話をしてみた時のこと…。きっと、やっとの想いで「死にたい」と初めて話せたのだろうなと思うのですが、友達の返答は、浅い「わかる~」、「私も思うことあるよ」…。本当はずっと閉じ込めていたものだから、重く、ずっしりと大きなものだったと思うけれど、それを軽~く流される?、共感される?のは「ああ、誰にも分かってもらえない」、「受け止めてもらえない」、「話しても無駄かも」なんて、話しをしたことでさらにダメージをくらう出来事かつ、また閉じ込めることにしようと思うようなとても心に残る出来事だったのではないかと個人的に考えました…。(私だったら、そうか~って一旦受け止めて貰いたいなって思ったから…。)
そして、ご両親のこと。勝手ながら、理不尽過ぎる、少なくともそんな言葉は言われたくないし、頑張った、もしくは頑張れなかったとしても自分の存在を認めて欲しいなと強く思いました。そして、勝手に期待をもち、プレッシャーをかけないで欲しいとも。きっと長子で、身近にできる従姉妹がいるという比較されやすい立場にいたことは、期待、そしてそのプレッシャーも大きかったもののように思いますし、それはあなたに相当な精神的ストレスを与えていたのだろうと思います。「頑張らなくてもいいはずだけど、頑張った、いや、頑張らないといけなかったのかもしれない…。」、「頑張って頑張って認められようと、期待に応えようと、親の顔色をうかがいながら走り続けた…。」中学受験のこと、その後の高校での話からそのように感じました。そこで、さすがに結果はどうあれ、その過程を認めてほしいよね、なんて思ってしまいました。それなのに、認めるどころか真逆の暴言、暴力まで…。簡単な言葉ではあなたに返したくないけれど、そういう状況があなたを限界に追いやり、死にたいと思わせちゃったんだろうなと思いました。だから、それらの大きいであろう気持ちを今後もカウンセラーなどの話せそうな大人がいたら話せたら、もしくは死にトリなどで吐き出せたら、少しは楽になるのか?自分の気持ちを大事にして、あなた自身を守ることにつながる?とも考えてみました。

最後にはなりますが、私自身もあなたの願い、そして祈りの部分に「本当にそうだよな」という気持ちでいっぱいですし、そういう社会を作っていかないとな…って私自身も強く思いました。
こうやって社会にあなたの気持ちを発信してくださって、心から感謝です。
経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

あなたの想いと祈りがここに届いたことをまず伝えたいです。同時に「苦しい代弁をさせてしまっているなぁ…。」とも感じた私がいます。あなた自身が苦しんでいなかったらこんな風に願い、祈ることもなかったんだよなぁって、あなたに対して勝手に想いを馳せました。そんな私から感想を書かせてもらいます。

小学5年生のあなたは、共感の言葉ではなく"想い"を聞いて欲しかったのかな…と感じました。
また、親の話では怒りの感情すら覚えながら読みました。「なんで比べるの?」って思わず声が出ましたし、「じゃあその従姉妹の親はどんな人なの?どんな人でもとりあえずこっちもその親と比較してみていいよね?」とも思いました。親からの、あなたを馬鹿にしたような言い方が文章でもとてもよく伝わってきているので、これを音として、言葉で浴びているあなたの苦しさは計り知れないと思います。そして今も言われ続けてるなんて更に苦しいし、私が思うにあなたを追い詰めたのは親であり、あなたのポテンシャルを引き出せないどころか、抑え付けていると感じます。それなのに期待を押し付け、その割にあなたのサポートは一切していないようにも私は思いました。期待だけしておいて、「あとは一人でやってね」というような。また、親の言う・親の考えるような「もっと上」の人や、従姉妹とまるっきり同じになったところで、親はまたよく分からない比較を持ち出してくる人のようにも思いました。私も兄と比較されたり、どこの誰かもわからない「みんな」という謎の存在と比較されてきました。本当に「私はこうなの!"私"なの!」と思うし、勝手に決めて求めたものを当たり前に押し付けること、「兄はこうだったよ、みんなできてるよ」など、それがさも"世間の普通"かのように言ってくることが嫌でした。でも、「親の言うことは全て正しいからやらなきゃ、出来ない私がダメなんだ」と"勘違いしてしまう"こともきっとあると思いました。確実に一人一人違う人間であるし、求めるならそれ相応…いや、それ以上のあらゆるケア、サポートは確実に必要で、せめて二人三脚な状態であってほしいし、なにより"それをこっちが望んでいるか"をまず見て、聞いてほしいと思います。これは私の願いと祈りです。最後に書かれていた「部屋で何をしているか疑問に思っても覗かないでほしい」にも大きく頷きました。私は部屋で何をしてるか疑問に持たれる事がまずなんだか苦手に感じ、「見られてる?」「入られた?」とか"気配"そのものに過敏になり、落ち着くどころじゃなく常に警戒モードでいなければいけない状況は、ものすごく大きなストレスと不安を招くものだと考えています。
そして、「比べられること」だけがあなたのつらさでないということも感じています。ここに吐き出しに来たことで、ほんのちょっとだけでもつらさを出せていたらいいな…と思っています。カウンセラーとは今後もまだ話す機会はありますか?暴力のことや、あなたの想いをたくさん打ち明けてほしいと勝手ながらに思いました。(あなたの気持ち的に、話すことができればですが)あなたの想いと経験をまた知りたいし、経験談だったり他にも死にトリのコンテンツを好きなときに利用してもらえると嬉しいです。

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