経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

傍らの虚無

幼少の頃から、求められたことをそつなくこなせる性質ではなかったと思う。
とは言っても、今のわたしは中学2年より以前の記憶は色褪せている。自分の記憶であるはずのそれを、他人の古びたアルバムがなぜか頭の中にある、とさえ認識している。
そこにあるのは、少しの理解と、おびただしい苦痛で。
ゲームが好きで仕方なくて、大会で準優勝もして。けれどゲームを自分と同じほどの熱を持って楽しむ人は誰一人いなくて。
体を動かすのは動かし方をイメージできなかったからどうしても苦手で、しかし周りには動けないことを嗤う人ばかりで、家族も運動が苦手、ということがわからない人のほうが多くて、勝つために運動する、ということもしようとは思えなくて。
思い込みで酷く傷つけたことも、傷つけられたことに我慢できず反撃したら自分の非がわからない、という反応が返ってきたこともあって。
知ることそのものは好きではあったけど、机に座ってノートを取るのは苦手で、つらいことも重なり追いつけなくなっていき。
もう学校にいきたくない、と母親に話せば、行かなければダメに決まってる、と平然と返され。
中学2年のある日に、とんだ妄想だと自分でも思うが、自分は恐らく一度終わったのだ。なにせ、今のわたしの記憶を自分のものと思える境目は、その日なのだから。
明確に命を絶つことを行ったわけではない。記憶にあるのは、何か致命的なものがぷつん、と切れた感覚だけ。
その日からずっと、わたしの心には底なしの穴が空いているような気がする。自分の名前が自分のものだという確信も、このときから無い。
ただ、その後はどうにか演技を学べる高校を選びそこへ行った。その先なら、自分のような壊れた存在でも、或いはだからこそ示せるものがあると思って。
だが、そこで見たのは、右に倣えを地で行く、形而下に並べることを良しとする教え方、それに伴う、求められる力を示せる者が強い場所だった。
分かっていた。そうしたほうがやりやすいと。適応できないわたしのほうを改めたほうがいいとも。
だけどできなかった。やろうとしても息が苦しくて、気持ち悪ささえ覚えて耐えられなかった。
幸い、それに理解を示してくれる先生もおり、教わった内容は楽しかったし、システムが通信制に準ずるものだったため卒業はできた。
その後、引っ越しを挟み、時間をかけて考え、ゲーム開発を学べる専門学校へ進学。
けれども駄目だった。企業へ進むことを念頭に置いた、自負と責任を背負わなければ、という入学当初のガイダンスを聞いた時、無理だ、と思ってしまった。息をするだけで精一杯で、逃げることしかできなかった自分には無理だと。
結局転校を経て、1年制の学校をどうにか卒業した。
そこからは、もうなにもない。中学2年の時に空いた穴は虚無に変わって、今もわたしの傍らにある。
その虚無にも、ふとした時に苦しくなるのも、もう慣れた。「今日はそういう日か」それでとりあえず息を止めずに済む。
だから、特に苦しさを覚えるのは、この苦しさに理解を示してくれる人がとても少ないこと。母親に、何かしたほうがいい、もっと苦労させればよかったと聞くたびに、気持ち悪さを覚える。
今はもう、絶えず内側から湧いてくる、もう終わりにしたいというそれをやり過ごす、そのためにゲームをしたり音楽を聴く毎日を過ごしている。

感想1

あなたにとっての楽しいこと、得意なことと、得意ではないこと、興味が持てないことが、学校で「当たり前」とされるものと違うことが多くて、たくさん苦労してきたのかなと思いました。「体を動かすのは動かし方をイメージできなかったからどうしても苦手」「勝つために運動する、ということもしようとは思えなくて」の文章は、私がずっと感じていることにとても近いなぁと思いました。あなたはゲームが好きで得意ということなので(ゲームの性質にもよるとは思いますが)勝ち負けを楽しむこと自体に興味がないというわけではなくて、ただそれを運動という領域でやることに意欲や関心が持てないということなのかなと想像しました。別にそれでなにも問題ないと思いつつ、学校ではそれが重要視されるから、ギャップが大きかったのかなぁと思います。
授業でも「机に座ってノートを取るのは苦手」なあなたにとって、本当であれば、「知る」方法はもっと他に用意されるべきだったと私は思います。学ぶということだけ切り取っても、学校の制度は学びのごくごく一部のやり方だけを採用する場なのだと感じます。それによって、得意不得意が周りと違う人は、なにも悪くないのにたくさん苦労をすることになってしまいます。それは理不尽だと思います。

これまでの学校とはなにか違うものがあるのではないかと期待していったはずの高校は、しかし「右に倣えを地で行く」場所だったということで、読んでいてとても残念な気持ちになってしまいました。学校ってどうしても、ある程度はそういうふうになってしまうのでしょうか。それとも、本当はそうではないやりかたもあるのでしょうか?
私はいま発達障害の診断をされていて、以前よりは自分の得意不得意を理解できるようになり、また服薬やタスクの整理などで、不適応の度合いをなるべく下げるような形で生活をしています。文章を読んで私が勝手に共感するからといって、同じではないし、あなたの大変さに発達障害などの特性が関係しているのか、それとも別なのかは私にはわからないですが、あなたにとって無理な適応を強いない状況や環境、またあなたの状況を理解し、一緒に考えてくれるサポーターがあるといいのかなと思いました。

ぽっかりとあいた空洞には、音楽やゲームを流し込んでも、さらさらとこぼれていってしまうのかなぁと想像しました。(虚無が「ある」って不思議な表現で、だけど、そうとしか言いようがない感じもします。)私にも空洞があると思うのですが、そもそも空洞の輪郭を作る私の形がはっきりしない、と思うこともあります。そう考えると、虚無のありかを感じているあなたは、あなた自身の輪郭をとらえているということでもあるのだろうか…などと考えていました。
あなたとあなたの傍らの虚無について、投稿してくれてありがとうございました。

感想2

読ませていただいて、人はどういうときに虚無になるのだろうか…とまず考えました。そのうえで、そこに添えられた「傍らの」という言葉に思いを巡らせてみると、虚無を「感じる」時点ではまだ自分はそこに居るが、その感覚すらも自分のコントロール下にないように思えてしまった時、そこにはより語義に近い「虚無(傍らの虚無)」が生まれるのだろうか…と推測しました。逆に、もしも投稿者さんが人生における「おびただしい苦痛」を真正面から受け止め、立ち向かっていたらどうなっていたんだろうかと考えると、自ずと冒頭の問いに繋がってくるような気が私はしています。つまり、虚無という形を取って、自分の存在と自分に降りかかる苦痛・理不尽を切り離すことは、投稿者さんにとってのサバイバルスキルの一種だったのではないだろうか、という想像です。

これだけ概念的かつ身体的に自分の変遷を語る様子からは、その都度、投稿者さんの中には確かに「嫌だ」という抵抗や、「こうしたい」という希望など、自分の状態に対する自覚があったのではないかと感じました。そして私の価値観としては、そうした自分なりの解釈や感情をもとに自分の方向性を形作っていくのは、(言い方が適切かは自信がないのですが)とても真っ当に人生に向き合おうとしているからこそなのかな…と思いました。
しかし投稿者さんなりの理解や見出した方向性、そして苦痛を、そのままにはさせてくれない、どうにかして「平均的・一般的っぽいもの」に矯正させようとしてくる周囲の環境や社会によって、「自分」でいることを手放さざるを得なくなってしまった…そんなイメージを持ちました(ぜんぜん感覚が違っていたらすみません)。
真正面から向き合うには、社会には理不尽なことが多すぎると思いますが、その理不尽を(望んでいないだろうに)真正面から浴びさせられてしまった投稿者さんの苦痛は、どれほどのものだったのか…そして浴びせるだけ浴びせて、周囲は理解しようとしてくれないなんて…どれだけ惨いんだろうとやるせなく思いました。

「もう終わりにしたい」という思いには連続性のある日々への疲れを感じます。だからこそ「今日はそういう日か」という思いが投稿者さんの命を繋ぎとめていることに、妙に納得した私もいました。同時に、完全に理解することはできないとしても、この感想を通して「理解したい」という私の姿勢がほんのわずかでも届いてほしい、と勝手にですが感じました。
改めて、経験談を投稿いただきありがとうございました。よければまたお待ちしていますね。

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