経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

なんのために生きればいいかわからない

両親が亡くなるまでずっと実家で両親と暮らしていました。特に母と仲が良く、父が先に亡くなってからも二人で出掛けたりして、今思えば母を喜ばせたくて行動していた気がします。母がやっていた宗教の勉強をしていた事もありますが、これも母が喜んでくれるから。周りの人も喜んでくれるから。喜んでもらえることで自分の価値を見出していたのかもしれません。今は遺してくれた家に一人暮らし。猫がいるので猫のために生きている感じです。友達も姉もいるけどそれぞれ家庭を持ってるし、迷惑掛けたくないからこんなこと相談出来ません。猫より先に死ぬわけにはいかないので、猫がいるうちは生きてます。

感想1

短い文章の中に「喜び」の文字が多く見られたことが印象的でした。
一方でそのどれもが、母を中心に誰かの「喜び」のために取ったあなたの「行動」についてであり、どこか虚無感が伝わってくるようでした。

あなたの文章を読んでいて感じたのは、あなたが今「一人暮らし」となったことで、これまでの人生を振り返り、自身の気持ちに気づき始めたところにいるのかなということでした。「宗教」の話に関しては、そうまでして母を喜ばせたい(喜ばせないといけない?)と思っていたあなたとあなたが出会ったように私には見えました。「なんのために生きればいいかわからない」という問い(悩み)は、あなたがこれまであなたの気持ちを抑え続けざるを得なかったところから、あなたの気持ちを聞くところにたどり着いたということなのかもしれないと私は考えました。
私の話で恐縮ですが、あなたと境遇は異なるものの、私も誰かに「喜んでもらう」ことで「価値を見出す」感覚を抱いて生きていた時期がありました。そのときは確かに「喜んでもらえる」と「価値」を感じたり「喜び」を感じたりしていた気がしますが、いつもどこか安心できなかったり、自分ってなんなんだろう(なんのために生きているんだろう)と考えたりして悩んでいた記憶があります。当時の私はその悩みに自分ですら気づいてなく、たまたま出会った人と話をしているうちに思いがけず、私が自分自身の「価値」やどう生きていけばいいかの答えを求めて苦しんでいたのだと気づかされました。誰かと話をすることで、自分でも気づかない何か(気持ち)と出会うこともあるのかなと私は経験から思っているので(私の場合ではありますが)、ここでよければまたあなたの気持ちを書きに来てもらえたらなと思いました。投稿ありがとうございました。

感想2

母と一緒に過ごした家に変わらずいるのもあって、あらゆる所に母を思い出すものもあり、それに伴って「今まではこうやって生きてきたなぁ」など思うことや感じることが日々多く、そこから繋がって自分自身についてふと考えたり「何のために生きれば、どう生きていけば」って考えが多く出てきているのもあるのかなと感じました。そして自分以外の誰か…特に「母を喜ばせたい」の想いから、あなたがとる行動だったり思考が決まっていたんだなぁ…と色々想像しながら読んでいました。同時に私が思ったのは、"喜んでもらえることで自分の価値を見出す・母を喜ばせたいの気持ち"と共に、その行動はただ単純に"あなた自身の喜び"でもあったこと、そこへ繋がっていた瞬間もあったのかな、とも思ったんです。(全然違う可能性もあるとは思っているので少しドキドキしています)ここの気持ち…想い?を詳しく書かれていなかったので、教えてもらいたいとなっているところです。
猫がいるとのことですが、どんな子ですか?いつか猫と暮らしたい想いがあるので気になっています。私も犬と暮らしていた時「この子より先に死ぬわけにはいかない」と思って生きていたので、なんだかあなたのその気持ち分かるなぁって思いました。私はその時、話せる人がいなかったので犬に話を聞いてもらっていました。「こんなことがあって。私はこうしたかった。本当はこう思った」など声に出して話して沢山聞いてもらったことを今思い出させてもらいました。あなたの考えだったり、感じていたこと・今のことをもっと聞けたら嬉しいです。よかったらまたここを活用してください。

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