経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

つかれてしまった

わたしは男性です。もう何年も自殺願望をもっています。
30代のころに仕事のストレスのためか体を悪くしました。薬を持ち歩かねばならず、死について考えることが始まりました。そして、自殺願望が止まないようになり、精神科に通うことになりました。その後人間関係で辛いことがあり、自殺未遂を何度かしました。それでも仕事だけが生きがいで、なんとか環境を変えずにいたかったのですが、会社は私を詐病と考えて転勤を命じ知らない土地へ行かされました。酒と煙草と精神薬とセックスに溺れました。そして精神科に予言されていたように私はいつしか躁状態に入りました。ものすごく頭が働くのですが攻撃的で支配的な人格でした。それが何年か続き、いくつも人間関係の衝突を繰り広げてきました。ところがコロナ以降、まったく元気がなくなり、鬱です。呼吸が苦しく、なにもかも全く無価値にしか思えません。あと数年も生きられないだろうという確信があります。病気で死ぬのか、自殺か、いずれにせよもう死ぬでしょう。私が突然消えても何も変わらず日々は過ぎていく。誰も困らないし、死んだ私のことなど思い出さないだろうと虚しくなります。過去の記憶があいまいになり、ほとんど思い出せないようになりました。辛かったことも楽しかったことも。人と話すことが億劫で、だれとも会いたくありません。カウンセリングを始めましたが何人もの人格のようなものがいて、互いに憎しみあっています。もう疲れてしまいました。

感想1

あなたがこの感想を読んでくれているかなぁ…と考えながら、今書いています。
投稿を読みながら、自分が自分じゃなくなるどこか遠くなる感覚・あなたを、もう一人のあなたが見ていてそれで経験談を書いているような客観的な様子を私は感じました。そこには諦めや疲労、絶望の気持ちも含まれている気がしました。体を悪くしたのは仕事のストレスだと感じてはいたけど、生き甲斐も仕事にあったこと…。「仕事だけが」の”だけ”の言葉の中に、ここには書かれてないような仕事以外での場から感じるつらさも多くあったことを考えています。あなたをここまで追い詰めたのは仕事が大きく、人間関係のつらさと転勤がトドメになったかのようにも思いました。望まぬ環境の変化は苦しく、突然全く知らない土地に放り出され、精神的負担も不安も大きかったはずです…。とっても怖かったと思います。また、鬱状態の時だけでなく、躁の時の「攻撃的で支配的な人格」の時や何かに溺れている状態のあなたには、深い悲しみが沢山あったんじゃないかと思いました。どんなに攻撃的でも、「この状態はなんなんだ」「一体どうなってるんだ」って感じ、苦しんでいたのでは…と色々と考えを巡らせてイメージしています。
カウンセリングでは本心を少しでも話せているのでしょうか…。状態を考えるに、それも中々難しいのかなとも感じているところです。またあなたの状況を聞くことができたらいいなぁ…と勝手に思っている私がいるので、書けそうな時にまた投稿してもらえたらと思っています。

感想2

タイトルの一言が、読み終えてよくよく納得してしまう言葉だと感じました。
長い間、ジェットコースターのような感情の波を潜り抜けて、身体も心もほとほと疲れてしまったのですかね。希死念慮を抱きながらも唯一の拠り所であった「仕事」が不安定になり、周囲に理解してもらえないショックと環境の変化の影響は相当に負荷のかかる出来事だったのではないかと想像しています。
「自分がいなくなっても世界は何も変わらない」と、私自身も死にたい気持ちに全身を乗っ取られたときによく感じています。不思議なもので、自分の中ではほぼ確信だと思って間違いないと思っていることを、他者を鏡にして自分に向けられたいま、その気持ちは痛いほど共感してしまいますが簡単に同意できない自分がいます。また、偉そうに言えないし言いたくないなと思いつつも、現在の状態はなかなかに調子の悪さが底を打っているように感じています。これだけの苦しさを前にして、将来に絶望してしまう気持ちも無理はないと思っています。
冒頭で「死について考えることが始まりました」と書かれていますが、それはどんなことなのだろうと少し気になり、一緒に語り合ってみたい気持ちもあります。よかったらまたお話を聞かせて下さい。経験談への投稿ありがとうございます。

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