経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
文章が乱れていると思いますが、ご容赦ください。
生きることが本当に苦手で、向いていないなと思います。
大多数は、生きるために仕事をします。私は少数派になる運も意志もないので大多数に収まっています。
仕事がある日は毎朝起きて、身支度を整えて、人でいっぱいの電車に乗って、決められた時間だけ職場に拘束されて、その中で嫌な思いをしたって仕事は溜まっていくばかりだから逃げても後々自分が大変な思いをするような場所で、仕事へのやる気だって持てなくて、やっと解放される時間だと思ったら周りは残業して帰りづらくて、帰る時もまた人でいっぱいの電車に詰められて、帰るだけでも時間がかかるから家に着いた頃にはもう夜で、ご飯を食べて、胃を休ませてお風呂に入って、明日も仕事に行くために早く寝る。せっかくの休日も、何もなければダラダラと記憶にも残らないような動画やSNSを見たり寝たりして、時間を無駄にしたなって思っちゃう。日曜になったら明日の出勤のために体力を温存しなきゃって考える。休みが終わったらまた5日間も時間を奪われるのかって憂鬱になる。
そういう生活です。
その全部がどうしようもなく嫌になってしまいました。
仕事が嫌で働きたくない、という話はよく聞きますが、仕事が嫌とかじゃなくて、働くことに対する一連のこと全てが嫌です。転職もしましたが、職を変えてもどうにもできない。うまく手を抜きたくてもうまくできない。なんとなく行けない、って思っただけで休んだり早退したりしてしまう。元々ちょっとしたことをずっと気にしたり、過剰に反応してしまうところもあるので余計につらさを手懐けられない。
働きたくない一方である程度働くことだって心の健康に必要だってわかってるんです。金銭的な余裕や外部との繋がり、予定があること、外に行く機会があることがとても大事だってわかってるんです。それらが原因で一度調子を崩したので。だから自分の健康のためにも働いていたいという気持ちが多少はあるんです。
でも最近限界が来ているみたいです。
生きるためには働かなきゃ。でもなんで生きなきゃいけないんだろう。何十年もこんなにつらい中を生きていかなきゃいけないなんて。そういう気持ちが強くなって、早めに人生が終わればいいのに、とか、ここで死んでもいいんじゃないか、とか思うことが出てきました。仕事するのを辞めて金銭的に困ったり誰かに依存して迷惑をかけるくらいなら私はいない方がいい。
少し前までは自分が死んだら少人数でも悲しむ人がいるからダメだと思えていたのですが、最近はそのブレーキも効きづらくなっています。大切な人は「だめだよ」って止めてくれます。優しくて大好きだから大切にしたい。私が死ぬことはその人も深く傷つけてしまうのに。でも生きていても私のネガティブな気持ちで相手を悲しませてしまう。じゃあ居なくなったほうが悲しませる期間は短くて済む。
泣いたり寝たりしたら一度感情がフラットに近づくからマシになりますが、本当にダメな時が来るんです。
実際にどう死ぬかとかは考えないですが、自分の貯金を誰にどう分配するかとか考えます。
死ぬ勇気は今のところないけれど、ふっとブレーキがなくなって、居なくなる条件が整ってしまったら、自分はどうなるのかなと。
これからどうしたらいいのか、どうしたいのかもよくわかりません。
感想1
私自身、「人生」や「仕事」のバランスなどについてよく考えるためか、タイトルに惹かれて感想を書きに来ました。
あなたの日々のルーティンを聞くと、休日は「ダラダラ」したくもなるだろうし、休み明けを思って「憂鬱」にもなるだろうなぁ…と率直に思います。私も「生きるために仕事」をしていますが、なるべく自由な働き方をしようと思って生きているので、私はあなたの言うところの少数派となるのかもしれません。それでも休日(に限らず毎日かもしれません)は「ダラダラ」したくなりますし、仕事を思って「憂鬱」になることが多々あるので(それを悪いこととも思っていませんが)そう考えると、もし私があなたのような生活を送っていたとしたら「限界」がすぐに来るだろうと正直思いました。
実際私は、仕事ではないものの満員電車に乗り、決められた時間だけ拘束される暮らし方を経験したことがありますが、体に反応が出てしまい、この暮らし方は私には無理なんだなと思わされてきました(このことは私にとって「生きることが向いてない」と感じる瞬間のひとつでもありました)。そうした経験をしてきた私からすると、あなたの「過剰に反応してしまう」といったそれは、「過剰」なのではなく正常な反応なのかもしれないと感じます。
ただ、「うまく手を抜きたくてもうまくできない」といった話からは、そうした反応が出てもなお、あなたはある意味で今の働き方に適応できてしまう力を持っているのかもしれないと読んでいて感じました。できる人はでき続けるように、あるいは、よりできるようにと求められ続けてしまう社会であるがために、あなたはその流れに乗らざるを得ない環境にいて、あなたのペースで生活ができなくなっている(できなくさせられている)のかなと想像します。それが「全部がどうしようもなく嫌になってしまった」という気持ちや「限界」につながっているように私には見えました。
その中であなたが紡ぐ「働くことに対する一連のこと全てが嫌」という言葉や「自分の健康のためにも働いていたい」という言葉は、「健康」(人生)や「仕事」について悩む人の共感を呼ぶ言葉(感覚)なのではないかなと感じました。その言葉が出るところに、あなたが自身の「人生」や「仕事」について、これまで向き合い続けてきたことがうかがえるような気がしました。そして、そのことは「生きるためには働かなきゃ」いけないという現実と、そこで求められる「働き方」というのは、健常で力のある人が基準となっているのだなということにも改めて気づかされた気がします。
いまあなたがどのような職種で働いているかがわからず、ずれた話になってしまうかもしれませんし、その相談や提案自体が労力のいる大変なことだと思いつつですが…リモートワークや時間帯を調整できるような「働き方」にもしできたら、少しは「嫌」な「一連」が減り、「健康」のためになる「働き方」に近づくということもありそうでしょうか。私にはあなたが今の環境にひとり必死に合わせて生きているように思ったため、環境の側があなたに合うように調整がされてもいいのではないかなと思いました。
「ふっとブレーキがなくなる」という不安はきっと大きいだろうと思うのですが、あなたがその不安を、そして「仕事」に対する考えや「どうしたらいいか」をひとりで抱えずにいられるといいなと感じます。「こんなにつらい中を生きていかなきゃいけないなんて」という気持ちを私も抱えながら生きていて、どのように生きていけばいいかも「よくわからない」中、あなたの経験談を読んで(勝手ながら)様々考えさせられました。またよければこうして書きに来てもらえたらと思います。投稿ありがとうございました。
感想1
私自身、「人生」や「仕事」のバランスなどについてよく考えるためか、タイトルに惹かれて感想を書きに来ました。
あなたの日々のルーティンを聞くと、休日は「ダラダラ」したくもなるだろうし、休み明けを思って「憂鬱」にもなるだろうなぁ…と率直に思います。私も「生きるために仕事」をしていますが、なるべく自由な働き方をしようと思って生きているので、私はあなたの言うところの少数派となるのかもしれません。それでも休日(に限らず毎日かもしれません)は「ダラダラ」したくなりますし、仕事を思って「憂鬱」になることが多々あるので(それを悪いこととも思っていませんが)そう考えると、もし私があなたのような生活を送っていたとしたら「限界」がすぐに来るだろうと正直思いました。
実際私は、仕事ではないものの満員電車に乗り、決められた時間だけ拘束される暮らし方を経験したことがありますが、体に反応が出てしまい、この暮らし方は私には無理なんだなと思わされてきました(このことは私にとって「生きることが向いてない」と感じる瞬間のひとつでもありました)。そうした経験をしてきた私からすると、あなたの「過剰に反応してしまう」といったそれは、「過剰」なのではなく正常な反応なのかもしれないと感じます。
ただ、「うまく手を抜きたくてもうまくできない」といった話からは、そうした反応が出てもなお、あなたはある意味で今の働き方に適応できてしまう力を持っているのかもしれないと読んでいて感じました。できる人はでき続けるように、あるいは、よりできるようにと求められ続けてしまう社会であるがために、あなたはその流れに乗らざるを得ない環境にいて、あなたのペースで生活ができなくなっている(できなくさせられている)のかなと想像します。それが「全部がどうしようもなく嫌になってしまった」という気持ちや「限界」につながっているように私には見えました。
その中であなたが紡ぐ「働くことに対する一連のこと全てが嫌」という言葉や「自分の健康のためにも働いていたい」という言葉は、「健康」(人生)や「仕事」について悩む人の共感を呼ぶ言葉(感覚)なのではないかなと感じました。その言葉が出るところに、あなたが自身の「人生」や「仕事」について、これまで向き合い続けてきたことがうかがえるような気がしました。そして、そのことは「生きるためには働かなきゃ」いけないという現実と、そこで求められる「働き方」というのは、健常で力のある人が基準となっているのだなということにも改めて気づかされた気がします。
いまあなたがどのような職種で働いているかがわからず、ずれた話になってしまうかもしれませんし、その相談や提案自体が労力のいる大変なことだと思いつつですが…リモートワークや時間帯を調整できるような「働き方」にもしできたら、少しは「嫌」な「一連」が減り、「健康」のためになる「働き方」に近づくということもありそうでしょうか。私にはあなたが今の環境にひとり必死に合わせて生きているように思ったため、環境の側があなたに合うように調整がされてもいいのではないかなと思いました。
「ふっとブレーキがなくなる」という不安はきっと大きいだろうと思うのですが、あなたがその不安を、そして「仕事」に対する考えや「どうしたらいいか」をひとりで抱えずにいられるといいなと感じます。「こんなにつらい中を生きていかなきゃいけないなんて」という気持ちを私も抱えながら生きていて、どのように生きていけばいいかも「よくわからない」中、あなたの経験談を読んで(勝手ながら)様々考えさせられました。またよければこうして書きに来てもらえたらと思います。投稿ありがとうございました。