経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

恵まれているのに全部投げ出したい

毎日毎日朝起きると体が重くて、登校しても学校のトイレで何回も泣きます。
家族はみんな本当に仲が良くて優しくて、旅行に皆で行ったり、やりたいことをやりなさいと言ってもらえたり、家庭環境にはとても恵まれていると思います。
友達もそうです。私も友達たちもクラスの明るい部類の人ではありませんが、皆私のことを好いてくれていて、遊びに行く予定を立てると必ず私を誘ってくれます。

こんなに恵まれた環境なのに、私はずっと辛い。
昔からマイペースな飽き性で、やりたいことだけやる性格でした。そのせいなのか、宿題や課題はまるで出来ませんでした。また1人で遊ぶことが多かったからか人間関係も全く上手く構築できず、少しですが嫌がらせや冷たい視線を感じるようになりました。
苦手だった人間関係もほんの少し安定してきたとき、今度はより成績というワードが重視される中学校に放り込まれて、悩みの種はそれまでの「人間関係」からだんだん「勉強」へと移動していきました。

やりたいことだけで生きてきた私は、勉強をする、宿題をやる、といった当たり前に出来ると言われるような「努力」がまるで出来ませんでした。
親からは提出物だけは漏れなく出せと言われますが、出してるよと嘘をつくばかりで実際は1ミリも出せず。三者面談で提出していないのがバレて親に説教をされるという流れを面談の度に繰り返しました。それでも私は親の言う「努力を”しなかった”」というワードは使いたくありませんでした。実際はしなかっただけなのに、「出来なかった」と言いたかった。そんな風に何も出来ない、やろうとしない私に複雑な感情を抱いて、今現在も同じ悩みをずっと抱えています。

出される課題の量は皆同じ。難易度も内容も全部同じ。なのに私だけが配られてから提出までに倍以上の苦労を要していました。
半分以上終わっていない夏休みの宿題。
親には「提出物が出せなかったら高校すら入れなくなるぞ」と何度も念押しされ、その度にちゃんと出してると嘘をつき、言う度にバレた時が頭をよぎって頭がまっしろになるような感覚がしました。
今日も、自席で出せる宿題をまとめた薄っぺらい束を見つめては、ため息とやるせなさと罪悪感と不安感に襲われていました。

「ごめんなさい
やらない私を許してください
出来ない私を許してください
自分のせいなのに辛いとこぼす私を許してください
あんなに愛情をもらったのに生まれてこなければと考えてしまう私を許してください
こんなに恵まれた環境なのに死にたいと思う私を許してください」
トイレにこもってずっと泣いていました。
久しぶりにあんなに嗚咽を漏らして泣いたなと思います。
もう嫌でした。
ずっとずっと前から何もかも辞めたいと思っていました。
恵まれてるから、私が悪いから、私が頑張れば全部解決する話なんだとずっと言い聞かせていました。
周りのせいにするのは間違っていると思い込むようにしていました。
でももう嫌です。何もかも嫌いで全部投げ出してしまいたい。今すぐ死んでしまう想像を何度したか分かりません。
母から優しさを貰ったあの光景が頭をよぎる度に、今の辛さや死にたいと思う気持ちが合わさって涙が止まらなくて、罪悪感や他にも色々な複雑な感情に苛まれて、そんなことをしていたらいつの間にかトイレの中には涙の染みたトイレットペーパーが沢山投げ込まれていました。

この先の未来、やりたいことも将来の夢も、働いている姿すらも見えません。
私みたいに何も出来ない人間は、きっと大人になってもやりたくないことを上手くこなせなくて、仕事なんてきっとすぐにクビになります。もう生きたくないです。でも死ぬ勇気を出すこともその痛みに耐えることも出来そうにありません。
生まれてこなければ、最初から居なかったみたいに消えられたら、ずっとそう思っています。
苦しいです。でも優しい皆にはこんなこと言えなくて、ずっと私だけが重いものを背負っています。

感想1

とても苦しい気持ちが伝わってきました。自分ではどうしようもできずに、自分を責め続けている日々を過ごしているのだろうと思うと、何とかそこから抜け出す方法はないものかと考えています。
あなたの経験談の一つのテーマとして私は「努力とは何か?」という問いを思い浮かべました。あなた自身も周囲ができるような「努力」ができないし、周囲からも努力をしなかったと言われるようなことが多くあると書いていますが、私にはとても努力をしている人のように見えました。それで、そもそも「努力って何だろう?」と考えたのです。
ヒントになると思ったのは、夏休みの宿題について書いてある「出される課題の量は皆同じ。難易度も内容も全部同じ。なのに私だけが配られてから提出までに倍以上の苦労を要していました。」のところです。あなたの言う通り、一人ひとりの力は違うはずなのに、全員に対して同じ宿題が出されることがおかしいと思います。それぞれの力量に応じた宿題が出されるのが妥当だと思います。もしくは、自分ができそうな分の宿題を自分が決める仕組みであってもいいと思っています。そして、そんな不平等に気付いているあなたに大賛成したい気持ちです。

それともう一つ「恵まれているのに」とありましたが、「本当に恵まれているのか?」と疑問に思いました。少なくとも力量に合わない宿題を一方的に出されたり、自分なりの努力に気づいてもらえなかったり、こんなに苦しい思いをしているのに、誰にも打ち明けられずに抱えているのは「恵まれている」わけではないと感じてしまいました。そう思ってよく考えてみると、あなたが書いてくれた「恵まれている」というのは、周囲から見てとか、一般的に考えてとか、他と比較すると自分の置かれた状況は悪くはないし、「周囲のせいにはできない」という意味なのかなと思いました。もしそうだとしたら、私はあなたの苦しさの原因が誰のせいか、何のせいか関係なく、今こんなに苦しいということが真実だし、その苦しさをそのまま受け止めたいと思いました。誰かのせいにしなくてもいいし、自分のせいにもしなくてもいいと思ったのです。そして、タイトルにもあるように「全部投げ出したい」のなら投げ出してもいいよと言いたくなりました。
一度、投げ出してみて、リセットしてみたら、違う世界が見えるかもしれないですし、改めてわかることもあるかもしれないと思いました。ただ、これだけ真摯に物事に向き合う様子から、簡単に投げ出すこともできないのだろうとも感じます。現実的に全部投げ出すことは難しいかもしれませんが、心の中で優先順位を変えたり、何を大切にするかと決めたり、これまで大事だと思っていたことを投げ出したりすることはできるように思いました。なぜなら、あなたは心の中で何が大切なのか感じ取り、わかっている人だと思ったからです。わかっているからこそ、悩み苦しんでいるのだろうと私は感じています。
そうはいっても、目の前にある苦しさがすぐに何とかなるわけではないと思います。死にトリはこうして気持ちをそのまま受け止めるしかできませんが、少しでも心の中に何かを投げ出すことに役立ちそうなら、いつでも来てください。待っています。

感想2

「恵まれているのに」という言葉が目に留まりました。私も幼少期から社会人1年目くらいまでの間は特に、「どうして自分はこんなにダメなんだろうか」という苦しい問いを、擦り切れるくらい何度も何度も繰り返してきました。
やらなければいけないことがどうしても出来ない、やった方がいいと頭で理解できてもそれは変わらず、テストや受験、卒業単位などの「頑張らなきゃいけないこと」は毎回最低ラインをかろうじてクリア(出来ない時も勿論ある)する人間でした。社会人1年目に入った会社は、すぐに定時出社と興味のない出世に必要なスキルを求められて3か月で行けなくなりました。
「やれるはずなのにできない」その壁にぶち当たるたびに、強烈な自責に襲われました。自分には「できない」理由なんてないはず、なぜなら「恵まれている」から…そう思うと、いよいよ「やらない」自分が悪いとしか思えず、苦しさから逃れるには「やる」しか選択肢がないだろうに、やっぱり「できない」…そんなどうしようもないループは全然断ち切れなかったです。とても近しい感覚を投稿者さんも持っているのかな、と感じているのですが、どうでしょうか…(ぜんぜん違ったらごめんなさい)。

今でも、どうしても頑張れない時がたくさんあります。苦しい時間は社会人5年目になってもなくなってくれないです…。
でも一つだけ、今の私から言えることがあるとすれば、「やらなければいけないことが出来ない」人は思った以上にたくさんいるし、「やらなければいけないわけじゃない」ことも想像以上にたくさんあるよ、ということです。仕事や日々の暮らしの中で「やらなければいけない」とされていることが、強烈に苦手で、全然出来ていないけど、それでも誰かの助けを借りたり機械に頼ったりしながら生きている人は、実は山ほどいたりします。また、「苦手」や「やりたくない」ことをとことん避けて、できることや興味を持てることだけで生きているひとも結構います(今の私もそんな感じです)。それは運やタイミングというものもないわけではないと思いますが、それ以上に、「出来ないなりに何とかなる」ということや、「出来ることは決して当たり前じゃない」ということに気づいたからだと私は思っています。
学校で、親に少なからず頼らないと生きられない今の状況では、中々全部を「投げ出す」のは難しく感じるかもしれません。ただ、社会人になるまでは今の環境で耐えよう…ということではなく、今歩いている道や、周りの同級生たちや家族が歩いている道だけが全てじゃない、と伝えたいです。出来ないことが出来るようになる、それ以外の道もあるよ、と頭の片隅にでも置いてもらえたらいいなと感じています。投稿ありがとうございました。

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