男性皆が嫌な人ばかりじゃないと分かっているし、むしろ1番辛かった時期から今日まで、好きな男性アーティストやゲーム実況者が居てくれたから、楽しく生きれている。
それなのに、1番辛かった時期にさせた小・中学校時代の男子のせいで、身の回りで出会う優しい男性に対して「この人も、小・中学生の時に出会っていたら、周りに同調して私に嫌がらせをしてきたのかな」と考えてしまう。小2の時、初対面で挨拶を交わした程度の隣の席の男子に何故か、授業中ずっと頬に鼻くそを何度も付けられて、「やめて」と言って取っても「取るなよ」だなんて意味の分からないことを言われたし。その後別の人達に、計算問題を発展問題から基礎問題の順に解いただけで何故か「カンニングしただろ」と言われ、机を離す・無視するなどの軽いいじめを受けた。初めて、死にたいと感じた学年であった。高学年になれば、学年の男子皆から嫌われていた。体育の着替えで、女子が移動している時「1人だけ男子がいる」とか授業中に何回も肩を叩いてくるのに、振り向いたら「え?何?」と言うか無視したら「無視するなよ」って意味の分からないことを言ってくるし。実際、当時は他の女子よりも腕や足が毛深くて、女子の特徴は無かったけれども……。
中学でも皆同じところに行くから、環境は変わらなかった。だから、私にずっと優しかった男子は、私の嫌いな男子に体育の時に嫌がらせされ続けて、中学に上がったら不登校になって会えなくなった。変わらず、「お化け」とか「気持ち悪い」とか廊下を歩いてる時に横切りながら言われ続けた。それに、給食完食教育をよく行う先生が居たから、定期的に私の学年でクラス対抗の完食対決が開催されていた。その上で、クラス内での班対決があった。おかわりする度にポイントが入る、ポイントが多い班が勝ち。思春期の男子にとって、「勝ち」は特別なものだから、開催される度におかわりができない私に対してため息をつかれたり、「ふざけるなよ」って何回か怒られた。なんなら、それが初めて開催された時は盛られるだけ盛られた給食が20分で食べきれなくて、先生に怒られた。その後も、ものによって食べれる時はあったけれど、食べれない時もあった。更に、クラス対抗の完食対決が期間が長引くし、授業よりも給食がしんどかった。自分さえ居なければどれだけ、皆が幸せな気持ちになれるのかがよく分かった。でも、コロナになってからは、対決が無くなったので凄く幸せだった。本当に幸せだと感じてしまった。コロナに苦しんだ人は沢山いるのに、本当にごめんなさい。勉強も運動も出来ない、人との会話もまともに出来ないから一日中何も喋らないことが多かった。
そんな自分でも、高校時代は楽しかったから、報われてよかったです。でも、体育のチーム戦は自分がどれだけ無能で居ない方が良かったのかが顕著に出ていて、しんどかった。それでも、「気持ち悪い」とか毎日言われないですむ毎日が、こんなに幸せなのだと感じることができて、本当に幸せで楽しかった。ただ、大学生になったら今でも、急に話しかけてきたのにも関わらず、私の顔を見た途端に分かりやすく微妙な反応をしてくるような男性陣に出会ってしまうから、「やっぱり男性って怖いな」という気持ちが強まってしまうのが辛い。
対して、女性も男性程では無いが怖いと感じてしまうのも辛い。普段、会話する分には問題ないけれど、「○○ちゃん可愛い」という話題だけがどうしてもしんどい。結局のところ、自分がもっと可愛いと言われる努力をすればいい話に過ぎないまたは、そもそもそのような話題を気にしなければ良いだけの話。だけれど、やっぱり周りが「○○ちゃん可愛い」と顔や服に対して言われているのに対して、自分は特にないから「自分はこの場で邪魔な存在だな」と感じてしまうのが辛い。可愛いで埋め尽くされた空間に、可愛くない自分が居るのは良くないと思うから。男性からも女性からしても可愛くない気持ち悪い顔だし、可愛いと言われたいという気持ちで埋め尽くされた自分が気持ち悪い。
長年仲良くさせていただいているネッ友の方と、近いうち会いそうですが、「あ…可愛くないな……」と思われるのが目に見えているので、どうしたら少しでも思われないようにできるか沢山策を練っていきたいと思う。メイク・髪型・服装、可能な限り可愛いと思われるように、調べて自分に身につけて、隣で歩けて万が一顔を見られても何も思われないようにしたい。「気持ち悪い」と思われるのだけは避けたい。女性・男性それぞれ1人ずつに会うので、並んでもふさわしくなれるように。もし、写真を撮るとなった時、「写真撮れて良かった!」と思って欲しい。「やっぱり、思ってた見た目と違うな……」と悪い意味で写真を見て欲しくないから。そりゃあ、「ネッ友に会うこと」が重要なのは分かっているけれど、+その友達が可愛い子だったの方が良いのは確かなので。その方が本人に誇らしく感じてもらえるし、私は必要だと、可愛いのだと思ってもらえるから一石三鳥。将来、もしかしたら出会う男性にとっても、私が可愛いければ、周りに自慢できるから。可愛い彼女がいると、ステータスになるから。
過去に囚われて可愛いに囚われてる自分が結局、気持ち悪いに過ぎないだけの話です。可愛いければ、男性からしたら自慢の彼女にできる、女性からしたら自慢の友達にできる。私にとっても、誰かの自慢になれる、必要な存在になれる。そんな気持ちに囚われているのが、傍からしたら結局、気持ち悪いに過ぎない。何処までいっても、「気持ち悪い」と言われたのは正しかったのかもしれなくて、しんどい。
私は、可愛くないなら、別に要らないし、可愛いに囚われているし、しかも皆の気分を害する気持ち悪い存在。可愛いなら、誰かに必要とされるし自慢にもなれるけど、結局可愛いに囚われているから気持ち悪い。
どの道、気持ち悪いことには変わりなくて、しんどい。そこまで考えてしまう自分が気持ち悪くてしょうがない。
感想1
これまであなたが他者の勝手な視線や行動、言葉の中で深く苛まれてきたことを感じています。例外がたくさんあると頭ではわかっていても、これまでに無意識のうちに学んできたパターン認識のようなものがあるのかなと思いました。とくに怖いと感じるものについて、私たちはパターン的に理解することから逃れることがむずかしい頭を持っているのかなぁと考えることがあります。○○恐怖症というものがたくさんあるのもそう考えると自然であるような気がしていて、危険を感じる出来事があったときに、「こういうパターンは危ない」と無意識に刻みつけることで、なんとか次に苦しみや危険を避けるための機能なのかも、と思います。(勝手に私がそんなふうに想像しているだけですが……。)
あなたの場合は、小中学校のときの男子生徒からの繰り返しのひどいことの中で、苦痛のパターンとして深く刻みつけられたことがあるのかなと思いました。その一つは男性という属性に対する恐れだと思いますし、もう一つは「気持ち悪い」という評価、あるいはルッキズムと呼ばれるような評価のまなざしへの意識なのかなと思いました。あなたがあなたなりに対処しようとしてきた結果とも言えそうだと感じていますし、怖いと思うのも無理はないと思いました。
「○○ちゃん可愛い」というルッキズムを前提にした話題は、とても無遠慮にされることが多いし、していいものだということにされているような気がします。でも、個人的には、容姿への評価は、プラスの評価であろうとマイナスの評価であろうと、暴力的な感じがします。
実際、世の中では容姿に対する比重がとても多くて、少なくない人がそれに駆り立てられているとも思いますし、私自身もそういう感覚を内面化しているところがかなりあると思います。電車に乗ると美容整形や脱毛などの広告にあふれていて、とても怖くなります。もちろんそれも一つのやり方だとは思うのですが、そこにある「可愛い」だけが正しいと言われているような感じがしてしまいます。そういう価値観によって比較され戦わされてしまうような状況で、「可愛いで埋め尽くされた空間に、可愛くない自分が居るのは良くない」と感じることも自然な流れのように思います。そんなふうにあなたの切実な疎外感を作ってしまう環境に対して、なんて暴力的なんだろうという気持ちになっています。
友達や恋人が可愛いということが自慢になる、というとき、それはその人をステータスとしてみているのであって、人として関わることは二の次、三の次になってしまっているような気がします。
あなた自身は「可愛いに囚われている」と書いてありましたが、最近読んだ本に、いちばん気づきづらく、しかも抜け出すことのむずかしいアディクションは思考ではないかと書いてありました。「こうであるはず」という考えは、付け焼き刃で「違う」と思ったところで簡単には変わらなくて、それが自分を苦しめてしまうことも多いなと私自身思います。あなたの辞書の中で、「可愛い」の対義語は「気持ち悪い」なのかな?と思いました。(違っていたらすみません。)そしてその二つの言葉がとても強い意味を持つストーリーをあなたは持って、それに苦しみながらも生きてきたのだと想像しています。その二項対立には含まれないものの中に、あなたが気楽に過ごせたり、楽しいと思えたりするものはないだろうか…と思いました。
と言っても、そんなに簡単なことではないと思うので、思考がぐるぐるしたり、どうしようもない気持ちになったときには、よかったらまた言葉にして送ってください。
あなたが受け取り感じてきたことを教えてくれてありがとうございました。