私は数年前まである体操クラブに通ってました。しかし、そこが好きな子と嫌いな子の差別が激しく、私は嫌いな方の子でした。周りに共感してくれる子がいたから、まだ死ねないと思って頑張っていました。けど、大会前に熱を出したことから心がぽっきり折れて、体操クラブはやめました。けど、体操クラブに人生の75%以上行っていて、どうしても記憶から離れなくて、いまでも苦しんでいます
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
些細なことから
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。
人生の75%以上ということは、わりと幼い頃から通っていた場所なのかなと想像しています。体操クラブで努力してきた時間や、仲間と過ごした積み重ねや、苦しみも含めて、これまでの人生の一部(それは自分という人間の一部とも言える気がします)となっているのでしょうかね…。だとしたら記憶から離れないのは自然なことだと感じましたが、どこかに吐き出したり話す中であなたの中で整理がついていったら、苦しみが少しずつ変わっていくのかな…(私の場合は、苦しみが怒りや悲しみに変わった後、自分がどういう人間になりたいか/なりたくないかという意志が生まれました)とも思いました。
差別が激しく苦しい中で、周りに共感してくれる子がいたから頑張れたとのことでしたが、まずは差別を止めてあなたを守ってくれる大人がいないとダメじゃないか…!と、私は思っています。今は体操クラブをやめているとはいえ、おそらく過去から今まで大人からの保護やケアは不十分だったかなと想像しているので、ダメージはまだあなたの中に残っているのではないかと私は思います。
この経験談には詳しいことはあまり書かれていませんでしたが、もしもっと吐き出したい気持ちがあれば、また死にトリに書きにきてくれるのも歓迎ですし、相談できそうなものはどんどん使ってほしいと言いたいです。
感想1
「体操クラブ」ではたくさんの経験をしたでしょうし、もしかしたらなんらかの思い入れがあって、あなたはその「体操クラブ」に通っていた(通い始めた)のかなと想像しました(違ったらすみません)。
そんな場で「差別が激し」かったとすると、身も心も削られただろうと思います。それでも「体操クラブ」を続けてきたのはきっと「共感してくれる子」たちの存在があったためだろうと思いました。
とはいえ、「心がぽっきり折れて」やめることとなったことや、「数年」が経ってもなおあなたを苦しめる「記憶」となっていることからは、相当なダメージをあなたが負ったことが想像されました。
きっとそれはこれからもあなたを苦しめることになるかもしれない…と感じつつ(それ自体は全然おかしいことではないと思います)一方で、時間が経ったからこそ語れるーここに書きに来てくれたようにーことというのも、もしかしたらあるのかなとも感じました。
今あなたが苦しんでいることを話せそうな人は周りにいないでしょうか。もし思い浮かぶ人がいたら、あなたの気持ちを話してみてほしいなと感じると同時に、これからも時間が経つ中で感じること・見えてくることもあるかもしれないなと思ったので、必要に合わせてまたここも利用してみてほしいなと感じました。差別をされずにあなたが安心して過ごすことのできる場ともまたつながれたらいいなとも個人的には思います。投稿ありがとうございました。