経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

四面楚歌

現在高校2年生の者です。中学校までの自分はその集団の中では学習の成績は1位を維持し続けていました。深く考えることもなくそのまま、自身の自尊心のために県1番の進学校に入学しました。すぐに追いつけなくなり、勉強できなくなっていきました。(現在母とその母(祖母)と暮らしています。この母と祖母が喧嘩ばかりで疲れています。十数年続いていることなのですが…)次第に勉強に手がつかなくなっていき、体調も悪くなっていきました。一緒に住んでいる家族に相談しても優秀で将来を期待していたたった1人の子供が心を病んでいる?など信じてくれませんでした。なんとか勉強させよう、成績を上げさせようとしてばかりでした。心身の不調を訴えると必ず近所迷惑になるくらいの大声で喧嘩が始まります。課題や頭の中が落ち着かなくて深夜まで起きていることが増え、食欲も不安定で体重が減っていきました。自傷することによって自分を罰してその一瞬だけ安心していました。助けてくれると期待していた家族から勉強のことばかりを毎日問い詰められています。死ぬことを考えていますがある日それを察知した母が私よりも先に1人の子どもを流産で亡くしていると伝えました。代わりがいない、ひとりっ子で唯一の存在だからこれまでは愛されてきた、(今から思えば母は過干渉気味だっただけで自分に依存していたのかもしれませんが…(他の家庭はどうなのかわかりませんが、母は大学進学で県外に行くのならば一緒にいくと言ったり、ファーストピアス?をあけたいと言うと私も一緒にあけるといってきたり、親子でも友達のような関係がいいよね!といってきたりします。))漠然と思っていましたが自分は彼女(彼)の代わりだった、長子であるその人は若かった頃の子供だから遺伝子的にも(自分は少し発達障害の特徴が見られるため余計にそう思ってしまいます。)優秀であるはずなのに、とか、亡くなった彼女(彼)が無事産まれていれば自分は存在しなかったのか、と感じてしまいその日からずっと頭を離れません。

感想1

投稿ありがとうございます。「優秀で将来を期待していたたった1人の子供」という強い期待に応えることは、これまであなたにとって選ぶほかないことだったのではないかと思いますし、「自身の自尊心のために」と書いてあることからも、その期待に応じ成果を出し続けることで達成感ややりがいを感じる側面もあったのかなと思います。
単純に自分の力を発揮することの心地よさのようなものもあったのかもしれません。ただ、学校の成績があなたや家族の中心的な価値観になっていたのかと考えると、それがうまくいかなくなったときに、ほかに頼りにするもののない状況になってしまっているということなのだろうか…と思いました。
お母さんの過去の流産のことを知ったことで、唯一の存在だという感覚に強い疑問が生まれていること、そしてその中で自分が違う存在だったらと思うことについては、私自身も少し近い感覚を持っていたように思い、なんだか「わかるなぁ」と勝手に思いながら読みました。私も一人っ子として生きてきたのですが、私のみたいな子でなければ、もっと別の子がこの家の子どもだったなら、家族はもっとなんとかなったんじゃないかと考えていたことがあったからです。

私も勉強ができなければいけないというプレッシャーが強かったほうなのですが、振り返って考えると、勉強は別に投資ではないし、学生時代に「勉強」とよばれることは世界中の学びの中のほんのわずかなものにすぎず、それに適応する必要もなかった…と感じています。本来、大人が子どもに期待を押し付けるのは暴力的だと思うのですが、「教育」とか「子どものため」みたいにして、期待が強制されてしまうことはとても多いとも感じています。

好きなVTuberが「避難所」と書いてあって、「四面楚歌」と表現するような状況の中であなたに避難所があることに、よかった!という気持ちになりました。自分の経験からは、勉強や本を読むことなどは結構力がいることだと思います。きっとこれまでに、自分でも気づかないうちからずっと努力して応えてきたのだろうと思いますし、力を使い果たしてしまうことも、それでなかなか力がでないのも自然なことだと思います。その中であなたにとって苦しさを紛らわせることのできるものが少しでもあってよかったと思ったのでした。
個人的には、学校にいかなくても、勉強をしなくても、なにもしなくてもいいと思います。ただきっと家にいるのも怒鳴り合いや暴力があったり、親からのプレッシャーが強かったりして、楽なことではないのだとも感じていて、物理的にも逃げ出せる場所、一時的にでも避難できる場所があるといいのだけど…と思いました。

「これまで書いてきたことも、」というところから「(わはは)」までの一文からは、あなたが自分を自分で批判し、その自分も何か間違っているのではないかと注視し…というように、点検するような眼差しを自分に向け続けてきたのではないかと感じました。
それは他者の期待に応えるためには間違っている自分でいてはいけないという強いプレッシャーの中で、そのように振る舞いや思考までもを確認し続ける必要があったのではないか…と想像しています。

「自分の意思が何なのかもわかりません」と書いてあるのももっともだと思うと同時に、そう感じているあなたには、見えづらくても、確かに意思があるのだとも感じました。「エゴの塊のような文章」と書いてありましたが、この文章はすでにドロドロからかなり整理されたものであるようにも感じました。この文章からは、あなたの葛藤がたくさん見えて、あなたが自分に向き合ってきたことを感じています。一方で、自分を見つめ続けているとしんどいことも多いと思うので、ときどき目を逸らしたり、閉じたり、好きなものを見つめたりしてほしいなとも思いました。
また、そもそも意思とかあなた自身が感じていることって、そんなに固定的なものではないような気もしますし、整理しきる必要も、結論を出す必要もないように思います。
あなたのドロドロしたままのものでも、整理したものでも、別のなにかでもいいので、またよければ文章にして送ってください。もっというと、送らなくてもいいので、よかったらまた死にトリにきてくださいね。待っています。

感想2

経験談を読みながら「家族にとっての望ましい高校生」といった理想像に当てはまらないだけのことで、どうしてここまで一人の人間が傷つかないといけないのだろう…と、とにかくやるせなさを感じました。
勉強はあなたがしたいならすればいいし(別にしなくてもいいし)、したくないならしなくていいし、休みたかったら休んでもいい、と私は伝えたいです。

今のあなたは「愛されてきた」などの漠然と受け身で思わされてきたものと、「今から思えば母は過干渉気味だっただけで自分に依存していたのかも」などの自分なりの率直な感覚で、揺れ動いている感じなのでしょうか。
自分を責める言葉もたくさん並べられていましたが、あなたは自分なりの家族への反発(という表現が適切かはわかりませんが)を確立しつつあるのかな…?と読んでいて私は感じました。少なくとも、今の環境やこれまでの経験に、違和感や限界のようなものは感じているのだろうと私は思いました。
そういった中で、自分の思いを書いて死にトリに送ってくれたことに、あなたのもつ力を感じています。

経験談の最後の方に「私のエゴの塊のような文章になってしまいました」と少し申し訳なさそうに(と私は感じました)書いてありましたが、私はエゴは大切なものだと思いますし、適切にエゴの出た文章だと感じました。
私が(ネガティブなニュアンス、欲といった色合いの)エゴを感じたのは、あなたの家族です。家族のあなたへの関わりは、大人が子どもにエゴを押しつけた図に私には見えていて、それは子どもにとってかなりきついことだし、罪深い行いだと思っています。なぜ罪深いかというと、あなたもそうであるように、子どもは「自分のせいだ」などの気持ちを感じて、かつ一人で抱え込んでしまいがちだからです。大人のエゴに押し負けて、エゴが不健康なまでに削れたり心の体力が落ちていくようなイメージです。
大人同士・対等な関わりであれば、例えば勉強を強制されたら「どうしてそんなこと言われないといけないの?」などと考えたり、他の人に意見を聞きにいってみたり、愚痴を聞かされても「この人の愚痴なんて聞きたくないなあ」と逃げたり、「なんだか自分勝手なことを言っているなあ」と聞き流したりもできます。そうやってバランスをとるものがなく、誰かの気持ちや考えを一方的に聞かされていると、少なくとも心身のバランスは崩れてしまうと感じます(これは大人同士でもそうです)。

書くことで、少し整理できたのならよかったです。私の経験的にも、ドロドロしたものはなるべく吐き出した方がいいとはとても思います。死にトリには、いつでも書き込める掲示板「とりコミュ」もありますし、役に立ちそうなら活用してもらえたらと思います。
疲れたときに何かに避難することは、勉強よりもずっと大切なことだと私は思いますし、今のあなたが生きのびるために必要なことにも見えました。
あなたが甘えや弱さと呼ぶものは、私にはまっとうな心身のSOSに見えています。
またいつでも死にトリを訪れてください。

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