経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

だれか

中1、体は女子。
親の前ではいい子を演じないと暴言、暴力ばかり
教育の失敗って言われた。周りの人よりいい点数とったのに。
お前バカだなって笑われた。自分なりに頭使ってるのに。
努力してないくせにって言われた。毎日必死に頑張ってるのに。
妹と弟の方が頑張ってるって言われた。どうせうちより顔がいいだけでしょ。
怒られるたびもっと優しい親だったら…とかあの物語に出てくる親だったら…とか考えちゃう。
いい子を演じて演じて演じて演じて…
辛い。毎日。
それだけでも辛いけど、うちは自分の性別がわからない。
周りの女子みたいに胸が大きくなりたいし、女子と一緒にいるし、身長低いけど、女子と断定されたくない。髪を短くしたいし、流行に興味ないし、ズボンはくし、女子が好きだし、一人称心の中では俺だけど、男子と断定されたくない。
でも周りの子は誰が付き合うとかそういう話ばっかり。そういうのしょうもないし勝手にやっとけよとも思うし、同性愛が認められて、好きな子の話もしたい。毎回教室でこういうことが頭の中ぐるぐる回って混乱してるけど、みんなの前では笑顔で「やばwお似合いじゃん」とか言ってる。嘘ついてごめん、クラスの人
なんで生まれてきたんだろ
うちに友達と言える人は0。
仲良い(?)人はいるっちゃいるけどあんまり関わらないしそもそもこっちが友達と呼ぶのが申し訳ないと思ってしまう。
そういう人の前では普通の女子中学生に見せてるけど本当は相手の顔ばっかり見てて全てが迷惑じゃないかって思う気の弱い人。こんなうちと話させちゃってごめん

こんな長文書くぐらいいろんなことあるけど自殺する勇気はない。誰か殺してくれないかなっていう人任せな人間。最悪だ。もし生まれてくるんだとしたらもっと違う親で、もっと違う顔で、身長で、胸で、性格で、性別が良かった。

うちって欲望まみれすぎるな

でも毎日生きるしかないから生きてる。推しがいるから。最近親のせいで全然推しが出てくるゲームさわれてないけど、推しという存在がいて良かった。今はそれだけ。

感想1

投稿ありがとうございます。
自分として安心していられる場所がなかなかなく、苦しい日々を過ごしていることを感じました。タイトルの「だれか」は、だれかたすけて、だれかきいて、などの気持ちが込められているのでしょうか。(全然違ったらごめんなさい)
あなたがじわじわと消耗を続け、行き場のない感情で自分を責める様子が伝わってきて、それを受け止めてくれる大人が周りにいたらいいのに…ともどかしさを感じています。

経験談に書いてくれた親からの言葉はかなりきついものだと私は感じましたし、もうこの親には期待してもどうにもならないだろうな…といった諦めを抱いているようにも見えました(でも、諦めきれない気持ちもあるのかなとは想像しています)。
そこに漂う諦めに、親からの理不尽な暴言や暴力はきっと繰り返し繰り返し続いてきたのだろう…という重みを勝手ながら感じ取っています。

性別や恋愛の話については、私の友達にも似た苦しみを抱えて生きてきた人がいるのもあって、実感をもって頷いています。
私もその友達に会って、色々語り合ってみるまで気づいてなかったのですが、この世界には「性別は男女の2つ」「恋愛は男女でするもの」という当たり前があらゆるところにあって・・・。その中で痛みを押し隠して生きることの苦しみは、私には想像しきれないくらい、過酷なものなのではないかと思っています。
世の中では男女のどちらかに当てはまり、異性に恋愛感情を抱くことが「普通」みたいにされていますが、私はあなたのように「わからない」と感じる方がなんだか自然なことに感じます。
私は体は女性ですが、女性としても男性としても扱われたくないし、私は私である、と宣言したいです。だからあなたの個性や感じ方を支持し、応援したい気持ちになります。
今の環境ではなかなか難しい部分はあるかもしれませんが、今はセクシュアルマイノリティの相談なども結構ありますし、そういったものにつながるのはちょっとした助けになるかも…?とは思いました。

あなたの推しは、どんなものなのか・・・どこが好きで、何がきっかけで見つけたのか。好きな子はどんな人で、どこに惹かれたのか・・・。そんなことを、できることなら聞いてみたい気持ちです。(それを強制するつもりは全くないので、期待に応えようとかは全く思わなくていいです)
またいつでも死にトリに来てください。

感想2

投稿を読み、あなたが緊張して過ごさなければいけない中で苦痛を抱えながらなんとか毎日生きている様子を感じとりました。「演じる」を続けることはやりたくてやっていることではないけれど、そうしなければもっと酷い状況が待っているからそれを続けるしかないということなのかなと思います。家で親からの暴力や暴言が繰り返されていたら、その意図に沿った行動を強いられてしまうと思いますし、そうやって努力や無理を重ねてもなお苦痛を避けられない中で、逃げ場を失ってしまっている状況を想像しています。端的に言ってとても理不尽だと感じました。

また学校でも性別という観点を意識させられる機会がたくさんあって、というか、性別二元論的な考え方が前提になりすぎていますよね…。その中では、あなたはあなたらしい自分、あなたが「嘘」だと感じずにいられる自分を表現することができないのも無理はないと思いました。そしてそれはあなたの問題ではなく、「性別」とかさまざまな前提を押し付けてくる環境や社会の問題だと思います。

そういえば、最近『ノンバイナリースタイルブック』という本を読みました。ノンバイナリーを公表している漫画家の山内尚さんによる本で、自身のファッションイラストやエッセイなどが載った本でさまざまな装いが載っていました。これを読んで、洋服という一つのことでも「性別」が前提にされてしまっていることがたくさんあり、だけど本当はその前提自体にとても大きな問題、人それぞれのあり方を否定してしまうような問題が含まれていることを私は感じました。

あなたのいま過ごしている環境があなたに与えているダメージはとても大きいことを読んでいて感じます。死や、べつの人生を願うことは、きっとあなたにとって想像できる数少ない苦痛を避けるやり方なのだと思いましたし、それはあなた自身を守るための切実な願いだと感じました。「欲望まみれ」ということではけしてないと思います。
あなたの「生きる」に少しでも逃げ場がないだろうか、と気になっています。ゲームはあなたにとって苦しさとはべつの、推しの存在を感じられるものなのかなぁと思います。私も今に至るまで好きなゲームや漫画、アニメや、その登場人物の存在に支えられて生きてきたと思っているので、勝手ながら共感しています。
あなたがしたい話、思っていること、感じていること、苦しさなどを話せる環境や相手が見つかることを願っています。死にトリでなら書きやすいことがあったら、またあなたの言葉を読ませてください。

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