経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ただ、愛してほしいだけ

小学校は、いわゆる「地獄」そのものでした。
毎日のように画鋲が上履きの中に入っていたり、集団で無視されたり、こそこそと嫌味を言われたり…。それが長らく続いたあと、私は耐えきれなくなり、不登校になりました。

母は私が学校に行かないと泣きながら感情的になり、耳が痛くなるような大きい声で罵倒を繰り返し(泣きながら)、私を玄関前に何時間も立たせました。突き飛ばして包丁を突きつけたりある時は、首を絞めたりしてきました。
それでも私は母の事が大好きで悲しい顔をさせたくないので、それでも「愛してほしい、優しく抱きしめてほしい」とずっと心の中で考えていました。そして、私は学校でいじめられながらも精一杯登校しました。母にそんなつらい気持ちをさせる自分自身が一番憎くてしかたなかったです。父は常に無関心でした。助けてくれませんでした。

中学になると、頼りたかった先生すらいじめてきました。その方は高齢で覚えが多く、自分自身のやったことを私のせいだと無責任に押し付け、怒り、叱りつけました。私は、やってもいない事をとやかく言われ、訳もわからず泣いてしまいました。そんな私の姿を見て先生はニヤニヤと笑っていました。私はこの先生が嫌いでした。(母の機嫌を損なわないために、つらいけど毎日通学。)

私の居場所はどこにもありませんでした。

私が成人してから母に一連のできごとについて問うと、私の事を考えてそのような行動をとっていたそうです。「学校に行けないと将来あなたはまともな大人になれないから」…。だそうです。

しかし、今でも「完璧ではないといけない、また家族を失望させる。何もできない自分なんていらない」という固定概念に縛られております。
本当に毎日が楽しかった保育園の時代はたくさん思い出せるのですが、一番凄惨だった小学時代はぼんやりとしか思い出せません。

現在は精神科に通っていますが、改善するでもなく、もうどうしようもありません。過去のことがいきなり真夜中にフラッシュバックして心臓が締め付けられそうになり、寝れない日々が続いております。(鬱、不安障害を発症し、現在は無職です)自殺未遂、OD、リストカット がやめられません。こんな生き方をして…親になんて顔をすればいいのか分かりません。
自己嫌悪感が強く、この苦しい現実から逃げるためには死ぬしかないと思っています。

もう人生に疲れてしまいました。ただただ楽になりたいです。

感想1

投稿ありがとうございます。

冒頭のいじめの描写(経験)だけで、とてもではないけど「耐えきれない」日々をあなたが生き抜いてきたのだなと私は感じました。まさに「地獄」だっただろうと思い、よく生き延びてここに書きにきてくれたなと感じています。

あなたを「地獄」に通わせ続けることとなった、母に対する「悲しい顔をさせたくない」「愛してほしい」という気持ちの強さはいったい何だろうと考えたくなっている私がいます。“通わざるを得なかった”という方が正確なのかもしれませんが、あなたは母の要求や期待に応えようと「精一杯登校」し、かつ、母があなたにしてきた言動はあなたを恐怖のどん底に突き落とす類のもの(と私には見える)にも関わらず、母に「つらい気持ちをさせる自分自身」を憎むことまでしながら「地獄」に通ったそれはなんだろうかと思いを巡らせています。ひとつ私の頭に浮かんできたのは、母が泣いている姿を見た時に言葉にしがたい罪悪感や恐怖・鋭く痛むような感覚がした時の経験でした。そういう気持ちや感覚になりうることをもしかしたらあなたはどこかで感じていたのだろうか…などと想像し(全然違ったらすみません)あなたの考えや気持ちを聞いてみたく感じています。

中学生になってからも、あなたは「母の機嫌」をもとにして生活を送ってきたことが伝わってきました。先生というのは本来あなたの学ぶ機会を保障するべきはずの立場だと私は思います。父も「無関心」であったということで、あなたを守る大人や「居場所」がなかったこと、それどころか、あなたをより苦しめる大人の言動が常にあったことをとても歯がゆく思います。ただ、あなたがその先生のことを「嫌い」と言っていることを私は大事にしたいと感じているところです。

あなたを生き延びさせたのは「母」の存在(まなざし)・母に対する強い気持ちだったのだろうと書きながら改めて感じていますが、それはまるで諸刃の剣のように、今あなたを深く縛りつける力となって、苦しめることになっているのかもしれないと私は考えました。
母があなたに伝えた「学校に行けないと将来あなたはまともな大人になれないから」という言葉や「私の事を考えて」選択したということ。それらに対してあなたはおそらくどこか違和感や納得しきれない感覚を抱いたのかなと想像します(私はこれらの思考や言動は社会によって作られた幻想だと思っています)。それでもそれらはあなたが書くように「完璧ではないといけない、また家族を失望させる。何もできない自分なんていらない」という固定観念となって、あなたを縛っているように私には思えました。今もがいていることを「親になんて顔をすればいいのか」という「生き方」と認識していることもまた、その影響なのかもしれないと私は感じます。私からすればそれはあなたの生きようとする力であるように見え、そのまま受け止めたいという気持ちが湧いてくるので、あなたはそれにもう縛られなくていいように思う…とだけ言いたくなりました。
最後に「一番凄惨だった小学時代はぼんやりとしか思い出せません」というところで、私の知人にも同じような経験をした人がいたことを思い出しました。学校時代ではないようですが、全く覚えていない一定の時期があるようで、それはあなたの言葉を借りればあまりに「凄惨だった」からと言えそうです。その人は自身のことを「こんな(生き方や人間)」と捉えていましたが、生きるだけでいいと言い聞かせ(られ)ながらその時期を過ごしてきたと聞きました。そのことを思い出したので、「死ぬしかない」とあなたが思うのは無理もないように思いますが、私はあなたが生きていることを確かに受け止めたいと思ったと書かせてもらって、感想としたいと思います。もしよかったらまた書きに来てください。

感想2

投稿読ませてもらいました。
凄惨と表現された小学生時代の経験がトラウマの土台になって苦しい現実につながっているような印象を受けました。不登校になったことは自分を守るためにはそれ以外ないよ!と思うくらいの行動だったと私は思います。でも本当は救ってもらいたかったお母さんから、時には感情的に力で登校を強いられたことがあなたの苦しさの原点になっているようにも思います。あなたの中では学校でも家でも本当にしんどい時期だったのではないでしょうか。その頃のあなたにとってお母さんが“正解”だったのかもしれません…。会ったことがないのに玄関前に立たされた小学生のあなたを思い浮かべて苦しい気持になりました。
それでもあなたはお母さんファーストの行動で踏ん張ったのだと思います。でも二の次にしてきたであろう“本当のあなた”の心は、想像以上に苦しさを積み上げていたのかなとも私は感じました。(もしかしたら何が本当の自分の気持ちだったのかはわからないかもしれません)中学生の頃はSOSを出した先生すらあなたを傷つけてきたんですね…。助けてもらえないという無力感がさらに増したのでは…。
二重、三重に傷つく経験を重ねると土台がグラグラして無価値感に苛まれてもぜんぜん不思議ではありません。お母さん(や誰か)が求めるあなたと今のあなたのギャップに苦しんでいる様子も見られます。突然発動するトラウマのしんどさを和らげたり、何とか乗り越えるために自傷行為をしながら自分を保とうとしているのだと私は感じました。
私は本来のあなたの気持ちや考えが尊重される機会を少しずつもって欲しいと感じていますが、まずは自分の感じていることをそのまま誰かに伝えることからなのかな…とも思ったりします。こうやってつながってくれたことがそのきっかけのひとつになることを願いつつ、また死にトリを活用して欲しいです。

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