経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
プチ整形をしたことで顔の全体バランスが崩れ、表情も違和感があるようになりました
本当にプチです、1万円程度のものです
なのでそこまで効かないかな、と軽く考えてしまいました
安いし、少しかわいくなりたかっただけで軽率に行いました、長年のコンプをどうにかしたくて長くリサーチして施術したものではありません。医者の言われるままにパッと流れで施術してしまいました。本来は適用でなかったのかもしれません
もともと顔に大きなコンプがあったわけではありません、むしろ好きな顔でした
私は軽く施術してしまった軽率さ、楽観性、アホさに、後悔し、後悔してどうにかなりそうです
私はもともと自然派が好きでした、自然に美しくいるのがすきで
加工も使わないし、ノーマルカメラを使う方が好きでした
なのになぜ。東京の上昇志向・美を極める雰囲気に、飲まれてしまいました
好きな顔だったのに自ら崩した。いまは自由に表情も作れない。
本当に毎日死にたいと思って生きています
でも親にはとても愛されているので自殺はできません
親戚共に仲がよく、親戚も共倒れすると思います
後悔と屈辱でこんなにつらく生きるなら、死という選択肢(逃げ道)があれば、気が楽になるのにそれもできないという八方ふさがりです。
どうしあわせに生きたらいい?毎日、毎日、つらいです。人から見たら低次な悩みであることはわかっています。でもこのままではどこかで心が切れて、死んでしまうと思います
感想1
投稿ありがとうございます。
もともとは自然な自分らしさを気に入っていたあなたでも「飲まれてしまう」雰囲気というのは、とても有害なものでもあるような気がしました。「東京の上昇志向・美を極める雰囲気」というのは、確かにあるような気がするなぁと思っています。人の容姿を重視する価値観をルッキズムと言ったりしますが、その価値観には上下があって、だからこそ「上昇」を奨励されるし、その流れに乗りたい気持ちを掻き立てられる状況があるのだと思います。東京に限らないとも思いつつ、確かに東京など都市部ではその傾向が強いという側面もあるような気がしました。
本来であれば、自分の顔を好きでも嫌いでも関心があってもなくてもいいと私は思うのですが、世の中では容姿で判断する不躾な眼差しを浴びてしまうこともあるかもしれないし、そういう価値観を(私自身も含め)多くの人が気づかず内面化しているのも事実なのかなと思います。
ルッキズムや美醜の価値観について考えていると、それが社会が作り出した流行にすぎず、普遍的なものではないのだろうということに行き着きます。地域でも時代でも違うし、同じ時代でも世代によっても変化があったりするようです。そう考えると、それに日々振り回されてしまう人が私以外にもたくさんいることに、なんだか不思議な気持ちになります。
少し話がズレるかもしれませんが、私はここ数年、ある時気づいたら片方の目だけの二重の部分が以前と変化していてなおらず(多分むくみとか何かの変化だと思いますが)、以前と違うのも気になるし、左右でも違っているのも気になってくるし、鏡を見るたびに奇妙な気持ちになっていました。このとき初めて、自分が「自分だ」と思っている顔には一定のイメージがあったのだなと気づきました。でもゆっくり変化する分にはほとんど気づかないし、なおのこと、奇妙な気持ちでいます。美容整形とは違うのであなたの後悔と同じだとくくるつもりもないのですが、自分の顔について考えたり、自分らしさってなんだろうなと考えたりする出来事だったので、書いてみました。
「もともと自然派が好きでした」という言葉から考えてみると「自然」というのが何かもわからなくなってきました。たとえば日焼けすることは自然か、肌のケアをすることは自然か、怪我をした皮膚は自然か…。私の中でなんとなく自然だと判断してきたことも、さまざまな因果関係で変化したものでもありそうです。その中には意図や意思が含まれるものもあれば、そうでないものもある気がするし。なんだかわからなくなってきてしまいました…。いろいろぐるぐるしたままの文章ですみません…。あなたの中でのイメージとか、考えていることがあったら、聞いてみたいです。
あなたにとって重要なことはどんなことでも低俗と考える必要はないと思います。とても真剣で切実な苦しさを文面から感じました。「崩した」と感じているものを好きでいるのは簡単じゃないし、無理にそうする必要もないと思います。また、後悔があるからこそ、その影響が日々の生活の中にも侵食してしまっているのだろうなと思います。でも、もともとは、あなたにとってあなた自身やあなたの生活で重要な要素は、容姿だけではなかったのではないかとも文面から想像しています。あなたの生活について具体的には書かれていないですが、生活の中で後悔や苦しみ以外の時間がわずかでも見つかるといいなと感じています。そのために言葉にすることが有効な面があれば、またあなたの感じていることを聞かせてほしいです。
感想1
投稿ありがとうございます。
もともとは自然な自分らしさを気に入っていたあなたでも「飲まれてしまう」雰囲気というのは、とても有害なものでもあるような気がしました。「東京の上昇志向・美を極める雰囲気」というのは、確かにあるような気がするなぁと思っています。人の容姿を重視する価値観をルッキズムと言ったりしますが、その価値観には上下があって、だからこそ「上昇」を奨励されるし、その流れに乗りたい気持ちを掻き立てられる状況があるのだと思います。東京に限らないとも思いつつ、確かに東京など都市部ではその傾向が強いという側面もあるような気がしました。
本来であれば、自分の顔を好きでも嫌いでも関心があってもなくてもいいと私は思うのですが、世の中では容姿で判断する不躾な眼差しを浴びてしまうこともあるかもしれないし、そういう価値観を(私自身も含め)多くの人が気づかず内面化しているのも事実なのかなと思います。
ルッキズムや美醜の価値観について考えていると、それが社会が作り出した流行にすぎず、普遍的なものではないのだろうということに行き着きます。地域でも時代でも違うし、同じ時代でも世代によっても変化があったりするようです。そう考えると、それに日々振り回されてしまう人が私以外にもたくさんいることに、なんだか不思議な気持ちになります。
少し話がズレるかもしれませんが、私はここ数年、ある時気づいたら片方の目だけの二重の部分が以前と変化していてなおらず(多分むくみとか何かの変化だと思いますが)、以前と違うのも気になるし、左右でも違っているのも気になってくるし、鏡を見るたびに奇妙な気持ちになっていました。このとき初めて、自分が「自分だ」と思っている顔には一定のイメージがあったのだなと気づきました。でもゆっくり変化する分にはほとんど気づかないし、なおのこと、奇妙な気持ちでいます。美容整形とは違うのであなたの後悔と同じだとくくるつもりもないのですが、自分の顔について考えたり、自分らしさってなんだろうなと考えたりする出来事だったので、書いてみました。
「もともと自然派が好きでした」という言葉から考えてみると「自然」というのが何かもわからなくなってきました。たとえば日焼けすることは自然か、肌のケアをすることは自然か、怪我をした皮膚は自然か…。私の中でなんとなく自然だと判断してきたことも、さまざまな因果関係で変化したものでもありそうです。その中には意図や意思が含まれるものもあれば、そうでないものもある気がするし。なんだかわからなくなってきてしまいました…。いろいろぐるぐるしたままの文章ですみません…。あなたの中でのイメージとか、考えていることがあったら、聞いてみたいです。
あなたにとって重要なことはどんなことでも低俗と考える必要はないと思います。とても真剣で切実な苦しさを文面から感じました。「崩した」と感じているものを好きでいるのは簡単じゃないし、無理にそうする必要もないと思います。また、後悔があるからこそ、その影響が日々の生活の中にも侵食してしまっているのだろうなと思います。でも、もともとは、あなたにとってあなた自身やあなたの生活で重要な要素は、容姿だけではなかったのではないかとも文面から想像しています。あなたの生活について具体的には書かれていないですが、生活の中で後悔や苦しみ以外の時間がわずかでも見つかるといいなと感じています。そのために言葉にすることが有効な面があれば、またあなたの感じていることを聞かせてほしいです。