僕は小2~小6の時にいじり(?)を受けていました。これは今思えばそんなに問題ではなくて,むしろ「自分の心を強く出来た」と前向きに捉えていました。でもこのいじりが想像以上に僕の心にダメージを与えていると気づいたのは中2の時でした。
いじりを受けたことで人の考えていることを過敏に探ってしまう癖がついてしまいました。さらにその探って感じることを全てマイナスに捉えてしまうようになりました。例えば,自分が友達と会話しているときに「自分が言ったことで相手の気分を悪くしてないかな…もしかして嫌われるような事をしたかもしれない…」とどんな会話をしていても考えてしまいます。それを毎日毎日繰り返していじりを受けていたときよりも心理的につかれてしまうときが増えました。
今僕は高校1年になったのですが,未だにずっっとこのようなことを考えて「僕これから大丈夫なのか?」と考えて鬱っぽくなってしまうときがあります。でも友達に気を遣わせたくないと思ってこれを親を含めた誰にも話したことがありません。
でももうその気持ちが抑えきれなくなって最近本格的に「自分なんていなくても良いんじゃないか」と考えるようになったのでここに体験として書こうと思い,投稿しました。
これを書いても,僕はこの癖が直ることはないと思います。しかし,僕と同じような境遇の人が「同じことを思っている人がいるんだ」と少しでも勇気付けられたら良いなと思います。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
他人よりも考えすぎちゃう僕
感想2
投稿ありがとうございました。
全体を通して、まさしく「毎日毎日考えることを繰り返して」きた様子が伝わってきました。自分の不安や、辛さ、疲れはどこから来るんだろうという原因を分析して、その上でどうにかしようと必死にもがいてきたようなイメージです。自分で自分の気持ちを捉えようとする、その姿勢には個人的にとても共感しつつ、同時に「いじり」という受けたくもなかった傷のために、あなたが、自分の辛さと向き合い続けることを強いられてしまっているのは、全く納得がいかないなとも感じました(勝手にですが)。
また、あなたが今回書いてくださったような、自分の感じ方やメンタルをどう扱うかという話しは、何となく話しづらい・敬遠されがちな雰囲気があるような気がします(話しても「よくわからない」とか「何とかなるよ」みたいな言葉で表面的に流されてしまったり…)。あなたの「気を遣わせてしまいそう」という言葉には、そういった社会の風潮から、話をすることを良くないものと感じさせられている節もあるんじゃないかなと想像しましたし、本当はもっと何気なく、そういう話ができたらいいのになとも思いました。
今回、誰にも話したことがないことを初めて書いてみて、どう感じられたでしょうか。
死にトリには色んな効能(というのはおこがましいし、なんだか違う気もするのですが)があると思いますが、私はその中の1つとして、社会で当たり前にされている価値観や風潮から少し離れて、自分の感覚や、誰かの思いについて、フラットに見つめ直すことができる機会に参加できる、という部分があると思います。良ければまた覗きに来てくださいね。
感想3
経験談を投稿してくださり、ありがとうございます。
心にダメージを負うような出来事に、今も苦しんでいる様子がよく伝わってきました。でも、今はいじりやいじめを受けているわけではなさそうだという印象を文章から受けました。とりあえず、今あなたは他人から嫌なことを繰り返しされるような環境にはいないと思うと、その点に関して私は安心しました(…が、今もしんどいから、あなたはここに来ているんですよね)。
あなたは過去の経験によって、周りの人の気持ちを過剰に気にするようになったのですね。世の中にはたくさんの人がいるので、意識的であれ無意識的であれ、人によって人の気持ちへの執着度合いは様々だと私は思うことがあります。あなたの話を聞いて、人の気持ちにあまり執着しない人は、どうして気にしないのだろう…と私は疑問に思いました(誰かの考えを否定する意図はありません)。私は実は「人には人の事情があって、自分には人の気持ちなんてどうしようもない」と割り切って諦めてしまうタイプです(これが良いとは限らないのですが…)。しかし、それ以外にも、人との信頼関係がある程度できあがっていて、「この人の機嫌を損なってしまったけれど、これは一時的なものだから明日は仲良くできる」と信じている人もいるのかもしれません。「信頼って、安心して本当の気持ちを言えることなのかな」「人は変化するからいつか信頼できなくなるかもしれない。でも信頼し続けられるかもしれない」といったように、ぐるぐると色んなことを私は考えました。この経験談を読んで、人を信頼することや我慢せず人を頼ることについて考えさせられました。
感想1
私は自分の発言や振る舞いが大丈夫だったか、その日の寝る前にぐるぐると考え続けることがあります。なので、なんだか近しいものを感じながら読ませてもらいました。なぜ自分がそんなことを考えるようになったのかを振り返ると、それも同じくいじりに近いものだったなぁと思っています。けれど、私がそれを自覚できたり、言葉にできるようになったのは、大人になってからでした。だから、中学2年で気づき、今こうして人に伝えられるほど言葉にできているあなたをすごいな、と思う私がいます。一方で、それだけ今に苦しさや疲れを感じ、自分について考え、そこに向き合ってきたのだとも感じています。
とはいえ、あなたも書いてくれたように言葉にできたからと言って、直るわけじゃないのが厄介なところですよね…。相手の気持ちはわからないし、いくら気遣いをしても絶対的正解がないものだとも思っていて、そういった答えのないことも厄介さだと私は感じています。また、むしろ、自覚しているのに直せない自分をかえって責めてしまって苦しくなることもあるような気もしています。なかなか一筋縄じゃいかないですが、お互いにその癖とどうにか折り合いをつけられる日が来てほしいものです。