思えば、希死念慮は小さい時からそばにいた。
初めて死にたいと思ったのは小学3年生くらいの頃。母親に怒鳴られ、「私がいるからお母さんが嫌な思いをするんだ。私なんていなければいいんだ」と思った。泣きながらキッチンで包丁を持ち、手首に当てようとした。でも自傷はできなかった。怖かった。
それでも、母親を怒らせた時以外は死にたいなんて思わなくて、中学生の時はそれなりに楽しかった。
高校に入ってクラスに友達ができなかったときは死にたいなと思いながら通っていたけど、部活は楽しかったからかろうじて生きた。
行きたい大学にも行かせてもらえて、やりたいこともやれた。月経前症候群のせいで生理がくる1週間前に死にたいと思うことはあったけど、それなりに楽しかった。
ただ、常に希死念慮と隣り合わせの感覚はあった。いつ死んでもいい、と思っていた。
私は今、人生で一番死にたい。生きたくない。新卒で入った会社で適応障害になった。それらしき症状がでても仕事を続けていたら、うつ病になってしまった。こじらせてしまった。夕方から夜になる時間帯には寂しさでいっぱいになる。溺れそうになる。飲み込まれそうになる。死にたいと思う。
病気になる前は、そんなセンチメンタルな時間すら楽しめていたのに。「あぁ、この時間帯の切なさいいなぁ〜」って味わえていたのに。
今は恐怖でしかない。夕方になるな。夜来るな。特に冬は夜が長い。死にたいと思う時間が増える。
そもそもなんで生きていかないといけないのだろうか。心が壊れたから、そんなことを考えてしまうようになった。心が壊れていなかったら、そんなことを考えなくて済むのに。
誰かの病気を代わってあげたい。事故に遭いたい。この世から消えていなくなれば、楽になれる。生きていかなくていいことは、この上ない喜びだ。
なぜ生きなければならないのだろう。なぜ、人生をこんなにも暗く捉えてしまうのだろう。どうせ生きるなら、私だって幸せを感じたい。でも夜が私を殺しにくる。死こそが救済だ。もう、疲れた。生きてると、幸せよりも苦しみのほうが大きい。こんな人生、なぜ生きる必要がある?
心が壊れたら、修復には時間がかかる。希死念慮がそばにありながらも、なんとか楽しく生きていたあの頃の私を取り戻したい。
悲しいかな、生きていくしかないのだから。生きる選択をしなければならないなら、少しでも楽しく生きたい。希死念慮はそばにあるけれど。壊れた心を少しでも治したい。
感想1
思い浮かぶ言葉をどんどん書き出すうちにあなたの考えや気持ちが移り変わっていく様子は、まるで言葉にすることによって、自分自身で折り合いをつけているようでした。
タイトルにあるように“生きていたくない“けれど経験談の最後には、”生きていくしかないのだから少しでも楽に生きたい“と書いていました。本当にそうだなってなんだか納得しました。そばにある死にたいと思う気持ちにまさに何とか折り合いをつけながら生きていきたい…そんな風に私には読み取れました。
私なりにあなたの感覚を想像しました。
あなたが書いていた“寂しさ“は私にとって印象的です。幼少期に寂しさの原点みたいなものがあったのだと思いますが、自分自身の“存在“、”価値“に対する不安を経験談から強く感じます。希死念慮が常にそばにいるという感覚は言い換えると、自分の存在や価値を意識せずにはいられないということなのかもしれません。
例えば何か役割があって、楽しいとき、だれかの存在があるときは自分自身の存在への不安はある程度かき消される。逆にひとたび役割が無くなって、ひとの存在が感じられなくなると言い知れぬ不安に圧倒される…そんなイメージが湧いてきました。
あの頃を取り戻すことが幸せなのか、それとも新たないまの生き方を見出していくことが安心なのか…どちらがあなたにとって良さそうでしょうか…。私は言葉にすることで次をなんとか見出そうとするあなたなら、これまでとは違った“あなたらしさ”を自分に見出していけるような気がしました。ただ、それはひとりでは少し難しいかもしれません。やっぱりこうやって誰かと言葉にすること、言葉を交わすことが大切だと私は感じました。
私も言葉にする機会をもらいました。ありがとうございました。