自分は恋愛経験がゼロです。当然未婚で両親と同居で車に乗れません。
さらに、年齢による体力や気力、記憶の衰えも見える男性、車がないし相手にされませんよね。男性更年期というのがあると聞きました。
小学生の時期から異性に警戒感のあった自分は可愛い子がいると言われても、まるで興味がなく、苦虫を噛み潰したような、あるいはとても冷めた表情で否定してました。
小学生からのトラウマで、話好きなタイプが最も苦手というスタンスは今も変わりません。変にテンションが高かったり、圧が強いと、もういいよとなって、離れたくなります。そいうタイプの人間が想像より多かったのです。もちろん、自分に頼み事があっても接点がなく雰囲気的にヤバいのか敬遠します。
最も異性と話したといえば、高校時代のクラブ活動だけですね。クラス授業が終わると、さっと教室を出て部室へ向かい、同学年のクラブ女子たちと活動していました。中はよかったのですが恋愛対象とは異なりました。学校やイベントで一緒に活動できればということで。つまり、クラスとクラブでは別の顔なのでした。
学校が終われば、異性ガードが発動して、話しても淡々と棒読みな対応でした。苦手な科目の教師に対しても変わらずで。クラブ女子=仲間、クラス女子=敵という位置づけでした。
ほんとに付き合う人を見つける場合、人はどうして知り合うのでしょうね?
街中で互いにプラカード持ったり、ワッペンつけるとかの区別もないから、ホントに自由な人を見つけるのは、至難の業かと。俗に言うナンパというやつでしょうか。自分は車という移動手段がなく、その時点で詰んでいたわけですが。イベントがあっても参加しなかったと思います。聞かなくてもわかるのは高校生までですよ。それ以上のことが見えない、その時点で異性と知り合うことに関しては完全に詰んでいるのですがね、
30年間年賀状をやり取りしている中学時の異性の同級生はいます。しかし、近況を互いに知らせる文面だけで、不思議に恋愛になることはありませんでした。互いに知っていたため、それがちょうどいい距離感な関係だなと自分も納得していました。
お父さん、ごめんなさい。あなたの家系はあなたの未婚の愚息をもって幕を閉じます。
せめて中学時代に戻って、もう一度違う生き方をしてみたかったです。
今では何の楽しみもなく、虚しく過ぎてゆくだけの日々。こんな人生に疲れてる。
生きて苦しむより、消えてしまいたい。
感想1
「好きな異性が現れる」こと「結婚する」ことがあなたにとって重要なのはなぜだろう?と思いながら読みました。おそらくはそれらが社会的に意味や価値があることだ、という思いがあるのかなぁとも思ったのですが、どうなのでしょうか。
もちろん、自分の人生において恋愛や結婚が重要な人もかなり多いとは思います。ただ、あなたにとって重要なのは、あなた自身が好きな人といたい、というより、どちらかというと、「恋愛はすべきである」「結婚をするのが当たり前である」という価値観に合わせないといけない、あるいはそれが正しいから当然そうすべきだ、と感じてきたのだろうか、とも思いました。周りにそういう価値観の人が多かったり、そうじゃないのはよくないとかおかしいとか言われることがあったりしたのかなぁとも想像しています。(実際には、そうやって言う人の中にも、本当はそう思っていないけれど周りに合わせなくては…と思って言っている人も少なからずいるように思います。)
個人的なことですが、私には恋愛感情というものがいまいちよくわからないのですが、世の中を見渡すとほかにもそういう人は少なからずいるように思います。
「何の楽しみもなく」と書いてあったので、生活の中で気晴らしをするとか、なにか興味のあることに集中するとか、そういう自分のための時間が取りづらい状況があるのでしょうか。今の状況がしんどいときに、理想を願ったり、憧れる気持ちが強くなったり、強くなるからこそしんどくなったり…ということもありそうです。
好きな異性がいないことは「呪い」ではないと私は思います。好きになるのもならないのも自由で、その自分の気持ちに素直にいられることのほうが大事なのではないかと個人的には思っています。(もちろん人によっていろいろな考え方があると思います。)
体力や気力などが前よりも発揮できない中で、塞いでしまう部分もあるのかもしれません。あなたの生活の中にあなたを癒したり楽にさせたりするものが少しでも増えたらいいなと思っています。投稿ありがとうございました。