過去のこと
3人姉弟の長女、祖父母にとっても初孫ということで、愛情を注がれて育ちました。
小学2年生頃まではそれなりに「いい子」として成長していたと思います。
たくさんの友達に囲まれ、友だちに会うために学校や保育所に行くのが楽しかったです。
先生からマイペースさを指摘されることはありましたが、勉強もでき、積極性もあったので褒められることの方が多かったです。
小学2年生の終わり頃、友だちに誘われバスケットボールを始めました。
バスケは楽しかったです。
ですが、私はもともと運動神経がよくなかったこともあり、同じ時期に始めた人たちに段々と取り残されていきました。
自分では頑張っているつもりでも周りはもっと努力していて、好きなのに上手くできない自分のことが嫌いになっていきました。
また、チーム内にひとり気の強い人がいて、その人を中心とした2、3人の人たちが特定の人を無視、嫌がらせなどしていました。
私もその何番目かの標的になりました。
幸い、他のチームメイトは今まで通り接してくれましたが、嫌なことをされても苦笑いするしかなかったのは苦しかったです。(許すことはできませんが、恨みたいわけでもないです。)
結局、送迎や親同士の付き合いなど親の負担が大きかったこともあり、2年間で辞めました。
バスケを始めて気持ちが不安定になっていたからか、たまたま時期が重なっただけかは分かりませんが、小学3年生頃から色々と上手くいかなくなっていきました。
家では、親に暴言を吐き、弟に手を上げました。
今でも後悔しています。
学校には、授業が始まる直前に遅刻して行き、宿題もほとんどしていませんでした。
学年が上がるにつれて、友達関係は複雑になり、空気を読むことを覚えました。
ずっと一緒だった仲良し3人組のうち、1人はいつの間にか離れていき、寂しさと、変わらない関係でいることは難しいんだなあとなんとなく思いました。
それでも学校に行くことは苦痛ではなかったです。
授業はちゃんと受けており、勉強はできたので、中学受験をして、それなりのところに入学しました。
中学校ではちゃんとやろうと頑張りましたが、長くは続きませんでした。
次第に提出物が出せなくなりました。
変なところで完璧主義になるので、提出物が間に合わないから学校に行けない、と休むことも増えました。
そうすると勉強に追いつけなくなり、さらに学校から足が遠のきました。
週に1,2回休んでいたのが、丸々2ヶ月学校に行けなくなりました。
2年生に進級してからは、行ったり行かなかったりを繰り返して、1年を通して出席日数と欠席日数が半々くらいでした。
部活動では、運動部に入りました。
チームメイトや顧問に恵まれ、それなりに楽しくやっていました。
自分たちの代になり、私は部長になりましたが、結果的に言うと、私はだめな部長でした。
皆をまとめることができずに、チームはバラバラ。
他の人がサポートしてくれたけれど、上手くできない。
そのまま引退しました。
先輩にも同級生にも後輩にも、申し訳なさでいっぱいです。
今のこと
現在中学3年生です。
学校へは行ったり行かなかったりが続いています。
友人関係も無難にできているし、学びたい気持ちはありますが、今の私にとって学校は苦しいところです。
同調圧力のようなものがあり、そんなものに流されなくてもいいと分かっているものの、従ってしまう自分がいます。
他の人と一緒に何かをするとき、人の顔色をうかがう癖がついているからか、色んな人の気持ちを感じ取ってしまいます。
皆のペースに合わせることが難しいです。
1人で閉じこもっていた時間が長かったからか、些細なことで疲れるようになりました。
家族とは、価値観が違うということに気付き、衝突することは減りました。
生意気な娘をちゃんと育ててくれたことに感謝しています。
ですが、母が父の愚痴を言っていたり、弟と母が喧嘩をしているところを見ると苦しくなります。
将来のことを考えないといけない時期ですが、今日1日のことだけで精一杯で、どこから考えていいのか分かりません。
興味のあることはいくつかありますが、努力も何もできない自分となりたい姿が結びつかないです。
死にたい気持ちについて
始めて死にたいと思ったのはいつだったか覚えていません。
小学校高学年の頃はすでに思っていました。
時が経つにつれて、死にたい気持ちは、大きく現実的になっていきます。
今までのことを振り返ると、周りの人には恵まれてばかりだと思います。
なのに、自分は何もできず、私のために時間を使ってくれた人に迷惑しかかけていません。
これからもどうせ迷惑をかけるだけなのだから、それなら早く死んでしまったほうがいいと思うのです。
どうでもいいことですぐに苦しくなってしまう自分にも、もううんざりです。
じゃあどうしたら死ねるかなと考えるのですが、考えれば考えるほど死ぬのが怖くなってきます。
死ぬまでの苦しさへの恐怖と、周りの人を悲しませてしまう、苦しませるかもしれない恐怖があります。
怖くて、まだだらだらと生きてしまっています。
生きていくことも苦しくて、しょっちゅう、怖さと寂しさの波が押し寄せてきます。
気持ちをちゃんと吐き出せれば、少しは楽になるんでしょうか。
思えば、私は自分の思いを伝えることをあまりしてきませんでした。
幸せなことに、話せばちゃんと受け止めてくれる友人はいます。
でも、どんな言葉を使っても私の思いを正確に伝えることはできない気がするし、なにより心配させたくないのです。
友人たちもそれぞれ抱えているものがあって、私のことまで背負わせるわけにはいかないと思い、自分で抱え込むしかなくなっています。
自分1人ではたくさんの感情をコントロールできず、自傷行為をすることで何とかしてきました。
この苦しさがずっと続くのか、恐怖の中で死を選ぶのか、それとも生きたいと思える日が来るのか。
まだよく分かりません。
今回、気持ちを整理するためにも言葉にして投稿させていただくことにしました。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
感想1
投稿してくださってありがとうございます。
バスケットボールのエピソードを読んで、好きなことを好きなままでいられない状況だったのだろうと思いました。そして、とても残念なことだと感じました。楽しめること、夢中になれること、好きなことは生活の中で実は結構大切な要素なのではないかと思います。でも、嫌がらせがやまない状況、他の人より上手くできないこと(もしかすると比較されることがあったりと、比べずにはいられないような状況があったのかなと想像しています)があったら、苦しい気持ちになるのも無理はないと思いました。
投稿者さんは周りの人間関係の中で起こっていることを色々と感じているのだと思いました。
「皆のペースに合わせることが難しいです」と書いてありましたが、それぞれの人の気持ちを感じられれば感じられるほど、実はそれぞれちょっとずつ違うペースで、違う感じ方や考え方をしているので、全部に合わせるのは難しくなっていく気がします。
また、感じ取っているものはあるものの、本当はそれに合わせたくないなぁと思うことも少なくないのかなと思いました。でも、別の気持ちを持っている自分と「同調圧力」の間に挟まれてしまうことも多そうです。
そうやって過ごしていると、確かにとっても疲れてしまいそうだと思いました。
この経験談を読んでいて、とても理路整然と読みやすく書いてあると感じました。「死にたい気持ちについて」のところでは、投稿者さんの中の色々な感情や感覚を教えてもらったので、私も(同じかはわからないけど)知っている感覚な気がするな…など、共感しながら読みました。タイトルにもある「恵まれてるのに」という気持ちも、10代のころかなり思っていたことなので、なんだか人ごとと思えないような気持ちになりました(勝手な言い分ですが…)。
でも一方では、こういうふうにすっきりとはまだ言語にしきれない思いや感覚、感情も、もしかしたら投稿者さんの中にあるのかなとも想像しました。
「どんな言葉を使っても私の思いを正確に伝えることはできない気がする」という言葉に私もそうだなと思いました。言葉があると物事を理解できたような気がすることもあるけれど、実はどうやっても完璧に何かを表現したり伝えたりすることはできない気がします。でも、何度も語ったり、書いたりしているうちに、また違う伝え方が出てきて、それも完璧に表現できるものではないとしても、少しずつ自分や相手の理解が変化していくことはあるように思います。
また、言葉ということでいうと、投稿者さんは言葉を使うのが得意な方なのだろうと思ったので、他の人が書いた経験談や、あるいは小説や漫画、歌などの他の人の言葉の中に、投稿者さんが共感したり、気になったりするものもあるかもしれないと思いました。