経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

擦り減り回復しない心。成長しない思考。

2022年春に大学卒業。派遣、アルバイトを転々と。適応障害(背景に広汎性発達障害、ASD、21年オンライン授業で体調崩して診断済。コロナ前からそもそも大学休みがちだった。)で2度目の休職中。引きこもりがち。2週間に1度の通院は行けてる。生活費は父持ち。

毎晩布団に入ると泣いてしまう。
なぜか。
家事がそもそも分からない。どうやるの?いつやるの?調べても、長時間かかるし、やらなきゃいけない時には忘れてるし、毎回調べてる。クズじゃん。
対策本もちょっと読んで書いて。ただ書き写しただけ、場所もバラバラ。どんどん増えてく紙。何がどこにあるかわからない。この前も調べたのにまた忘れてるのか、なんてしょっちゅうある。
一軒家全部1人で掃除機かけるだけでもいろんなこと考えなきゃいけないのに、他にあそこも掃除しなきゃいけないし、ここも掃除しなきゃいけないの?そんなに手が回らないよ。不器用な私は自分の部屋だけで精一杯だよ。叫ぶのを堪えるために髪を抜いたり殴ったりもしばしば。

父は退職して、リノベした生家と自宅を行ったり来たり。絵に描いたような悠々自適な生活。私は未だに実家を出られないお荷物、不要な存在。不整脈や腰が悪かったりするから、食事の買い物、用意をしてもらってる以上、これ以上負担はかけられない。マッサージをよく頼まれ、してあげたいけど起きてすぐでそんなエネルギーないよ。「私ももう30手前だよお父さん。子供じゃないよ?」過去も今もこれでもかと援助受けてるのにこの考え方。クズかよ自分。あげく不機嫌な態度取って、父をさらに不機嫌にさせる。自分が嫌いだ。

今まで何もやってこなかった私が悪い。調べてもわからない私が悪い。日中起きてられない、サイクル乱れてる私が悪い。お父さんが口酸っぱく昔から私たち兄弟に言ってきた「自分のことは自分でやれ」「二十歳過ぎたら自立しろ、社会はそんな甘くない」という正論がどんどん私を追い詰める。私の自己否定にはじまり、さらには相手の考え方も否定し始める始末。もう人間として終わってるのかな。

知識一辺倒で生きてきた私。何も成長してない。
友人はバリバリ働いている。連絡も疎遠だ。ご飯に誘われたがこんな私と一緒で何が楽しいんだ、会いたくなくなってきた。そもそも人付き合いや会話が成り立たず下手だというのに。それでも寂しくて泣いてる自分。誰かと話したい自分。

お母さんに聴きたくてももういない。
大学4年次、コロナ禍、転学したためもう24歳だった。
私の心が病むのを見て父に相談しようとした母に対して「お前が産んだんだろ?お前が何とかしろよ!」と叫んだ父。絶望した。「やめて、お母さんにそんなこと言わないで」とも言えなかった。20歳過ぎても無力な私。母を守るどころか、卒業レポートを手伝わせてまで(ほぼ母が書いたようなもの)卒業した無能な私。私が負わせた精神的・物理的負担への罪悪感がとにかく強い。お母さんを死なせた私が悪い。私のせいでお母さんは死んだ。

日々、私の心はどんどん擦り減っていく。
リラックス方法を試す、お風呂、自然の音、音楽…何にも反応しない。泣く以外の感情がどんどん消えて行く。すぐに溜まるストレス。

私の頭の中には子供の思考の私がずっといる。早く消えたい。ただそれだけ。希望はすっかり消えた。

感想1

頭の中がぐちゃぐちゃで、日々の生活においても何をどうやってタスクをこなしたらいいか分からない…まさしく混乱の中であなたの気持ちや思いを必死に紡いでくれたことが伝わってきました。書いている通り、心がすり減っていく感覚があるのも無理もないと思いました。経験談の中にいろいろな気持ちを書いてくれたように思います。このままではいけないと思う焦り、やるべきことがあるのに、うまくできない自分への失望、理解をしてくれず、呑気に暮らす父親への苛立ち、そしてそんな父親との関わりをうまくやり過ごせない自分への否定や本当は頼りたくもないのに経済的に依存せざるを得ないやりきれなさ、どうしても周囲と比較してしまい、湧き上がる情けなさや不甲斐なさ…たくさんの気持ちが次々を襲ってくるのですから、それらが整理できずに混ざりあって、泣けてくるのも自然なことだと思いました。
また、最後の方にある相談したいけれど、相談できないお母さんへの気持ちもあります。事情は書かれていませんが、強い罪悪感があることは伝わってきました。状況はわかりませんが、あなたのせいで死んだということはないと私は思います。でも、あなたが何かの心残りや思い当たることがあって、自分のせいでお母さんが死んだと思う気持ちは尊重したいです。
あなたには間違いなく味方や理解者、サポートが必要なのだろうと感じました。しかし、これまで理解もなく(おそらく理解がないだけではなく、誤解もされてきたように思います)、自分でも何ができるかできないのか分からず、他の人にできることができない自分が悪いのだと責任や負担を引き受けてきたのだろうと思います。目の見えない人に「よく、見なさい」と怒ったり、足のない人に「ちゃんと歩きなさい」と言う人はいませんが、認知や理解が独特で他の人のようにできない人はそれが見えないため、「よく考えなさい」「説明したんだから分かるでしょ」「ちゃんとやりなさい」と簡単に言ってしまいます。タイトルに「成長しない思考」とありますが、人は周囲からの理解、そして自分自身への理解に加えて学ぶための環境や機会があって、成長できます。あなたはその機会が保障されず、むしろ奪われてきたのではないかと私は感じています(想像なので、間違っていたらすみません)。今はたくさんの気持ちが絡み合って「泣く」しかできなくなっている心を、これから少しずつほぐすことができる機会があることを願っています。
死にトリが少しでも役に立ちそうなら、これからも来てもらえたらと思います。

感想2

投稿を読み進めながら一回話してみたいな…と思いました。きっと不安や混乱の真っただ中にいながら経験談を書いてくれたのではないかと想像したからです。
いまのままではいけない、自立しなきゃ、自分のことは自分でしなきゃ…と思いながらずっと何とかしようとしてきた様子も想像しました。さらに日常の家事は、すごく試行錯誤しながらもうまくいかずに自己嫌悪の毎日を生み出すきっかけになっているのかなと思いました。
きっとあなたにとって母親さんはよき理解者だったのかもしれませんが、いまは誰にも相談することなく、ほぼひとりで調べたり考えたりしながら日々を過ごしているのでしょうか。
これまでなんとかしようと試行錯誤を繰り返してきたあなたなら、困った時に相談したり、苦手だなって思う部分をサポートしてもらえる福祉サービスや年金制度などを活用すると日常生活はだいぶ楽になるのかなって思います。以前に発達障がいなどの診断も受けているようなのでそういったことはすでにご存じなのかもしれませんが、一度通院先や役所に相談してみることもひとつかもしれません。
母親さんが亡くなったことや父親さんとの関係を考えると、こころがすり減って泣きたい感情以外感じられなくなるのも無理はないと私は思いますし、これまでも様々な場面ですごく自分自身を責めてきたように思います。
私はあなたが“成長しない”と考えていることが印象的でした。
私もよく自分のこころや思考の中にこどもの頃と何も変わらない小さな自分を感じます。その自分はあまり変われないように思っていて、成長(経験による変化)というのはその周辺の部分が少しずつ大きくなっていくイメージを持っています。
でもその成長に不可欠なのは、自分のことを理解しようとするひとの存在だと私は思っています。そのひとから客観的に意見をもらい、言葉を交わし生活する中に成長があるように思うんです。あなたにはそういったひとは存在するでしょうか。もしもいないとしたら、成長しないと感じていることをそこまで責めることは無いのかもしれません。変わる環境がいまは見つかっていないだけであなたの責任ではないと私は思います。
そして何よりも今回は死にトリの経験談を投稿してくれました。これもまたあなたが行動に移したきっかけづくりのひとつです。
“誰かと話したい自分”と書いてありましたね。これからも死にトリにお話しにきてみませんか。
まだ活用したことがなければ考えたことをつぶやける「とりコミュ」というコンテンツもお勧めです。それ以外にもいまはSNSなど話せる相談窓口もあります。よかったら「まもろうよこころ」で検索してみてください。あなたが感じるどの気持ちもすごく自然なものだと思ったので、まずは話したり理解者を見つけたりするところから少しずつ成長(というよりも変化)することを私は願っています。投稿ありがとうございました。

お返事1

*感想1の方へ

泣いてしまうのが自然なことと理解していただけて、ほっとしました。

スマホにせよ手書きにせよ、書くことの方が好き(楽?)で、1人でも自分の感情を整理できるようにと、頭の中を整理するために書くことに頼りきってしまうことがあります。ただ、毎回同じ負の気持ちに陥ってしまいます。やはり誰かと話したり、聞いてもらったり言葉を交わしたりしないと、感情の整理は先に進めないのかな、とも思いました。

私が高校1年のときに母はがんを患いました。母は手術をし、その後復職。服薬、1人で定期通院、手術から10年が経ち再発はもうないだろうと、元気に過ごしていました。しかし2年前の秋に体調を崩して検査し入院、転移で再発がわかり、そこから2ヶ月で亡くなってしまいました。

母がもうあと数日もつかどうかと言われた時、私は趣味に逃げて母から物理的に離れました。妹や家族のように献身的なサポートもしなかった、現実を受け入れようとしなかった、どこまでも身勝手な自分が許せないです。(最期は見届けられたけど)

周囲から理解を得るためには、自分から発言しなきゃいけない、こうしてほしい、と伝えなきゃいけない、でも言葉がうまく出てこなかったり、父には話を遮られたり。理解してほしい家族にも人生があります。話の最後はいつも暗に(父の場合は明確に)「早く自立してね?」というニュアンスの終わり方。エネルギーはどんどん無くなっていきました。もう何をしてほしいとかもお願いしなくなりました。親も高齢ですし、兄妹も自分の人生がある。これ以上のサポートは頼みたくても頼めないです。

*感想2の方へ

話してみたいな、と言ってくださり素直に嬉しかったです。

ずっと一人で調べてます。いろんな福祉や年金制度も調べました。相談に行きたいです、ずっとずっと行きたいと思ってます。でも一人で対面で話すと整理できずに頭の中が真っ白になったりり、パニックになったりしてしまうのです。呆れられて「自分でお調べになってください」と言われるのが怖い。通院先の先生には「しんどそうだからいまはまだここに来るだけで良いんじゃない?」と言われました。同居してる父には「自分で調べたんだけど怖くて役場行けない、限界」なんて言ったらまた「自分の人生なんだから自分でやれ」と言われるのは目に見えてるし負担を増やしてしまうのでもう何も言えません。

変わる環境、見つけられるように頑張ります。頑張ります、しか言葉が見つからないので、。

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