物心ついた頃にはすでに母から虐待を受けていました。
ネグレクトと暴言と暴力。
家事も育児もせず眠ってばかりの母は、起きると私の存在を否定する言葉を吐き、口に汚れた靴下をねじ込んでぶってきました。
父からは愛されていましたが、家族のために早朝から深夜まで働き、休日は泥のように眠る、会話どころか起きてる顔を見るのすら希な父の無言の愛を感じ取るには子供の私は未熟でした。
ごみだらけの部屋で過ごし、洗われていない衣服を着た不潔な私が小学校でいじめにあったのは仕方のない流れだったのでしょう。
けれど、それを飲み込むことが出来ず不登校になりました。
それを母から責められることはありませんでしたが、放置されるか虐げられるかの日々は続き、それ以外のコミュニケーションを知らないまま何年も経ちました。
中学生のときに母は男を作り、借金を残して家を出ていきました。
捨てられたのだと泣きました。
一緒にいても辛いだけだったのに、捨てられたことはそれ以上に辛かったです。
離婚してから父が頑張って時間を作ってくれ、父の愛を感じられるようになったことで少しだけ前向きになり、中学校には通えずじまいだったものの、通信制の高校へ行けることとなりました。
私の過去を誰も知らない場所で心機一転頑張ろうと思えました。
高校一年生のとき、友達は出来ませんでした。
部活には入ったのですが、二週間に一度の登校日に顔を合わす程度の人と親しくなるには私は人との接し方を知らなすぎました。
必死に馴染もうとしましたが、なんて声をかけたらいいのか、声をかけられたらどうすればいいのか、そもそも人前ではどんな表情や仕草をしていればいいのかがわかりませんでした。
高校二年生のとき、ほぼ接点のない人から告白されました。
知らないに等しい人でしたが、私を必要としてくれているのなら断る理由はありませんでした。
けれど他人から好意を持たれることが初めてだった私は、その好意を性欲ゆえのものだと判断しました。
だから全てを拒みました。
手を繋ぐことですら顔をしかめました。
そんな扱いをしても愛想を尽かすどころか愛を伝えてくる相手を気持ち悪く思いました。
その恋人の友人を紹介され、彼らのいるグループに混ぜてもらうことで初めて友達らしき人達が出来ました。
空気が読めないと誰からも言われましたが、キャラクターとして受け入れられました。
恋人に辛くあたっている姿すら面白がられ、そうして過ごすうちに俗にいうモテ期がやってきました。
二度目の告白を受けたとき最初の恋人と別れその人と付き合い、そこから告白される度に乗りかえ新しい恋人を作りました。
どの恋人にも酷い扱いをしました。
どれかの愛は受け入れられると思ったのですが、どの愛も理解不能で気持ち悪くてたまりませんでした。
それでも好意があると伝えられたら断れませんでした。
高校を卒業する頃には、表向きには空気の読める人当たりのいい存在になっていて、社会に出ると同性からも異性からもとてもよくしてもらえました。
人の輪に馴染むことが得意になり、時には盛り上げ役になり、時には聞き役に徹し、誰とでも仲良くなれました。
けれど友情も信じられませんでした。
陰では嫌われているような気がして怖かったですし、相手にとって都合がいいように振る舞って受け入れられてもむなしいだけでした。
それでも誰にとっても都合のいい人間を演じてきました。
相手が望むことはなんでもしましたし、相手を不快にさせるかもしれないならと、素の自分は出しませんでした。
自分に正直なのは、恋人をぞんざいに扱うときだけです。
そこだけはどれだけ演じようとしても、気持ち悪くて出来ません。
多くの人にとって理想的な人間を演じているからか、多くの異性から好意持ってもらえます。
その度に恋人を取りかえ、辛くあたり、それでもすがられ、それがいっそう気持ち悪くて虐げることを繰り返しています。
こうして書いていて気づきましたが、母も同じ気持ちだったのかもしれません。
愛を伝えて愛を求める私が気持ち悪く、辛くあたらずにはいられなかったのかもしれません。
母と同じことをしている以上、自分を悲劇的に語ることはいけないことでした。
ですがここまで書いたのですし敢えて残します。
最後をうまく締め括りたいですが、少し混乱してしまい難しいので乱文ですがこれで終わろうと思います。
長文失礼しました。
感想1
投稿ありがとうございます。幼少期の家庭での出来事を読んでいて、投稿者さんは人と関わりながら生きていく練習をする機会がかなり持ちづらい状況だったのだろうと思いました。人間は生まれた時から自分の感情を理解しているわけではないし、人との関わり方を知っているわけでもないようだと思います。だから、幼い時に、周りにいる大人からの働きかけや関わりの中で子どもは人の関わり方や自分の気持ちを知っていくのかなと思います。(幼い時だけではなく、人は一生をかけて経験しながら学んだり理解したりしていくのではないかという気もします)
でも、それがうまく機能しない環境で育つ人も、少なくないのが現状です。
「一緒にいても辛いだけだったのに、捨てられたことはそれ以上に辛かったです。」と書いてあることからも、投稿者さんにとっては母親さんは大切にしてほしい相手であると同時に恐ろしい相手でもあるという両価的な存在だったのではないかと想像しました。
経験談を読んでいて、「愛情」や「友情」などと呼ばれるようなものに対して、投稿者さんの中で、わからないからそれをわかりたい、感じたいという気持ちと、わからないから不気味に思い、信じがたい気持ちの両方があるのを想像しました。
人の輪に馴染む振る舞い、相手に合わせた振る舞いは、投稿者さんが集団の中で生きていくために身につけた処世術のようなもので、だからこそ友情を向けられたと感じた時にも、投稿者さん自身への気持ちというより、投稿者さんの振る舞いありきの気持ちのように感じたのかなと思いました。処世術と関係ない投稿者さん自身に好意が向けられなければ意味がないと感じる気持ちがあるのかなと想像しました。
でも一方では、理由のわからない好意を向けられることは「気持ち悪い」と書いてあり、その二律背反の感覚の中に「恋人をぞんざいに扱う」という自分にとって「正直」と感じられる振る舞いがあるのかなと思います。(勝手なことばかり書いていますが、的外れだったらすみません)
私もこの経験談を読みながら、愛情ってなんだろうと考えていたのですが、正直わかるようなわからないような感覚です。でも巷では愛情というものが当たり前に存在する前提で話が進んでいるので戸惑うことが結構あります。
「母と同じことをしている以上、自分を悲劇的に語ることはいけないことでした。」と書いてありましたが、私はいけないことだとは思いませんでした。自分のことを語るのは簡単ではないですが、語ってみたいと思った時に、試してみることは大切なのではないかと思っています。(もちろん辛くなってしまうこともあるので、無理にやらなければいけないことでもないのですが)
投稿者さんが今回書いてくださったこの経験談を時間が経って自分で読んだら、また別の感想を持つことがあるかもしれません。この経験談に書いてあるような気持ちを(全てではなくても)話してみられるような場や相手が少しでもいたらいいなと思いました。死にトリでも、これからもお待ちしています。