経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

後悔ばかり

高校2年生。
中高一貫校で6年間同じ学校、同じ部活。
いつも死にたいとか生きていたくないと思ってしまう。
きっかけは本当に些細なこと、でもこの気持ちはどんどん大きくなっていった。

中学2年生のときに「部活にいきたくない」とそう思った。理由は簡単。周りと比べられるのが嫌だったから、否定されるのが嫌だったから。1年間真剣に取り組んでも上達しなくって置いていかれるのが悔しかった。結果論で頑張りを認めてもらえないのが嫌だった。でも、それでも頑張ろうと思って毎日毎日サボらすに一生懸命練習に励んでいた。このときに逃げるという選択肢があれば未来は変わっていたかもしれないのに。

はっきりと死にたいと思ったのは中学3年生のとき。初めて心から死にたいと思った。何をやってもうまく行かなくて、比べられて、比べてしまって、苦しかった。いくらやってもうまくできない自分が恥ずかしかった。部活に行くのがつらくて、でもそれでも行っていた。わけも分からず涙が出てきて、小さなことで落ち込んで、生きづらさを感じていた。このときに、高校を決めるときに勇気をもてていれば今はこんなじゃなかったかもしれないのにな。

高校1年生。それまでよりも悪化したのがわかった。中学の頃よりもできないことが増えて情緒が不安定になってしまった。人付き合いが上手く出来ずにクラスでは孤立し、勉強が出来ずに授業には置いていかれ、運動が出来ずに部活の顧問のあたりも強くなった、というより呆れられる回数が増えた。何をやってもうまくいかない。周りの普通ができなくて劣等感と自己嫌悪とで気持ち悪かった。自殺の方法も考えた。臆病で、実行する勇気もないくせに死に方だけはずっと考えていた。なにかあればすぐに悪い方向に結びつけて勝手に苦しくなって、褒められても素直に受け取ることができずに自分で自分を傷つけて、自分が嫌いになっていった。弱いくせに、見栄っ張りで、誰にも相談なんてできなかった。周りにはうまくいってると思っててほしかった。小学生の頃は人並み以上に色々とできたから両親にはなおさらバレたくなかった。

今、高校2年生。もはや自分の気持ちがわからない。なにもやる気になれないし、挑戦する勇気もない。抗うのすらつかれてしまった。時間だけが過ぎていく。何も出来ずに、何者にもなれずに、落ちこぼれのまま時間が過ぎていく。苦しい。勉強をしなくてはならないのに手がつかない。ダメ人間とはまさに自分のことのような人間なんだろうなと思うことがある。ご立派に夢だけはあるのに、それを叶える努力すらもできない。人として終わってるのかもしれない。頭も身体も重たくて思うように動かない。あのときああしていたら、もしもああだったら、後悔ばかりだ。自分の選択を後悔して、過去に戻りたいと願って今を無駄にする。そしてまた後悔する。自分で決めたことなのに「なんで」「どうして」が消えない。後悔ばかりの人生。この時間もいつかよかったと思える日が来るのかな。そのいつかまで自分は生きているのかな。

いじめられてるわけでも、虐待を受けているわけでも、なんでもない。のに、苦しい。恵まれているはずなのに生きづらいと思ってしまう。こんな自分が大嫌いだ。いつか自分を心から好きになってあげられるといいな。

長文、乱文、失礼しました。
最後までお読みいただき有難うございます。

感想1

 経験談の投稿、ありがとうございました。中学生の時の、周囲と比較された経験、否定された経験、頑張りを認めてもらえなかった経験、そして加えて上達に難しさがあった経験は、あなたの中でかなり大きなつらい出来事だったんじゃないかな…と私は思いました。こういった経験は、なんだか、自分自身に対して「そのままの自分で良いよ。」と思うことが難しくなるのかなと私は考えました。(もしかすると、高校2年生の今のあなたがそうなのかなと。)
 ただ、そんな経験をしつつも、毎日サボらずに練習に励んでいたあなたを、率直に私は「すごい」と思いました。それはあなたの奥に秘めている粘り強さや、真面目さを表しているようだと私は思いました。ただ、その真面目さが、あなたを苦しめる方向に働いていたのかもしれません。
 あなたと状況は全然違えど、私も学生時代の部活に良い思い出がありません。つらくて、つらくて、何度も休んだこともあります。部活後に涙を流したこともあります。ただ、私は休まないと絶対潰れていただろうな、むしろ休まなすぎだったかもしれないなと、過去の自分を見て今なら思えます。
 あなたは、過去の自分に声をかけるとしたら、なんと声をかけますか?私の場合だったら、泣くほどつらい気持ちを受けとめてあげて、休ませたいなあと思います。
 今、高校2年生のあなたが後悔しないために、あなたの今のありのままの感情(やる気に慣れない、勇気もない、つかれてしまったなど)に耳を傾けてあげて欲しいなと思います。
 また、ちょっと今私が言ったことと逆なことになってしまうかもしれませんが、過去のご自身の選択に対して後悔することはないんじゃないのかなと私は思います。当時のあなたは、自分を変えようと必死に抗っていた…それが毎日練習に励み続けるという選択だったのかなと思います。その選択は、当時のあなたが考え得る上での最善の選択だったのではないでしょうか?それが、今となってつらさに繋がったかもしれないけれど、私は過去のあなたの選択を、否定してほしくないなと思いました。(きっと、これは私のエゴです。)

感想2

苦しい思いを自分のなかだけに抱え、悶々としている様子が伝わってきました。私の印象ですが、とても真面目に正しく頑張る人にならなければならないという強い気持ちを持っているのだなぁと感じました。そして、その強い気持ちがいったいどこから来るのだろうかと考えています。私たち死にトリは「死にたい」気持ちのもとは理想と現実のギャップなのではないかという仮説を立てて、サイトで紹介している「つらチェック」もその仮説をもとに作りました(やってみましたか?)。Twitter(今はXですね)で死にたいとつぶやいている人たちを分析したり、周りにいる死にたいと思っている人たちの話から、たどり着いたのですが、あなたのように特にいじめられているわけでも、虐待を受けているわけではないという人もけっこういます。
時系列でまとめてくれたことで、頑張ろうと思っても、できない、うまくやりたいと思っても、周りに置いていかれる…あなたの中に理想や未来に向けての強い動機が現実を前に焦りや不安にどんどん変わっていく様子がよくわかりました。理想と現実にギャップがあるときの解決策として、理想に追いつこうと頑張ること(これはあなたが必死にやろうとしていることだと思います)と、理想を下げることがあると言われますが、もう一つ理想の変えるという方法があるそうです。私は何かの本を読んでそれを知ったのですが、なるほど、そういわれてみると、私は日頃その方法を使っているかもと思ったりしています。
また、どうしても、この社会では何かをできるようになるとか、努力をすることが特に評価されるように思われている節があります。でも、実際には人が成長するためには、あなたの今のように思うようにできない葛藤や苦しみも貴重な経験になることも多くあります。特に今は学校という場が評価される基準の中心になっているので、今の苦しみがあるように思いますが、もう少し広く世の中を考えるともっともっと評価の基準があるのではないかと思っています。
最初に私が考えた、真面目に正しく頑張らなければならないという気持ちはあなた自身から自然に出てきたよりも、周囲の影響も大きいのかなと思っています。あなた自身もいつか、今苦しんでいる時間も無駄ではなかったと思える日が来るかもしれない、また、自分のことを好きになる日も来るかもしれないとの願いや見通しがあるのだろうと思いますが、これからもっと広い世界を見ていったときに見える景色や感じることは異なる日は来ると私は思っています。
モヤモヤとしたらまたいつでも死にトリに発信したり、他の人たちの意見を感じたり、知ったりしに来てもらえたらと思います。

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