『生』という名の『苦』から解放されたら、私はどれほど幸せだろうか。
『生』という名の『苦』から解放されたら、国はどれほど幸せだろうか。
『生』という名の『苦』から解放されたら、世はどれほど幸せだろうか。
『生』という名の『苦』から解放されたら、星はどれほど幸せだろうか。
この世は所詮、赤の他人の集まりだ。
誰がどう死んでも、どのくらいの数が死んでも、私にはまったく関係ない。
どんなに人が死のうが、世の中は回る。
世の中なんて、そんなものだ。
そもそも、人類は早かれ遅かれ、いつか滅亡する。
だったらどんな人が早死しても、何もおかしくない。
生きるか死ぬかなど、その人の自由だ。
人の人生を、他人が決める主義はない。
死にたければ、死ねば良いのだ。
そして私は、その中の独りなのだ。
ディストピアの世界で、人類としての『苦』を背負わされてしまった。
私は、そんな『苦』から解放されたいと望む存在なのだ。
私はずっと、家族に迷惑をかけてしまった。
野球なんてやったことないのに、野球部に入ることを許してくれた。
経済的に余裕なんてないのに、専門学校に通わせてもらった。
私が目指したいと言った、IT業界への就職も喜んでくれた。
それなのに、この体たらくになってしまうなんて。
野球ゲームができるだけで、野球部に入ったのは間違いだった。
練習しなくても、レギュラーになれると勘違いをしていた。
生意気にも、顧問や監督に提案じみた行為をすることがあった。
それが原因なのか、周りから数々の暴力を振るわれた。
それ以来、野球は大嫌いになった。
就職が楽になるだろうという不純な理由で、専門学校に進学した。
そこに居るだけで、将来は安泰だと思っていた。
そんなことはなく、只々両親にお金を使わせるだけになってしまった。
華々しいという想像だけで、IT業界の仕事を選んだ。
待ち受けていたのは、只々相手に使い捨てられる奴隷のような生活だった。
凄惨な扱いをされた私の心は、完全に荒んでしまった。
仕事をすることが嫌になって、ニートに成り下がってしまった。
障害年金頼りの生活も困窮を極め、借金をするほど心が痩せていく。
『金無し・職無し・能力無し・目的無し・理由無し・目標無し』の六重苦。
願うばかりに望むばかり、何も成し遂げられず、何も成し遂げようとしない。
そんな状態で、私はまた少し『死』に近づいた。
私は「未来をどうしたいか」と、そんなことを考えられなくなった。
私は「そうしたいから」と、そんなことを考えられなくなった。
私は「これを目指したい」と、そんなことを考えられなくなった。
私は「何とかなるだろう」と、そんなことを考えられなくなった。
この世界に居続けることの、何が楽しいのだろうか?
私がこうなる運命だというのならば、私が産まれた意味は何なのか?
なりたい者になれることが出来ず、なる者になるしかない。
人類というのは、そんな哀れすぎる概念だったのだろうか。
それでもまだ、昔は何かあったはずだった。
これから先も働いて、稼いだお金で何かを楽しんで、それを繰り返す。
そんな生活を送りたい、そう思っていたはずだった。
しかし今はもう、そんなものなどない。
私はこの世のありとあらゆるすべてに絶望し、生きることを望まなくなった。
人から求められたことを行うだけの私に、この世は地獄だった。
これを『地獄』と言わずして、果たして何と言うのだろうか。
それでもなお、この『地獄』でも生きろと言うのか。
死んではいけない、生き続けろと周りは高らかに叫ぶ。
それはお前たちの本心か、それとも虚像か。
どうして、死んではいけないのか。
どうして、生き続ける必要があるのか。
それに対する答えを持っている奴は、誰一人として存在しなかった。
「三十歳まで生きられたら良い」というフレーズが気になったと、以前言われた。
その理由は「なんとなく三十歳までが人生の華かな」である。
単純に『長く生きる』ことが分からないから、だと思う。
だが、私は非常に優れた存在なのかもしれない。
小学生にして、『この未来』を予言できたということは。
そう、私に『新しい世界へ旅立つ時』が来たということだ。
周りよりも一足先に、その地へ飛び立てるようになったのだ。
あぁ、これは何と素晴らしいことだろうか。
ならば今、それを現実のものにすべき時ではないだろうか。
私はもう、十分に人として生きるのを楽しんだのだ。
これから先が『地獄』でしかないのなら、これ以上生きる必要はないのだ。
問題があるとすれば、今は仲間がいないぐらいだろう。
どのくらいの時間を掛けて到着するか分からない以上、道中の話し相手は欲しかった。
では、なぜ私はまだ生きているのだろうか。
そうだ、死ねないのだ。
今の私は、死ぬ勇気を振り絞れないのだ。
というよりも、私は本当に死にたいと思っているのか。
仕事がしたくない、それだけなのだ。
遊んで暮らしたい、それだけなのだ。
しかし、今の環境ではできないのだ。
だから死ぬしかない、それだけなのだ。
我儘に生きて、我儘に死にたいのだ。
日本を捨てる力も、勇気もない。
私はただ、その日が来ることを待ち望むばかりなのだ。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
最初の4行は、一つの詩だなと感嘆しています。全体を通して、物語を読んでいるような気持ちになりました。
やってみようと挑戦した野球で暴力を振るわれ、専門学校で感じたやるせなさ、就職した先で奴隷扱いされる日々、生活に困窮する現状・・あなたがどんな気持ちで過ごしてきたのかと想像しながら読ませていただき、この先も生き続けていくことに意義や希望を見出せなくなるには十分すぎる体験だったのではと感じています。
どうして死んではいけないのか、どうして生き続ける必要があるのか。そして、誰に尋ねても答えが返ってこないこと・・。この部分には、勝手ながらとても共感しています。あなたの、苦しさから解放されたいと願う気持ちと「生きるか死ぬかなど、その人の自由だ」との言葉には確かにそうだよなと思う自分がいます。一方で、ちょっと待ってと声をかけたい自分もいます。そんな相手の振る舞いには、もうほとほと疲弊しているかもしれませんが・・。あなたの絶望感を想像して「死んではいけない」と簡単には言いたくない自分がいます。本当は「死にたい」ではなく、今の環境では「死ぬしかない」と考えていると話してくれましたが、仕事をしないで遊んで暮らすこともあっていい世の中のはずが、社会の価値観の中にもあなたを苦しくさせる要因がたくさん散らばっているのですかね。
また、文中に「仲間」のことが書かれていましたが、あなたにとっての「仲間」そして「親愛なる友」は、どんな人たちなのかなと気になりました。あなたにとって、どんな人が仲間だと思えるのですかね。また聞いてみたいです。もしよければ、またこちら(死にトリ)にも参加してほしいです。