経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
死にたくないけど、生きてはいけない
どうして生きることを辛いと感じるようになったのか。その大本の原因は、父親の躾であると思います。
今でも覚えているエピソードに、こんなものがあります。
ある時、親が観たいテレビ番組を録画していた。そのことを知らなかった私は、その番組の放送時間中に、他の番組を観てしまった。昔の録画機能では、録画しつつ別の番組を観ることはできなかった、私が観ていたものが録画されてしまった。
その事実が発覚した途端、父親は烈火の如く怒った。
鼻息荒く私の元へ近寄り、どういうことだと不満を押し付けてきた。
私には、ただ「ごめんなさい」と泣きながら繰り返すことしかできなかった。
それでも気が収まらない父親は、「殺すぞ」と言ったり、蹴ったりした。
父親の腹の虫が収まるまで、私は「ごめんなさい」と言うことしかできなかった。
父親の躾について、私は今でも、怒りの感情を持ったことはない。
ただ、怖くて、辛くて、悲しかった。
やってはいけないことがあるのなら、教えてほしかった。
失敗をしてしまったら、改善案を一緒に考えてほしかった。
暴力や暴言を、ぶつけないでほしかった。
それからずっと、怒られないように頑張った。
父親の気分を損ねないように気を張り続けた。それでも、予期せぬ暴力に苛まれ続けた。
いつしか何事にも不安を覚えるようになった。
自分の存在に後ろめたさを覚えた。
こんなに父親の気分を損ねるなんて、私は駄目な人間だ。こんな出来損ない、居ない方が良いんだ。そう考えるようになった。
同じ環境で生きていたはずの姉や兄は、私と違って強く逞しく生き延びている。翻って私はと言えば、毎日毎日消えることばかり考えている。
なんて生産性のない、金が掛かるだけの命なんだろう。
生まれてきてごめんなさい。
本当は、死にたくないんです。私はやりたいことがあって、それを追い求めたい。動物を飼いたい。もっと友人と遊びに行きたい。
だけど、私は生きていてはいけないと思うんです。
他人を不快にする私が、何もできていない私が、金が掛かるだけの私が、楽しいことをして生きていていいはずがないんです。
生きて良いという、確固たる資格が欲しい。
もっと親に愛されたかった。
早く楽になりたい。
どうか私が生まれてきたことを、無かったことにしてください。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。
録画のエピソードを読ませていただき、あなたがちょっとした失敗も許されない過酷な状況に置かれていたことが鮮明に伝わってきました。わざとやったことでもないのに責め立てられ、命の危険すら感じるような暴言や暴力を受けてこられたのですね。
誰だって失敗はあると思いますが、失敗の受け止め方は様々です。あなたにとって失敗とは恐怖であり、悲しみであり、命の危険に繋がるものなんだと、読ませていただくことで理解できました。そういった感覚が、あなたの「生きてはいけない」と言う感覚に繋がっているのかなと想像しています。何をするにも息が詰まるのではないでしょうか。
父親の機嫌を損ねぬよう気を張り続けるというあなたの努力は、当たり前に強要されるものだったと思います。ですが、それは誰にだってできることではないとも感じます。姉兄のことでも少し触れておられましたが、父親のこと以外でも色々な事を感じながら生きてこられたと思います。とても抱えきれるようなものではなかっただろうなと感じると同時に、それでも生き抜いたあなたを肯定したいと私は思いました。
迷いはあると思いますが、死にたくない、やりたいことを追い求めたいと言うあなたの気持ちに従ってほしいなと私は思います。これまでどんな形であれ頑張り続けてきたあなたが生きていてはいけないと思わされることが、私は悔しいです。大切にしているご友人がいるのであれば、その方があなたの失敗をどう受け止めるのか、尋ねてみてもいいのかなと思いました。もしかすると、父親とは全く異なる失敗の受け止め方をされているかもしれません。ご自身でも、失敗するってどういうことなのか、振り返ってみてはいかがでしょうか。
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。
父親という人間が「絶対的な存在」になってしまった体験や記憶、そしてそれはその時限りではなく今も根深く投稿者さんの中に残り続け、現在に至ってもなお影響を及ぼしているかのように想像しました。私の父親と、そして私自身の受けた体験と被るものがあり、まるで自分のことのように感じながら読ませて頂きました。
「父親の躾」とありますが私にはお父さんが投稿者さんにしていたことは躾とはとても思えず、その場その場でまるで子どものようにお父さんが感情を表出させているような印象を受けました。そして論理や筋の通っていない、ただただ感情を爆発させるお父さんの行動は投稿者さんをとても困惑させていたのではないでしょうか?
それらの出来事だけでも投稿者さんが感じたお父さんへの「恐怖」は確かなものであったでしょうが、追い打ちといわんばかりに「殺すぞ」などと暴言を吐かれていたり暴力があったことで、より強く、より怖い存在としてどんどん変化していき、ただ「ごめんなさい」という言葉を重ねるしかなかったという状況に投稿者さんを心的に追いつめるには十分な出来事であったように私には感じられました。
お互いの考えや気持ちを傾聴しあう話し合いではなく、一方の感情に晒されると、目の前に映っている事態だけを機械的に終息させようと自分の感情を心の奥に押し込み、何がダメだったのかもわからないまま自分に落ち度を作り場を収めようとしてしまうのかなと私は自身の経験も含め思っていますがどうでしょうか?
「怒り」の感情を持ったことがないとありますが、それはいつ何で怒るかわからず、「躾」という名のもとにお父さんが虫のいどころの悪さ次第で感情をぶつけてくる状況に対して、投稿者さんが自分を守るための術として押し込まざるを得なかった感情であったのと同時に、お父さんによって奪われた感情でもあるように私には思えてなりません。
それらの体験が積み重なっていつしか何事にも不安を覚えるようになってしまったのはある意味当然なこととも言えますし、本来家族との関係において感じる必要性のない「自分の存在の後ろめたさ」に繋がってしまったのかなと思いました。
また、二人のきょうだいが同じ環境にいながらも強く逞しく生きているのは、もしかしたら投稿者さんと同じような気持ちをそれぞれに感じながらも心のどこかで「こうはなりたくない、こんな場所にいるのは嫌だ」と感じて、反骨精神のようなものから外に居場所を見つけようとした結果なのかもしれませんし、そんなお二人を見て投稿者さんが「自分はそうでない」と感じる必要は全くないと私は感じています。言ってしまえば自分の機嫌一つで家族に感情をぶつけるお父さんから逃げ、その後始末や感情の処理を投稿者さんが押し付けられていた部分もあったのかなとも私は取れてしまうので。
「生きて良いという、確固たる資格が欲しい」という表現がとても印象的でしたが、それは本来誰しもが持っているもの、逆に言えば誰しも持っていない、必要のないものだと思います。生まれてきたことをなかったことにしたいと思いつつも、本当は生きていたいという思いを大切にしてほしいと思います。投稿者さんには投稿者さんの人生があると思うので、その気持ちをおざなりにせずに少しずつでも自分が願うものを形作っていってほしいなと私は思います。
投稿ありがとうございました。
お返事1
感想をいただきまして、ありがとうございます。いただいた感想を受けて、また色々なことを思いました。
どうして、私の経験談や、今抱えている感情を受け止めてもらうだけで、こんなにも心が救われるのでしょうか。
私は、この生き苦しい心をどうにか楽にしたいと思って、色々なサイトや動画を巡り、最終的には精神科にもお世話になっています。
その先々で、「人は無条件で生きて良い」という言葉を目に、耳にしてきました。
そんなの嘘だと思いました。
そんな根拠のない甘言で納得できるほど、私は素直ではありませんでした。
ですが、何となくこの言葉の意味が分かりかけたような気がします。
この言葉は、少なくとも私にとっては、誰かに言われて意味のあるものではなく。
私の中から生まれてきて、初めて意味を成すものなのだと思います。
すなわち、自分の存在を、心を、行動を、無条件で認めること。それが必要なのだと思いました。
まだ完全には自分のことを認められてはいませんが、ゆっくりでも、少しずつでも、認めていけたら良いなと思っています。
私は、ここでいただいた感想をお守りにして、大事に握りしめながら生きていこうと思います。
ありがとうございました。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。
録画のエピソードを読ませていただき、あなたがちょっとした失敗も許されない過酷な状況に置かれていたことが鮮明に伝わってきました。わざとやったことでもないのに責め立てられ、命の危険すら感じるような暴言や暴力を受けてこられたのですね。
誰だって失敗はあると思いますが、失敗の受け止め方は様々です。あなたにとって失敗とは恐怖であり、悲しみであり、命の危険に繋がるものなんだと、読ませていただくことで理解できました。そういった感覚が、あなたの「生きてはいけない」と言う感覚に繋がっているのかなと想像しています。何をするにも息が詰まるのではないでしょうか。
父親の機嫌を損ねぬよう気を張り続けるというあなたの努力は、当たり前に強要されるものだったと思います。ですが、それは誰にだってできることではないとも感じます。姉兄のことでも少し触れておられましたが、父親のこと以外でも色々な事を感じながら生きてこられたと思います。とても抱えきれるようなものではなかっただろうなと感じると同時に、それでも生き抜いたあなたを肯定したいと私は思いました。
迷いはあると思いますが、死にたくない、やりたいことを追い求めたいと言うあなたの気持ちに従ってほしいなと私は思います。これまでどんな形であれ頑張り続けてきたあなたが生きていてはいけないと思わされることが、私は悔しいです。大切にしているご友人がいるのであれば、その方があなたの失敗をどう受け止めるのか、尋ねてみてもいいのかなと思いました。もしかすると、父親とは全く異なる失敗の受け止め方をされているかもしれません。ご自身でも、失敗するってどういうことなのか、振り返ってみてはいかがでしょうか。