経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

社会のお荷物

26の女です。
果たして私に生きてる価値はあるのでしょうか。

小学生の時にイジメにあい、中学では不登校。
それでも周りに支えられ、フリースクールへ行くようになり、高校では友人もでき、短大へ進学し、もう立ち直れたものだと思っていました。
しかし、新卒で就職した先は、上司と社長が兄弟でよくどちらかのの怒声が響くような小さな会社。その怒号が私に向かうことはありませんでしたが、見ているだけでも辛く、いつ自分に怒鳴られてしまうのかと恐ろしくてたまりませんでした。ある朝、心がポッキリ折れてしまい、両親にもう会社に行きたくないと泣きつき、病院で「適応障害」と診断されました。3ヶ月ほど休職しましたが良くならずそのまま退職。半年ほどヒキニート生活を送ってました。
それを見かねた父の提案で職業訓練を受けていましたが、就活にやる気が出ず、またコロナが流行りじめたのもあり、訓練終了後にまた同じ生活に戻るだけでは…?という焦りから、近所のパン屋のパートとなりました。週4日数時間のシフトのため、稼ぎは多くはありませんでしたが、働いてないよりかはずっとマシだったと思います。
その後、短大の友人の誘いもあり、パン屋のパートを辞め、酒類小売会社に勤めることになりました。友人とは違う部署だったためほとんど話すこともなく、私より後に入った同じ部署の人が先に辞めるとういうことが続き、その内友人も転職し、直属の上司が長期休職の後に退職するのを機に、私も契約解除となりました。私も怠けていたところがあったので自業自得です。
今は実家で両親と妹の4人で暮らしています。妹も就職先で精神を病み、1年近く引きこもっているような状態です。

Youtubeで中高年ひきこもりの動画を見て、未来の自分たちじゃないかと恐怖しました。
当事者の方には申し訳ないですが、ああはなりたくありません。でも、どうしたらいいのか分からないので、きっと似たような道をたどってしまうのでしょう。
在宅ワークセミナーを受けてみたり、サイトに登録してみたりはしてますが、上手くいく自信はありません。正直に言うと就活のため書類作成をしたり面接を受けたりしたくもないのです。

甘っちょろい考えだと思いますし、方法も思いつきませんが、誰もが幸せになる世界になればいいのにと思います。長々とすみませんでした。

感想1

読んでいて、投稿者さんが将来に不安を感じていること、でも不安でない状態のためにどうしたらいいのかわからなくて困っていることを想像しました。
新卒の就職先についての文章を読んで、そこに自分がいたとしたら、とても怖いだろうと思いました。私の場合ですが、怒鳴り声を聞いていると、それが自分に向いていなくても、すごく心臓がどきどきしてしまいます。もちろん感じ方も人それぞれだとは思いますが、「恐ろしくてたまりませんでした」と書いてあったのを読み、無理もないことだと思いました。

その後のパン屋さんのパートは「働いてないよりかはずっとマシだった」と書いてありますが、投稿者さんにとっては比較的無理なく働きやすい場所だったのでしょうか。
もしそうなら、それはどんなポイントが大切だったのかな?と気になりました。
仕事に週何日も行くとなると、その環境にいる時間は生活の中でとても長いものなので、投稿者さんにとって居やすい場所であることは大事であるような気もします。重視するポイントは人によって違いそうなので、投稿者さんの感覚を聞いてみたいなと思いました。

私個人としては別に働かなければいけないとも思いません。生きている価値…みたいなものがあるとすれば、生きている人全員に最初から最後まであると思います。それは働くかどうか、ということには関係ないと私は思います。
もちろん、働くことでなにか自分として充実している時間が過ごせたり、ちょっとできることが増えたり、自分一人では気づかなかったことに気づいたり…ということはあるかもしれません。でもそれは別に仕事という方法でなければいけないわけでもないと思います。

ただ、働いていないと不安という気持ち、でも働くのは不安だという気持ち、そのどちらも私も感じて生きてきたと思います。
その上で思うのは、個人的には「働く」「仕事」というのは、実際はものすごく多様なものをひとくくりにしているだけの言葉だということです。例えば、オフィスで週5日働く…みたいなのも働き方のごく一部でしかないけれど、生活している中では、あまり色々な働き方を知る機会がないようにも思います。
「誰もが幸せになる世界になればいいのに」というのは、本当に私も思います。(でも、そう考えると、「でも、そもそも幸せってなんだっけ?」と考え始めてしまうのですが)
そのためのひとつは人と仕事とか、人とコミュニティ、人と人…などのミスマッチが減ることかもしれないと思いました。
それぞれができること、やりやすいことと、無理しなくて済むことと、誰かにとって必要なこと(作業や手伝い、仕事、活動など)がマッチするにはどういう仕組みが必要なのでしょうか?
具体的にはまだよくわからないですが、「こういうことがやりやすくて、こういうことがやりにくい人がいる」みたいなそれぞれの多様な状況がもっと知られていくことも大切なのかもしれません。投稿者さんの感じてきたことや、意見ももっと聞いてみたいです。

感想2

経験談を読ませてもらい、学校や職場など社会のあちこちに埋め込まれたいじめやパワハラなどの影響についてすごく考えさせられました。一方であなたを支えてくれた友人の存在など幸せの方へ向けた関わりもあって、経験する出会いや機会によってその後に進んでいく道や考えることが変わるんだよな…って色々なことも考えました。
いじめによってこころに残ったダメージが回復したと感じた頃は、不安や恐れみたいな感覚は奥底で静かに眠っていたのかもしれませんが、また同じような場面になると感覚的に呼び起こされたのではないかと思いました。

暴力には直接的なものと間接的なものがあると思います。
間近で怒りの感情や否定的なメッセージを聴いているだけでも恐怖感は感じると思いますし、過去の自分の直接的なダメージの記憶と結びついてしまうでしょうから、こころが折れたことはあなたが自分のこころを守るとても大切な反応だったと思います。(SOSを出せて良かったなって私は思いました)
仕事ができなくなると、社会で必要とされていなかったり役に立てない…それはまるで自分に価値がないのではないかと錯覚しますが、実はあなた自身の価値はなにも変わっていなく、その価値を生かす環境が整えられなかった会社に価値がないということだと私は思うんです。(特にパワハラなどが当たり前にある会社にはそう感じます)酒類小売会社も辞めるひとが続いたということですから、もしかしたらあまり安心して働ける職場ではなかったのかなと想像しました。いまはどこの職場も人材不足ですから時間をかけてじっくりひとを育てていくことも難しくて、すぐに即戦力みたいに扱われることもあるって聞きます。
ここはしばらくの間、仕事からこころを離して過ごすことや安心できる環境のなかでコミュニケーションを重ねていくのもどうでしょう。(死にトリにきてくれるのもそのひとつかもしれません)
あなたの生活がすぐにまた働かなければならない状況なのかな…そうでないのだとしたら私はなによりあなたが本来もっている能力を安心して発揮できたり、こころが動くような環境に出会ってほしいと思います。
それにしてもハラスメントがない職場が増えていかないと日本社会はどうなってしまうのか…と危機感を覚えましたし、タイトルにある「社会のお荷物」はパワハラがある会社のことだと私は思います!
投稿ありがとうございました。

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