経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
日本の大学卒業後、アメリカの専門学校に入り、そこで今の旦那さん(日本人)と知り合いました。旦那さんはアメリカに残り、私は、日本に帰ったのですが、そのまま関係が続き、22年前に結婚アメリカで結婚。子供2人と旦那さんと今もアメリカで暮らしております。
日本人として、アメリカで暮らすことは、私にとって楽なものでありませんでした。小さい時に水泳で結構いい成績を残せたことから、周りからチヤホヤされて育ち、井の中の蛙状態だったこと、日本的な周りに迷惑かけない、人に合わせるを徹底されて育ったことなどが、色々ごちゃごちゃに入り混じり、そのような育った小さい蛙が、いざアメリカのような環境に飛び出したときに、文化の違い、言葉の壁にぶつかったときに一気に自信を失い、どのように対応していいのかわからなくなりました。それでも、自分はできると、アメリカでなんとかやっていける自分にならないといけないと、結婚後も必死に生きていました。それでもやはり、どんな状態でも、どんな人よりも自分は劣っている・・・前に出ていけない・・・言葉が通じないのでは・・・と思ってしまい、ずっと引け目を感じて生活していました。
子供が少し手を離れ、自分に時間が持てるようになった時に、やはりこのままではいけないと思い、栄養学に興味があったので、栄養士になろうと、community collegeというところに通って、4大に編入すべく、クラスを取り始めた矢先、娘が難病にかかりました。それでも主人は諦めないでみんなで協力してやっていこうと言ってくれ、娘の看病をしながら、学校に通いました。そんな生活の中で、栄養士から看護師の仕事を目指すようになり、困っている人など助けられる人になりたいと思い、看護学校に入学し、修士を取りました。娘はその後、健康を取り戻しました。
看護学校を終え、いざ仕事を始めると、いまだに全く前に出ていくことができない自分に気づきました。何をやるにも”大丈夫かな?””怒られるのではないか?””こういう時はどうやって接すればいいのか?”といつも戸惑っている自分。絶対にあっちがおかしいのに、”おかしくないですか?”と言えない自分。借金して学校に通い、結構な思いをして通ったのに、まだこんな情けない自分であることに失望しました。その時に、自分は今までずっと自信をつけることでアメリカにいる自分を正当化しようともがき苦しみ、看護学校に行くことは最後のチャレンジだったのだと気づきました。それでもなお、自信が持てず、情けなく思うことばかりで、今では、消えてしまいたい思うようになりました。消えたいと思うことは、どういうことなのか、自分でも全然わかりません。死にたいのか、どっか誰も知らないところに行きたいのか・・・でも家族には迷惑かけたくない・・・でももうアメリカにいたくない。仕事に行きたくない、怖い・・・情けない・・・この繰り返しです。
最近まで全く泣けませんでした。不安で辛い理由が仕事だけにあると思っていたからです。でも結局、それだけでなく、全く自信がないまま20年以上もアメリカで生活している自分、チャレンジが悉く失敗していることに気づいた時、今度は涙がとまらなるくらい泣けてきました。このまま、自分を保つためにどのようにしていけばいいのか、わかりません。もう年も51歳です。前を向くためにどうしたらいいのかという思いがぐるぐる巡っています。
感想2
経験談を読んで「自信」ってどういうものなんだろうと思いました。読んでいる中で、投稿者さんが持ちたいと思ってきた自信とは、「自分がどうしたらいいかわかる」「どうしようか決められる」みたいなことに近いのかな?と想像しました。
アメリカに行く前は「これがいい」「こうすべきだ」という周りの期待と、自分のできることが比較的一致していたのかなとも想像しました。だからこそ、それがずれてしまってギャップに苦しんでいる面もあるのかなと感じています。
「なんとかやっていける」こと、「どのように対応していいのか」わかること、また、そういう自分だと自分について思っていられることを求める気持ちを文章から感じました。だからこそアメリカ生活で「チャレンジ」を続けてきた(もしかすると、なにかチャレンジし続けていないとしんどかった)のかなと想像しました。
投稿者さんは何かの目的のためにひたむきに努力をすることができる方なのかなと思います。だからこそ、なんとかして乗り越え、対応できるようになることを目標に、努力を続けてきたのだろうと思いました。
一方で、今の投稿者さんが「失敗」した状態というわけでもないのでは?とも思いました。確かに最初に思い描いていたなにかを達成した姿とはどこかギャップがあるのかもしれないですが、投稿者さんがなにかを学んだり、やり続けてきたことは事実だと思います。
私は日本以外の場所で暮らしたことがなく、「文化の違い、言葉の壁」やその中での生活をあまり理解できていないかもしれませんが、投稿者さんが暮らしていた環境ががらりと変わったことで、その社会やコミュニティの「なにがいい・なにが悪い」という評価軸が大きく変わってしまったという面もあるのかなと想像しました。
また、場所やコミュニティによって何が多数派かということは変わりますが、別の社会で暮らすことにより突然少数派の立場に置かれたとすると、その中で生きていくことには気を抜くのが難しいような日々の苦労もあるのではないかと感じました。
「言葉が通じない」ということを考えても、自分にとって第一言語を話せば通じる社会と、あとからその言語を学ぶ必要があり、それによって初めてコミュニケーションができる社会では、難易度がかなり違うと思います。
これは投稿者さん自身が日本で暮らすかアメリカで暮らすか、ということについても言えることですし、投稿者さんの周りにいる英語が第一言語の人と、投稿者さんの違いについても言えることだと思います。
それはかなりの格差のようなものだと思います。ただ、それを保証されない中で努力をしなければいけないことは、例え投稿者さんの決断がそこにあったとしても、すごく大変なことなのではないかと思います。
もちろん、その中で生きることが悪いわけでも決してないのですが、異文化の中で生活する大変さは劣っているか優れているかという話とはまた別の軸の大変さがたくさん含まれるのではないかなと思いました。
私は個人的には、投稿者さんがその文化にすべて合わせようとしなくてもいいのではないかと思います。たとえ日本にいたとしても、どこにいたとしても、周りと比較する必要はあまりないんじゃないかな?と考えています。(でも周りから合わせることを強いられることもあるし、難しいですよね…)
投稿者さんは22年(もしかすると日本にいるときから、もっと長い間)頑張り続けて、自分を保つのが難しいと感じるくらい、疲れてしまっているのかなと思います。
そんな投稿者さん自身を労りながら、自分の体や心をゆっくり休ませてあげるのもいいかもしれないと思いました。
もしかすると無理に「前を向く」必要もないのかもしれません。目的みたいなことから離れて、なるべく無駄だと感じることに時間を使ってみるのも、いいのかもしれません。
投稿者さんのこれまでのことと、「ぐるぐる」巡っている思いを投稿してくださってありがとうございました。
感想1
経験談の投稿をありがとうございます。
私は「文化の違い」などに興味を抱く人間なので、あなたのアメリカでの経験を読んで思わず感想を書きたくなってしまいました。もし、ずれたようなことを書いてしまっていたら申し訳ありません。
あなたは「日本人として、アメリカで暮らすことは、私にとって楽なものでありません」と書いていますが、私はそれは「多くの日本人にとって楽なものではない」とも言えるのではないだろうかと考えています。というのも、「文化の違い」や「言葉の壁」があることはもちろんですが、アメリカにおいて日本人はマイノリティとなるため(そもそも違いを感じたり壁を感じたりすることそのものがマイノリティだと言えるかと思っています)、と考えています。私は一週間ほどアメリカにいたことがありましたが、たったそれだけの期間であっても自分がマイノリティであることを突きつけられる経験をしました。それは目に見えにくいものであり、日常の様々なところで経験するもの(マイクロアグレッションなどというものもあります)でもあるので、長く過ごしていれば過ごしている分、知らないうちに日々負担が蓄積されていくものであるように私は思っています。そしてそれはマイノリティ側でしか気づけないことでもあるので、周りからあまり理解されないことでもあると私は考えています。
もしかしたら、あなたはそうした負担を知らず知らずのうちにひとり蓄積させ続けていて、それをあなた個人の努力でなんとかしようとしてきたのかなと私には想像されました。そうだとするならば、あなたの「引け目」や「自信を感じられない」こと、「失敗」と感じる根本的な原因は環境や社会構造の側にあり、あなたのがんばりや努力が足りないからでは決してないと私は思います。むしろ、娘さんの看病をしながら学校に通い修士を取るといったことなどは容易なことではなく、相当の苦労があったことと想像します。マイノリティとして生きることだけでも日々相当のエネルギーを要すると私は思っているので、あなたはそれこそ「必死」にここまで過ごしてきたのだろうと思います。それでも自信が持てないのは、やはり社会が「あなたはマジョリティではない」というメッセージを発信し続けているからであるように私には映るのです。あなたの「アメリカにいたくない」というのは、アメリカという国に対する嫌悪みたいなものではなく、マイノリティで在ることの苦しさを表してると私には読めるのですが、いかがでしょうか。
すべての人にとって安心して暮らせる世の中になってほしいなと私は思いますが、残念ながらすぐにはそうならない現実があるので、あなたが少しでも苦しさを感じずに生きていける環境や道はどこだろう、そこと出会えたらいいなと願います。誰かの力を借りながら、それを考え見つけていってもらえたらと思うので、もし死にトリがそうした場のひとつとなりうるようであれば、ぜひまた活用してもらえたらと思います。私はマイノリティが安心して暮らせる社会とは何か、それはどのようにしたら実現できるのかをあなたの経験談を通じて改めて考えたくなりました。またあなたの経験をお聞きする機会があればうれしいです。投稿をありがとうございました。