経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

普通になりたい

ただただ、生きづらい。
文で上手く伝えたり、話したりするのは苦手ですが私が私でいたことを忘れないためにここに残させてください。
私は、周りからみて幸せな環境化に置かれていると思われていると思います。
一人っ子として愛され、なに不自由なく育てて貰い、現在は公務員として働いています。
愛されることは、幸せなことであると同時に私にとっての呪縛でもあるんです。
私がいま、生きづらいと思いながらも生きているのは両親の存在です。
両親は私の命よりも大切であり、私の人生を指し示してくれる人です。
私が将来困らないように、ありとあらゆることを子どものころから教えられました。
それが普通となり、自分の意見を伝えても最終的に両親が言う意見に従ってきました。
いつしか、自分の意見には自信がなくなり自分で何かを決めることが出来なくなって、酷くなると自分の服さえも決められなくなりました。
自分に自信がないから、自分が合っているのか分からないという不安からことある毎に親への確認をしました。
転機は高校3年の受験期です。
社会人になる時、私は親が喜んでくれると思った仕事をし始めました。
そこに入るために一生懸命勉強をし、自分との気持ちが落ち着かない時に、そこで初めてリスカをしました。
受験期の不安と両親の喧嘩、それらが重なり初めて普通じゃなくなった時がその時かもしれません。
受かることをゴールにしていた私は、その先のやりたいことが見つかりませんでした。
やりたいことが私が分からない。
でも、親に喜んでもらうために何かをやらなきゃ。
その気持ちで一杯でした。
仕事は基本的に私の苦手な臨機応変、人と接する機会が多いものです。
私にこの仕事は向いていないと思いつつも、やめることはない。
やめるぐらいなら死んだほうがましとさえ思うほどに。
その仕事を初めて、約3年。
職場内での自分のキャラと居場所を掴みつつ、自分の気持ちの限界が近づいてきていると思ってます。
理想と現実のクズな自分へのギャップ、社会に適さない存在と理解をしているから。
だから私は静かにリスカをします。
死ぬ覚悟がない半端者が薄く切ることで生きている自分への戒めとして。
やめなきゃいけない、普通にならなきゃ。
本当は病院に行きたいと思っています。
私は普通なのか、そうじゃないのかを知りたいです。
普通なら、私はその普通に耐えられない。
周りの人のように立ち上がれない。
でも病院に行くことはリスクがある。
職場にばれるかもしれない。
リスカぐらいしかしていない自分は精神科では普通クラスかもしれない。
行くタイミングと、行っていいのか分からない。
私は私から解放されたい。
普通になりたい。
出来ることなら、誰からも忘れられて始めから居なかった存在として1人で死にたい。

感想1

読んでいて、投稿者さんが「なりたい」と考えている「普通」がどんなことなのかを考えてみていました。
文章の中には投稿者さんからみた、投稿者さんの両親のこと、そして彼らから与えられてきたことがたくさん書かれていました。これらを読んでいて、投稿者さんは、投稿者さんの両親が正しい、あるいは選ぶべきだと考えている(と投稿者さんが思う)選択肢が「普通」の基準だと投稿者さんは感じてきたのかなと想像しました。
生きる中で選択をする場面はたくさんありますが、その時に、実際に両親から言われた選択や、言われてはいないけれどきっと両親が望むであろうと想像した選択をしてきたのかなと思います。
「それが普通となり、自分の意見を伝えても最終的に両親が言う意見に従ってきました。」ということですから、もともとは投稿者さんの意見が別にあった場合でも、両親の意見に従うべきだという感覚があったのだろうと想像しています。また、実際、投稿者さんの力や努力によって、それに応えることが比較的できてきたのかなと思いました。でもそれはつらくないということではなく、だからこそ、いま限界が近いと感じているのかもしれません。

私たち人間は家族であろうと、どのような関係であろうと、個別の存在で、影響し合いながらも、別々のことを感じ、別々のことを考える、別々の存在です。でも自分の意見よりも他の人の意見を重視することが続くと、自分の感覚や意見を頼りにすることに自信が持てなくなることもあるなぁと思います。

リスカにもいろんな側面があるのだと思いますが、もしかすると、投稿者さんにとって、つらい気持ちを紛らわせたり、自分自身の感覚を得たりするやり方のひとつなのかな?と想像しました。
「普通」ではない、「やめなきゃいけない」ことだと投稿者さんは書かれていましたが、他のなにかでなく、自分の感覚を大切にするための投稿者さんの対処法なのかもしれないと思いました。
(私の経験からイメージしただけなので、違っていたらすみません)
私は個人的にはリスカが悪いことだとは全然思わないですが、つらいときにリスカにしか頼れないと困ってしまうことも多いかもしれないので、ほかにもなにか頼れたり、落ち着けたりできる方法が見つかるといいかもなぁと思いました。

読んでいて、投稿者さんはとてもいろんなことを感じて、考えて生きてきた方なのだろうなと思いました。
でもそれを感じることや、表現することにうしろめたさを感じているのかなと思いました。
その一つの理由は「周りからみて幸せな環境化に置かれていると思われている」「一人っ子として愛され、なに不自由なく育てて貰い」という部分にあるのかな?と思います。
私も似たことを思っていた時期がとても長かったので、なんだかとても共感してしまいました。
いまになって思うのは、どんな状況かに限らず、自分が感じていることは本当で、感じてはいけない感情なんてないのだろうということです。
投稿者さんの気持ちや、考えていることを経験談に書いて、死にトリに送ってくれてうれしいです。

病院も、投稿者さんの頼る先のひとつの候補になるかもしれないと思いました。私は15年くらい精神科に通っていて、これまで数人の主治医にお世話になりましたが、合う先生に出会えると、自分のなかでは解決できなくてこんがらがったことを別の視点で見てもらえることもありました。
もちろん合う医師もいれば合わない医師もいましたし、すべてをきれいに解決してくれるものではないのですが、いろいろのうちのひとつとしてはありかも?という感じです。

「文で上手く伝えたり、話したりするのは苦手ですが」と書かれていましたが、私はそうは感じませんでした。むしろよく整理した上で書かれているのだなと感じました。
とはいっても、投稿者さんの中にあるたくさんの引き出しの中のひとつを見せてもらったにすぎないですし、違う時に書いたらまた違う内容にあるかもしれないなと思います。
死にトリではとりコミュという掲示板があり、さまざまな人の気持ちや感じていることを読むことができますし、もちろん書くこともできます。
もっと手軽なところでは「シニトリ」というアプリで気持ちをことばにすることもできます。
よかったら使ってみてください。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。読ませてもらいながら投稿者さんがこれまで家族の中の意見を大事にしてきたり自分よりも周りを大事にしてきた積み重ねがリストカットという表現で現れているんじゃないかなと感じました。
理想と現実の埋め方は理想を変えるか、現実を理想に近づけるか、または両方やるか…という話を前に聞いたことがあります。私はその話を聞きながら、今の自分にはそれすらも判断出来ないなぁと感じて絶望したことがありました。私も投稿者さんと同じように家族(主に私にとっては母)がどう思うかを大切にしてきたから、自分がどう感じるのかどう思っているのかを第一にしてきたことで、自分の考えが育たずにきてしまいました。
周りが求めてくる自分を演じることでしか人と関われず、どうしたら良いのか分からなかったときに死にトリのように自分の本音を話すことを大事にしている場にであってから少しずつ自分の思いが湧き出てくるようになりました。
投稿者さんは自分の言葉を持つことができてる人だなと感じました。それはとても大事な投稿者さんの力です。周りと比べて自分がどうなのか気になる気持ちもあると思います。
でも、私は投稿者さんが周りからみてとか周りや社会に溢れる当たり前に照らし合わせたのではなく、投稿者さん自身が自分のことをどう思うか、どうしていきたいかを考えた時にも最後に書いてくれたような気持ちになるのか、それとも別の気持ちになるのかをもっと話してみたいなと思いました。もしよければまた死にトリで気持ちを教えてください。

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