経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

楽しいはずの毎日が

元々ネガティブ体質だったのですが、若い頃はまだ、例えば中学や高校時代は高校に行けばとか、大学で環境が変わればとか社会人になってからは、新しい職場などに変わればとかと何とか紛らわせて生きてきましたが、30代で父が急死した際に、精神バランスを崩した事がきっかけで、体調が悪い時は、診察を受けたりしながら、このままではいけないと自分自身に喝を入れ、騙し騙し生きてきましたが、50代になってからは、今までの自分自身の性格や環境、いじめられた時の記憶や、母親からや先生、同僚、先輩からの言葉などを思い出すようになり、若いというだけで素晴らしかった貴重な時間を無駄にしてしまったと悔いるようになりました。悔やんでもどうにもならない、これからの人生を楽しめば良いと頭では分かっているのですが、切替える事が出来ず、今は楽しいはずの毎日なのに歳を取ってしまうと若い時みたいに楽しくない、若かったら良かったのにと、考えてもどうにもならない悩みが渦巻く日々を過してしまっています。
こんな情けない私に何かご指南を頂けないでしょうか。よろしくお願いします。

感想1

投稿をありがとうございます。
お父様が急死された時は大きなショックを受けたことと思います。それによって精神バランスを崩したということですが、その際に「このままではいけないと自分自身に喝を入れた」と書かれているところが気になりました。「騙し騙し」そうするしかなかったということかと思いますが、あなたの言う「このままではいけない」が「ネガティブ」に思えたのかなと想像したのですが、いかがでしょうか。もしあなたが悲しむことを「ネガティブ」と捉えて「喝」を入れていたのだとしたら、今からでも悲しみ直してもらいたいなと率直に思いました。ネガティブかポジティブかではなく、あなたが感じている(いた)気持ちそのものを大切にしてもらいたいと思うためです。
あなたの言うように、人は誰もが老いるため「若さ」を想うことは多かれ少なかれ皆経験するものかと思います。それはネガティブかポジティブか、正直私にはわかりません。ただ(繰り返しとなりますが)あなたがそのことを通じて感じることこそ大切にされてほしいと思います。ありがとうございました。

感想2

タイトルの「楽しいはずの」という言葉が気になって、繰り返し読みました。読んでいく内に、(私の勝手な想像ですが)あなたは今、心から「楽しい」のではなく、「差し迫った困難がない」あるいは「大変な人に比べれば平和」というふうに考えていらっしゃるのかなと思いました。「平和なはずなのになぜ自分は楽しいと思えないのだろうか?」と、ご自身を疑っているようにも感じられます。
文章の中にも「騙し騙し」など、ご自身を律してきたような表現がいくつか見られます。学生~社会人~今に至るまで数多の出来事があったと思いますが、その時々での純粋な喜怒哀楽に委ねることはせず、不断に自制し、ご自身が「~ねばならない」と思う状態に、こころを無理に合わせてこられたのかなと。
もしそうであれば、今、ご自分が「楽しい」と心から思えているのかどうか感じてみてほしいですし、思えていないようなら、死にトリという場所を通して、ご自身のこころについて一緒に考えさせてほしいです。人はいつでも「過去」を悔やみ、ないものねだりをする生き物と思いますが、まずは「今」の自分を見つめ直すことから、「未来」が変化していくのではないかと、私は考えています。
一緒に考える場としても、あるいは取り留めのない悩みにからめとられ苦しくなってしまう時にも、いつでも死にトリはありますので、またいらっしゃってくださいね。
投稿ありがとうございました。

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