経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

わかんない

なんで私は死にたいのか、わかんない。
とても裕福な家に生まれたわけじゃないけど、悪くもない、普通の家庭に生まれて、普通に家族間も仲が良くて、それなりの反抗期もありながら、大学一年生、今も生きてる。でも、いつからか、ずっと死にたいと思い続けてる。いじめられていたわけじゃないし、人生が大きく変わるほど辛かったことや悲しかったことがあったわけでもない。でも、ずっと死にたい。

自分の性格はどんなだろう。小学生のころから完璧主義ぎみで、自分でも面倒くさい性格してるってよく思う。いかに効率良くできるかとか、他人がどう思うかとか、すごい気を配ってると思う。あとはすごく嫉妬する性格。恋人はできたことがないけど、友達にとても嫉妬する。人間関係、才能、容姿など、私が持ってないものを持ってると簡単に嫉妬する。それでいてものをはっきり言えない、優柔不断な性格だから、へんな性格。普通に友達と会話を楽しめるし、空気も読める、でもSNSのアカウントはしょっちゅう消す。友達Aが私の知らないところで友達Bと喋ってると思うときつくてたまらない。いつからこんな面倒くさい人間になったんだろうね。

死にたいと思いはじめたのはいつかな、たぶん小学生高学年からだと思う。
小学四年生くらいの時に、ストレスで髪を抜く癖が出てきて、今も続いてる。なんどもやめようとした。まつげとまゆげを抜きすぎて、友達に「なんか顔変わったね?」って言われた時、本当に恥ずかしかった。やめたい、やめたい、やめたいって思えば思うほど髪の毛をいじっちゃう。中学生の時に、初めて担任の先生に相談した。先生は真摯に向き合ってくれたけど、髪の毛を抜くのは1人の時だけだから、先生のなすすべもなく、何も変わらなかった。
小学六年生の時、過食で一年で13kg体重が増えた。ピアノのコンクール続きでのストレスだと思う。母親が仕事をしていてリビングに誰もいない時に、お菓子をずっとずっと食べてた。母親がお菓子が少なくなってるのをみて「食べたの誰?」って言及するけど、私は食べてないって嘘ついた。過食はそれでもおさまらなくて、中学3年間で8kg、高校2年生までに6kg体重が増えた。何度もやめようとした。高校三年生になった時、受験勉強で塾漬けだったから、家にいることが少なくて、10kg痩せた。でも、大学一年生の今、初めての一人暮らしで、寂しくて仕方がない。休みの日は特に。どこにも行くことがないから、自分の部屋でなにかずっと口に含んでる。おなかもすいてないのに。まただめだった。過食、やめられてなかった。
学校から帰ってきたら夕方はお菓子を食べて、その罪悪感で夜は自分の部屋で髪の毛抜いて、その罪悪感で夜中にこっそりお菓子を食べて、その罪悪感で髪の毛を抜いて、、、。
そればっかり。もうやめたい。

普通に生まれて、普通に育って、ピアノを習わせてもらって、大学にも通わせてもらって、じゅうぶんな人生してる。映画で涙するし、漫画で笑うし、賞をもらったら喜ぶし。なのに死にたいのはなんで。

昔あった嫌な記憶がふと蘇って、永遠に死にたくなる。過去のこと、楽しいことも沢山あったはずなのに、思い出せるのは嫌だったことばっかり。今の私が将来何者になるのか、不安定な未来しか見えなくて死にたくなる。それなりの大学に通ってるけど、”それなり”のせいで周りの才能や知識量に圧倒されてしまう。でも死にたい理由はそれだけじゃなくって、なんでかわかんないけど、死にたくなる。

わかんない、なんで死にたいのか。なんでこんなに長い間死にたいと思ってるのか、わかんない。でもずっと漠然と死にたいって思ってる。

死にたいって思わないで生きてみたい。なんで死にたいのかわかんないのに死にたいって思いながら生きてるの、いやだ。死にたい。

まとまってない変な文章でごめんなさい。

感想1

お話ししてくれてありがとうございます。
「死にたいって思わないで生きてみたい」というところがとても印象的でした。
あなたにとって死はどんなイメージなのかなと探りながら、2、3回読み返しました。

文章を読んで伝わってきたのは、 どうして? と 怖い でした。
家庭環境がよくて、一般的に特に問題なく生きてきて、それでも死にたい気持ちがある。
この死にたい気持ちはどこからくるの?どうして自傷行為を辞められないの?
不完全な自分で生きることへの恐れ、抜毛や過食といった自傷行為を辞められない自分への恐れ。でもそれらが明確になってしまうのも、怖い。そんな風にイメージしていました。(間違っていたら申し訳ないです)

私のなかには、嫌で嫌で逃げ出したい事や、辛くてたまらない出来事に対峙したときの
重苦しい気持ち・解放を求める感覚があります。それが死にたい気持ちに似ているのかなと、自分の引き出しのなかでなんとなく重ねてみながら想像していました。
わからないというのはそれだけで不安を加速させていくような気がします。自分の心や身体だけで受け止められなくなったとき、死にたいが近づいてくるのでしょうか。あなたの気持ち、また聞かせてくれると嬉しいです。

感想2

 経験談の投稿、ありがとうございました。死にたいと思う理由がハッキリわからないまま、死にたい気持ちを抱えていることに特にしんどさがあるように私からは見えました。今回経験談に投稿をして下さったのは、少しでも死にたい理由をハッキリさせるためだったのでしょうか。(もしそうだとして、ちょっとでも整理されたのであれば嬉しいです。)
 髪の毛を抜くこと、何かを食べることで、一時的に気持ちを落ち着かせたり、自分を保っていたようにも私からは見えましたが、かえってその行為がさらに自分のストレスにもなっていたのかなと思いました。私も過度にストレスがかかったとき、食べたい気持ちを抑えることができず、数年で急激に体重が増加してしまった経験があります。今でも、無気力になったとしても食欲だけは衰えず、1日中食べ物のことを考えてしまう日もあります。そんな時に、「どうして自分は食べることを辞められないのだろう」と思い調べ、そこで「エモーショナルイーティング」という言葉を知りました。(ご存じなければ、お時間があるときに調べてみて欲しいなと思いました。)私は食べてしまうメカニズムを知り、「これは仕方ないな。」とちょっとだけ楽になりました。もしかすると今あなたは、自覚していない過剰なストレスを感じる環境に置かれているのかもしれないと私は推測しました。
 私は「死にたい」と思うことはすごく気持ちが疲れてしまうことだと思っています。「死にたい」と思わないで生きるためにはどうしたらいいのだろうと、わからないので日々考えています。その時、「死にたい」原因を考えることがありますが、自分の現実と向き合って、さらに苦しくなる時もあります。そんな時は、「死にたいのはどうして?」ではなく、「死にたいけれどどうしよう?」と対処を考えてみます。「死にたい」気持ちは完全に消せないかもしれないけれど、少しでも軽減する対処法を持っておくのも1つの方法なのかなと私は思いました。そしてまた、わかんない気持ち、いやな気持ち、死にたい気持ちなどいつでも吐き出してほしいなと思います。待っていますね。

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