子供の頃、家は裕福ではなかった。幼稚園、小学校、中学校といじめに遭っていた。登校拒否もした。家計問題と自分の学校嫌いのせいで高校には行けなかった。
その後両親も離婚、働きに出たけどストレスで自律神経失調症を患い退職。少し良くなったと思ったら今度は父親の介護に追われる日々。
その父も数年前に亡くなり今は一人。家族も友人もいない。
それは構わないけど私って何のために生きてるのかな?この世に価値なんてないと思ってる。でも自殺はしないと思う。そんな度胸がないのは自分が一番わかっている。
なにもない中を進んでいくのだろう。生きることにも死ぬことにも興味を失ったままで。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きることも死ぬことも
感想2
読ませていただきました。
きっと、自分のことは二の次三の次にせざるを得ない環境だったのではないかと想像しました。学校の中にあるストレス、家計の事情、親の問題…どれも自分とすごく近いところにあるけれど、一方で自分一人ではどうにもできないものたち。でも、自分が何かを「したい」と心が惹かれるための余力とか、エネルギーを持つには、すごく重要なピースたち。そういったイメージの中であなたの人生を想像すると、何かに興味を持つ土台も、感性も、持つことが難しかったのではないかと、そんな印象を抱きました。
たくさんの困難さやあわただしさを超えた今の「凪」のような状態(ニュアンス違ったらすみません)は、前よりは穏やかなのでしょうか。穏やかではあるけれど、何もないのも虚しい、という感じでしょうか。虚しさすら、ないでしょうか。あなたが、「何もない」という状態をどんな風に捉えているのか知りたくなりました。また、よければお話し聞かせてください。
投稿ありがとうございました。
感想1
「なにもない中を進んでいくのだろう。生きることも死ぬことにも興味を失ったままで」という最後の言葉がとても印象に残りました。家の裕福さ、幼稚園や学校でのいじめ、病気の発症、その言葉の中にはこの文章には表現されていないだけで、たくさんの出来事や思いが隠されているのではないかなと感じました。日々生活していく、生きていくことですら精一杯のような、そんな日々だったのではないかと想像をしています。そして、もしそうだとすれば、そうした生活の中で興味を持ち続けることのほうが苦しく、だからこそ「失う(失わざるを得なかった)」ことで自身の身を守ろうとしてきた(している)のではないかと考えていました。(全然違っていたらすみません)