経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

神様、もう歩けない

死にたい
自助グループ、自己探求、啓発、祈り‥
こんな行動によって日々何となく命は続いてきた。
でも、この生きるための選択をしている自分に気づくと、すごく苦しくなる
私が今、本当に欲しいのは、死ぬ勇気。
色んな辛さを抱えながらも、何とか生き延びる知恵も、励ましも、そばにいて抱きしめてもらうことも、もう何にも要らないから、ただ、この世から消えてなくなりたい。

どうしたら、上手く心地よく繋がっていられるのか
どうしたら、目の前のあなたを愛せるのか
的外れだったかもしれないけど探し回った。

でももう、向かい風が強すぎて立てない。
進むのはもう怖い。

過去の恨み節と自分への呪いで不安が目の前に広がっていて、目の前のあなたが霞んでる。

もう、私から話すことはしたくない
ただあったかい日差しと涼しい風をじっと座って受けていたい。
神様が本当にいるなら、そばに行ってあなたが来るのを静かに待っていたい。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。詩を読んでいるようなそんな感覚になりながら読んでいました。文章全体からも、「私が今、本当に欲しいのは、死ぬ勇気」という言葉からも、これまで辛さを抱えつつも何とか乗り越えようとしてきたけれど、現実を突き付けられたり報われなさのようなものが積み重なってきたことで、生きること自体に疲れだったり諦めを感じてしまったのかなと想像していました。
私自身も普段は特別意識しているわけではないですが、ふとした時や自分が生きていることに前向きになっていると感じる瞬間に苦しくなってしまうことがあるので、投稿者さんの「生きるための選択をしている自分に気づくと、すごく苦しくなる」というのは感覚的に分かると思わず頷いてしまいましたし、どうして投稿者さんはそのように感じるのかもう少し知りたいなと思いました。
また機会があれば投稿者さんの声を言葉にして届けてほしいなと思います。

感想2

詩的な文章だと思いました。
「でももう、向かい風が強すぎて立てない」という言葉から、ずっと、風を防ぐもののない中で立ち続けなければいけないような苦しさの中にあったのだろうと感じました。
投稿者さんがどんなふうに生活してきたのか、具体的には書かれていませんが、自分の苦しさを理解したり、変化させたりするために、努力してきたのだろうと思います。でも、そうすること自体にも疲れてしまうこともあるだろうな、と想像しました。

「ただあったかい日差しと涼しい風をじっと座って受けていたい。」という文章を読んで、なんだか、心地よい、穏やかで静かな情景が思い浮かびました。私も、ただ日向ぼっこをして、何者でもなく存在して、日のあたたかさを感じていたい、と思うことがよくあります。でも、私は生活や、自分の頭の中が忙しなかったり、怖いものに不安を感じていたりすると、太陽が差していることにも気づかなかったりします。
文章から、投稿者さんは内省を繰り返しながら、この世界を見つめてきた人なのだろうと感じました。投稿者さんが穏やかに日差しや風を感じられるには、投稿者さんの生活に、あるいはこの世の中に、どんなものがあればいいのだろう、と思いました。よかったら考えを話し合ってみたいと思いました。

お返事1

お読み頂き、ご感想を返して下さってありがとうございました。
死にたくても死にきれず、この世にいる価値も感じられない辛さを抱えています。
今幼い子供を持つ母親です。
具体的な出来事を書くと本当にキリがないくらい辛く、心の感覚として浮かんでくる言葉を書き出していると、このような詩のような文章になっていました。
その感覚に理解を示して下さり、気持ちの背景を想像してお返事下さって、本当にじっくりと読んで頂けたんだなと思いました。
文章中の”あなた”は子供のことです。
人や子供の気持ちを尊重出来ないと自分を責めて生きていくのが辛く、この世ではなく空の上から見守り、いつか何十年後、再会できるのを待っていたい、どんな言葉も愛情とは程遠いことを口にするなら、もう黙ってこっちで待っていたいよ。という気持ちになりました。
今も毎日がほんとに怖いです。
死にたいのに何で!?どうして生きようとするの?という気持ちが溢れて、普通になりたいと思う希望も薄くなり、生きていることに馴染めなくさえなっている状況に震えています。
否定することなく、読んで頂きありがとうございました。

一覧へ戻る