どういう形であれ、受けた側でないと分からない感覚かもしれない。
高校生の頃、クラスの中でいじめがあった。いじめられていたのは、本人以外誰も制御出来ないような部分がある人であったから、私も大嫌いではあった。普段は誰からも相手にされない彼を、威勢だけはあるグループが都合良く扱い始めるまで、時間はかからない。一方的な使い走りや授業中の無茶ぶりなど、見るに耐えないような有り様だったが、いじっているだけとか、友達だからとか、ロクでもないことを言って誤魔化していた。授業妨害が日常茶飯事になっても、学校側の対応は一向に進まない。何の為の教育機関なのだろう。
私は一方的に人を馬鹿にする事自体が一番腹立たしかったので、ある時いじめを行っているグループの側に強く文句を言った。矛先は簡単に私に向く。元々いじめられていた人をけしかけてくるという、余計に気分の悪い形で。殴る蹴るまではしていないが、酷く怒鳴り散らしたのを覚えている。
トラブルもあって途中から実質不登校であったが、極端な反骨心と良い友人のおかげか、幸い自分で納得の行く大学に入ることが出来た。地元を離れて一時上手く行くかのように思えたが、在学中に体調が崩れ始める。戻って来させるような無言の圧力や、高校での経験が原因で、地元に対して嫌悪感が強まっていたのだろう。あるいは、当時の就職活動の言った者勝ち、話を盛った者勝ちのような雰囲気が気持ち悪かったのかもしれない。単位は殆ど取得しているにも関わらず、卒論に手がつかなくなって身動きが取れなくなってしまった。
失意の中で、通院したり地元に戻って治療を試みたりする期間が続いた。お金の心配が根強くあったので、地元に戻っている時に、一度アルバイトをしようと試みる。当時はうつ状態からの回復期で、慎重に判断する必要はあったものの、主治医と相談して許可は貰っていた。大学に通えていた頃、数年アルバイトは続けられていたし、環境が変わっても適応する程度の自信はまだ持っていたのだ。しかしよりによって、アルバイト先があまりにも悪過ぎた。
「お前は自殺する勇気も無い、生きる価値も死ぬ価値も無い人間だ」
などの罵詈雑言を、ごくごく短期間の間に大量に浴びせられた。強く短く汚い言葉は、簡単に人の心を壊す。思い出すこと自体が辛い。書き切れない。
医師には何とか助けてもらったが、家族からの対応で更に追い討ちをかけられた。パワハラそのものに匹敵するようなダメージだったのかもしれない。私は1ヶ月ほどの間、どうやって連中を殺すのか、どうやって自殺するか、どうやってこの憤りや怨み辛みを遺してやろうか、そんなことばかり考え続けていた。手続きの関係で一度家を離れていなければ、実際に何かしでかしていただろう。
友人たちのおかげか一旦回復しかけたのだが、何年も休学して年齢も上がっていたし、世の中に出ようとする意志自体がだんだん無くなってしまった。死亡処理などで迷惑はかけたくないので、退学の手続きが完了してから死ぬつもりであった。最期くらい気楽に過ごしたいと、周りを誤魔化して半年ほど大学に戻ったが、今よりもよほど人間らしく生きていたように思う。
その後、当時の主治医など色々な人に助けてもらったりしながら、何とか社会復帰を目指していた。しかしコロナ禍の影響や人の裏切り(のように思えるもの)、家族の介護などが重なり、上手くは行っていない。職歴は無く、奨学金の返済も残ったまま、親の脛をかじっている状態なのが我ながら惨めだ。何の為に生きているのか分からない。社会が要請する価値観に囚われ過ぎているのであろう。たまに土地や家族に縛り付けられていると気付くが、動き出す気力も今は乏しい。
最近検査を受け直した所、色々と発見があった。今まで上手くいかなかったこと、他人との差、理解され難さなど、内心納得しかねていた所に根拠が出てきた。最初からなのか、ある一定の時点からなのかは分からないが、物事の捉え方が周りと違い過ぎるらしい。それによって傷付けた人も大勢いたかと思うと、苦しみが増す部分もある。もっと早く教えてくれと言いたくもなるが、どこか諦めもつく。
未だに混乱している最中で、死への願望自体は強まっている気さえする。その一方、お金や一般的な幸せが手に入らなくても、自分のような苦境に陥る人を少しでも減らせるように、残りの人生を使えないかとも考える。世の中の目が向きつつあることは決して悪いことではない。救われる人がいるだろうし、そこに対して思案している間は、少なくとも自分だって死なずに済む。何が出来るかは全く検討がつかないけれど。
死ぬときに死ぬ。ただそれだけであって、他人はもちろん、おそらく自分にも選択する権利は無さそうだと、最近は感じている。
感想1
いじめがあった高校時代の話を読みながら、私はあなたのクラスにいるような想像をしていました。この状況に自分がいたらどう行動するだろうか、少なくてもあなたと似たような耐え難い感覚はもつように思いました。そしてあなたは人権意識が高く、ひとよりも理不尽センサーの感度も高い方なのかもしれません。“ある時から体調が崩れ始めてなにも手がつかなくなる”という話は、他の方の経験談でも語られています。ひとは意識無意識に関わらず不安や恐怖、緊張状態が続くと心がキャパオーバーした結果、リミッターが働くかのように何もかも動けなくなるようです。これはひとがもつギリギリ状態で発動される防衛本能なのかもしれません。それにしてもアルバイト先での強いハラスメント、更に家庭からの追い打ち…2重3重のダメージでしたね。それでもその状況に置かれたあなたが「社会が要請する価値観に囚われ過ぎているのであろう。たまに土地や家族に縛り付けられている」と気づいたのはとても印象的で、だれかと対話した答えなのか、ひとりで導き出した答えなのか…色々気になり、その点については実際に語りたくなりました。だからでしょうか、私はあなたの経験談の端々や表現から客観的思考や力みたいなもの感じとりました。何度も社会復帰を試みながらもどこか周囲のひととは違う、生きづらさみたいなものに悩んでいたんですね。検査を受けられて腑に落ちた部分もあって、誰かの力になれるような一筋の道みたいなものが見え始めているのかなと想像していました。死ぬときは死ぬ…どこか同じような感覚を私も持っていて心の中で「そうなんだよな…」と改めて納得した感があります。何をしていても死ぬときは死ぬのであれば、何かできることは無いだろうか…そう模索が始まっているとしたら、それについて一緒に考えたいと思いました。ぜひ引き続き死にトリに参加していただきたいと思います。いつでもお待ちしていますのでつながっていきましょう。経験談の投稿ありがとうございました。