経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

普通になりたい

まずもともと家庭からおかしかった。生まれた頃から両親は不仲で、いつもその不仲につきあわされるのが日常だった。私には兄がいるが、私が生まれる前に父から暴力をふるわれていたらしい。今の父親からは考えられないというわけではないが、少なくとも暴力は振るう気はしない。ただ少し不器用で、怒鳴ったり圧が強いだけだ。(それはそれでどうかと思う人もいるかもだが。)所詮母から聞いたことにすぎない。自分から見聞きした情報ではない。多少話を盛っているかもしれない。100%の真実を伝えることなんて不可能だ。分かっていても未だに父には悪いイメージがついている。
だがそれ以上に私は母がずっと苦手、オブラートに包まずに言うのなら嫌いだ。昔はそんなことはなかった。幼少期など、親のことなんかしっかり気にしていることはない。目の前の日常を楽しんでいるだけ。都合の良い情報をそのまま気持ちに影響させる。だが成長していくに連れ、そうするのは不可能になっていく。夫婦の不仲に付き合わされるのはあたしだけで、都合よく伝書鳩扱い、気がついたら家庭内別居をしている両親、母に説教されているときも兄は笑って煽りながら油を注ぎに行く。小学四年生からそういう日常に変化していった。きっかけはもちろん中学受験。そりゃ塾代で負担は大きくなるから多少苛立つだろう。だがずっと納得いかなかったのだ。インフルエンザでも体調不良でも無理やり塾に行かされ、私が先生に「体調悪いし、受験直前にこんなの他の人に迷惑かけてしまうと思うので後ろの席で受けてもいいですか」と。他にも説教するときには決まって「今までアンタにいくらかけてると思ってんの」とヒステリックになってその場で月の塾や講習にかかっている費用を叫びだす。今思うとシュールに思えてしまうだろうが、当時はその圧が怖かった。結局一次試験は受かったが最終試験で落ち、普通の学区内の中学校へ進学。しかしその中学校は中学受験に落ちた人が多く来ているためレベルはもちろん高い。日に日に親から求められるレベルが高くなり、説教が日常化。生活が嫌になってそこで初めてしっかりと「もう死んでやろう」という気持ちが芽生えた。この頃には文字もまともに読めなくなっていたし、人の言っていることが頭に入らない。生きづらかった。
小学校の頃にもぼんやりとした希死念慮はあった。だが、中学生になり自殺観念に移り変わった。小学校の頃はまだ良かったなぁとこれを書きながらよく思う。辛くても夜に泣けたんだ。声を押し殺してでも泣けた。今は涙すら枯れてしまって、明日が来ないようにと諦めながらも願って、眠れないままベッドに横になっている。きっと親はあたしが死んでも悲しまないんだろうなとか、家での表面上のあたししか見ていなくて内面を知らないからそういうことを言えるのだろうとか勝手に客観的にぼんやりと見ている。こういう話を他の人に話したこともあるが、「そんなことないよ。」で片付けられる。私の家庭を見ていないからそんなことがきっと言えるんだろ?障◯者とか言われているのに愛されてると思ってるのか?と思いながら理解されることすら諦めている。もう説教では怒りも悲しみすらもわかなく、ただの抜け殻になったようで、本当に嫌気が差す。体と心が解離しているような感覚。今これを書いてる時、何も考えられずに脳にあるそのままの言葉を書いているせいで文脈もおかしいだろうなと思いながら書いている。昔はあんなに文を上手に書けたのに、頭も良かったのに。今じゃこんなに落ちこぼれて、普通とはかけ離れてしまった。
狂っていてもどこかは変に正気。普通にもなれないし、狂い切ることもできない。どっちかに振り切ることができれば楽なのに。カウンセラーに相談してもどんどん環境が悪化していくばかりで、自傷行為の頻度も増え、カウンセラーからの同情さえも苦しくなり解決すらしていないのに、「解決しましたありがとうございます」と笑ってやめたあの夏。それから数年が経って、今年私は受験生。それなのにまだ文字が読めずにベッドに横たわっているだけで、どこかで焦りを感じている。さっさと死ねたら楽なのにな、と思いながらずっと受験のために、生きる前提で生活して、矛盾した感情に気持ち悪さを覚えてる。私は普通になることだけを望んでるんだ。それすらも贅沢なことなのかよ。生きづらいなぁ。

感想1

投稿を読んでいて、あなたが家庭内不和のバランス調整をしたり、勉強を「投資」みたいにして強いられたりする中で、平穏な生活を願っても得られずにきたことを感じました。私も家庭内の不和の中で育ったのですが、調整役を担わされて消耗してきた割には、家の状況はとくにいい状況になることもなくて、あの半ば強いられてきた努力はいったいなんだったのだろう?と思うことがあります。読んでいるとあなたの父も母もだいぶピリピリしている感じで、もちろん教育などのお金のしんどさもあるのかもしれませんが、長年抱え込んできた不穏さを感じました。
また小4から塾に通わせて受験させるのって、実は全国的にはそこまで当たり前じゃないと思うのですが、あなたの親にとってはそれが唯一無二の正しい子育て方法だったのでしょうか。「インフルエンザでも体調不良でも」塾に行かされたエピソードを含め、なにか尋常ならざるエネルギーを感じて、少々不思議に感じています。あなたの親が求めている成績は、一体なんのための、だれのためのものなのだろうと思いました。
その中であなたはそれをそのまま「当たり前のこと」として受け取るのではなく、自分が感じたことをベースにして「おかしい」と感じ続けてきたのかなと思います。それはあなたがしんどい中でも自分の意思や感覚を持ち続けてきたということでもあるように思いました。でも自分の心があるほどに置かれている状況の中での摩擦は強く感じてしまうしんどさもあるのかなと思います。

文字を読めなくなったり人の話を理解しづらくなったりするのは、脳がものすごく酷使され続けてきたということなのかなと思いました。単純に勉強だけではなくて、親から言われることや、さまざまなストレスがあなたに負荷を与え続けてきたのだろうと思います。カウンセラーと話すようになったのは、ある意味では、ずっとあなただけの内側の問題にされてしまってきたことが、いろいろな症状として表面化した流れもあったのかなと想像しました。だけど、多分ずっと親や大人の顔色を見ながら生きてきていたら、カウンセラーをかんたんに信頼することなんてできないし「問題ない」ということにするしかなかったのかなぁとも思っています。
「何も考えられずに」とありましたが、この文章はかなりしっかりした内容で、読み手にも配慮された伝わりやすい文章だと思いました。ただあなたはもともと言語を用いる力が高めな人なんだろうなと思うので、あなたの経験の中で比較すると、絶望的にも感じられる瞬間があるのかなとも想像しています。

「普通にもなれないし、狂い切ることもできない」という表現を読んで、「普通」も「狂う」も私にはどういうことなのかはっきりわからないなぁとも思いつつ、だけど一方では、そのどっちつかずの苦しさは自分の経験としてもわかる気がするなぁとも思いました。私も長年希死念慮がありますが、苦しくて死にたいのに、一方ではご飯を食べて生命活動を維持していたりする、自分のまとまらなさにがっかりすることが何度もありました。でもそれは私にいろいろな要素があって、思うほど単純化されきらないという事実を示していることなのだとも思います。
「普通」ってどういうことなのでしょうね。私も私が生きている中で思い描いた「普通」を期待しているのだと思うのですが、人類学などの本を読んでいると、たった数十年の間でもなにが「当たり前」であるかは大きく変わるし、それぞれの「普通」は案外曖昧なものだと思います。それは「だから今のまま受け入れろ」という意味ではないし、全然受け入れなくていいと思います。でも、個人的には「普通」かどうかというよりも、あなたにとって苦しくない過ごし方であるかどうかや、あなたの心身にとって心地いいかということのほうが、指標になってもいいのではないかと思うのでした。
そうは言っても「普通」はなんか正しいことみたいに思う人が多いから「普通はこう」といえば納得してもらいやすいけれど「自分はこれは苦しいからいやだ」といっても、なぜだか無視されてしまったり、おおげさとか言われてしまったりすることもあるんだよなぁと、悶々と考えています。私はそういう状況がいちばんに変わっていってほしいのですが……。
そんなわけで、周りを説得する手段として「普通」を使うのは全然いいと思うけれど、あなた自身が「普通かどうか」ばかりを尺度にしなくても、あなたはあなたの心や感覚に触れられる人なのではないかと思ったのでした。あなたの思う「普通」が他の言葉に言い換えるならどんな生活で、どんな日々なのか、もうすこしあなたの言葉を聞いてみたいなぁと思っています。
しんどい中で言葉にするのも疲れてしまうことはあるのかなと思うのですが、気が向いたら教えてください。投稿ありがとうございました。

感想2

本当に、あなたから発せられた「つきあわされる」という言葉があなたの経験を踏まえてもかなりしっくりする言葉だなと感じさせられる経験談でした。

それぐらいには、あなたのこれまであっただろう数々の選択が自分で選ぶのではなく、他者によって選ばされてきたように思いました。だから、「本当は〇〇したいけど、親が〇〇だからしないと…」というように、あなた自身は思うように選択できない日々だったのではないかと思いました。そして、そうやって自分を押し殺して他者の言うことを聞くしかないという日々を過ごし続けるしかなかったからこそ、あなた自身の大事な大事な精神が奪われ、抜け殻のようになってしまったのかなと思いました。

そして、狂っててもどこか正気というのも、狂っている環境が毎日繰り返されれば、それが当たり前となってしまうので、当たり前として適応させられた結果なのかなと思いました。だから、狂っててもどこか正気でいられるというのも、それほど、おかしいはずなのに、変わらなかった、どうにもならなかったということの証のような気がしました。

そして、成長するにつれて、目の前のことだけでなく、視野が広くなり周りを見渡すことができるようになったからこそ、わかってくること、見えてくることが増える気がします。
だから、周りと他を比べて、「あれ、ウチの親おかしいぞ?」「私もおかしいのか?」という違和感を感じるようになり、今まで同じ状況でも気にならなかったものも、かなり際立って見えてしまうように私は思います。だから、あなた自身も、色々な見たくないものが際立ってしまってキツイ感覚があるのではないかと思いました。

しかしながら、こうやって吐き出しにきてくれたことは付き合わされる人生を脱して、あなた自身が「自分の人生を取り戻すための時間」だったように思いました。
またよかったら、書きにきてください。
ありがとうございました。

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