経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

人生迷走・逃避中のぼやき

生理前のホルモンバランスの乱れ、睡眠・運動不足、未熟さが見せる幻想だと思いますが、突然、死にたくなります。

スタートは10代半ば。よくある思春期の反応でしたが、形を変えながら、いまだに死にたい気持ちがついてまわることがあります。

26歳。大学まで行かせてもらいました。人間関係は常に良好。充分な衣食住が揃う環境で、なんの苦労もなく生きてきました。ありがたいことです。死にたくなる外的要素はなにもありません。ただただ、私の適応力と自立心が未熟すぎるだけです。

いわゆる「普通」のレールから外れました。それまではお世話になった方々が誘導してくださって、なんとかなっていたんだと思います。もうどうせ戻れないし、別に戻りたく無いはずなのに、戻らなくてはいけないと焦り、何もできず、気づいたら数年経過してしまいました。

社会人への移行期間から失敗しました。必要な情報は提示されているのに誰をどう頼ればいいか分からず、ろくに調べもせず、流れてきたスカウト求人へ適当に応募して入社し、案の定続かず、あとひと月で1年経つというところで、新卒で入った会社を辞めました。

自業自得ですが、誰にも何も相談せず就職し、突然辞めたものですから、辞めると伝えた際の、周囲のごく一般的な当たり前の反応を見て、自身のこれまでの愚行を強く恥じました。

両親の、心配しつつも「どうしてその仕事にしたのかずっとわからなかった」という反応に何も答えられませんでした。理由なんて別にありませんでした。大好きだった人には「自分も突然関係を断たれそうで心配だ。辞めるのは早急だ。」と冷静に嗜められ、私がヒモになることを恐れられました。1番慰めてほしい人から慰めて貰えず、勝手に憤り、勝手に傷つきました。親友と妹はずっと慰めてくれましたが、きっと本心は、「何してんだこいつ」が根底にあるんだろうなと、勝手に悪い妄想をしました。

現在、地元の小さい設備屋さんで、一般事務をしています。社会復帰の練習のつもりで、短時間勤務でスタートし、今も変わらずです。さっさと再就職すれば良かったのですが、また同じ轍を踏んだらどうしよう、周りが納得する会社を選び、納得する理由を持たないとダメなのでは無いか、そもそも働くことへの適性が無さすぎるなど、自信のなさと、行動することへの強い抵抗感、面倒くささで何もできませんでした。

一年前、キャリアコンサルタントのお力添えをいただき、3ヶ月就活をしました。内定をいただいた企業もありましたが、あまりに現実的な選択ではないと感じ、辞退しました。その後、内定先は決まらないまま、辞めてしまいました。当時は求人票を見ることすら本当に億劫でした。

最近、やっと求人票を見ることに慣れ、応募出来るようになりました。が、今度は面接に向かうことが億劫で、酷い時は面接当日に辞退することもありました。直前に思ってしまうのです、ここに本当に入社するのか?と。受かってもいないのに。

わかっています。完璧な理想通りの会社はないし、仮にあったとて、私のような人間など選ばれるわけがない。働けるだけでもありがたい世の中で、選り好みしている余裕なんて無い。周りの目が気になるなんて言い訳で、そもそも周りは私のことなんてどうでもいい。一応まだ若い方なのだし、なんでも挑戦してみればいいのに。結局私は現実逃避しているだけだと。日和っているだけだと。

…ここまで読み返して思います、本当に面倒くさい奴だなと。自分で決めることを、極度に恐れ過ぎているなぁと。果たして何がしたいのか。

死にたい、よりも、全て投げ出したい、解放されたい、何も考えたくない、かもしれません。ならば、やる事は分かっているわけで、それ相応の行動を淡々とこなせばいいだけなのですが、自ら足を止めてしまいます。迷走かつ逃避です。

あまりに長く、誰かに話すには抵抗があり、そもそも声に出そうとすると喉が詰まったり、話したいことを忘れてしまうので、文章に起こせるこの場をお借りしました。どういう反応を自身が欲しているのかはよくわかりません。どんな反応を返されても、ぼんやりしているかもしれません。

あまり考えずぶちまけました。不快にさせてしまい大変申し訳ございません。お読みになられた方、読破後は美味しいご飯をお食べになったり、趣味に没頭されたり、ご自愛ください。本当に、大変な作業と存じます。それに見合うだけの楽しみを、どうかご用意されてくださいね。ぶちまけといて何様だよって話ですが…。

長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。

感想1

自分よりも他者の気持ちを慮って大切にする方なのかなあ、と最後まで読んで思いました。私も本音や自分の想いを言葉にしようとすると、うまくまとまらなかったり、悲しくもないけれど涙が出てきたりしてうまく伝えられないことがあります。そういった部分で少し似たようなこともあるのかなあと思い感想を書きたいなと思いました。
学生期間を終えると、どうしても「仕事」というものにとらわれてしまう感覚、所属していないといけないと感じる社会が生きづらい、苦しいと感じています。「面接を受ける前なのに、受かってもいないのに。」という部分にとても共感した私がいました。面接というものは自分を品定めされるような感覚があり、そして受ける側の自分をいかにも“良い部分ばかりです”と言わんばかりに綺麗な言葉や作り上げた長所のようなもので自分をアピールしなければいけない場のように私は感じています。それゆえに、「もしそれで受かってしまったら・・」「本当の自分はもっと違うのに・・」という不安に駆られる経験が私にはあって、どうしてありのままで素直な言葉で面接ってできないのかなって思っています。応募する会社を選ぶときに、実際に入りたいところがあれば別だけれど、大体は近いからとか、給料が良いからとか、自分でももしかしたらできるかもって思ったとか、そんな小さな理由であることも多いのかなと思っています。選ぶ側、選ばれる側、その構造はどうしようもないことだと思うし、他の方法が浮かぶわけではないけれど、何かないのかなあと考えさせられます。なので、面接が億劫という表現で、私が感じる面接のいやさとは違うかもしれませんが、そういったことも背景にあったりするのかなあと勝手に想像しました。
やることはわかっていても、それを淡々とこなすにも、気力や体力が十分に必要だと思います。周りが当たり前のようにやっているように見えても、実際は簡単なことではないし、生活を続けるだけでも毎日をやり過ごすための力が必要で、それ以外に生きていくための余力があってはじめて、何か行動することができるのかなと思っています。社会は「何も考えたくない」という時間を許さないように感じるくらい忙しく過ぎていきますよね。長い人生なので、ときには立ち止まったり、休んだり、そんな時間をもってもいいと感じられる社会であってほしいなと私は思います。
私自身も同じような感覚や思いをしている人がいると知れて、安心感をもらったりしています。なので、ぶちまけてくれていいのだと思います。投稿ありがとうございました。

感想2

身体の状態と心の状態がお互いに影響し合うのは自然なことで、長い間体と心の状態が整わないままで生きてきたことがまず辛かっただろうなと思いました。私も体と心が引っ張り合いをするなか、希死念慮とともに生きていて、どうしてすべてが上手くいかないのかなという不自由さを日々感じています。

「普通」や「当たり前」から外れてしまった自分を責めながら、周りの反応を伺いながら不安な毎日を過ごしていることを文章から感じました。世間から提示される「普通」は一本道で、子どもの頃はそのルートへの乗り方をうっすら見聞しながら生きてきたように思うけれど、その情報の提示は十分なものだったといえるほど明確でも親切でもなかったように思います。しかも、その「普通」ルートへの道それ自体が誰もかれもがパスできるほど広くて大きくて平坦な道ではなかったのではないだろうかとも思うのでした。
「当たり前」とされている就職ルートへの情報はあちこちに蔓延しているけれど、誰もが正確な情報にアクセスできたり、情報さえ得られれば実行可能な行為だったのだろうかと考えて、実体験からもそれはやはり否だと思いました。あなたも誰を頼ればいいか分からないという大きな戸惑いを胸に抱きながら、一人手探りで就活をしていたことからも、やはり進路選択の設計自体が相当に不親切ではないかと私は疑いました。

いきなり自分の就きたい職を決めて内定を獲得しろといわれたって、それを決めるためにはたくさんの情報収集、行動そして思考が伴います。それは気力も体力も大幅に消耗するもので、一人ではとてもやりとげることが困難なような気がしています。少なくとも私には無理でした。そもそも、とにかく一にも二にも働かなければならないとフルタイム労働を強いることは、人を豊かにするばかりか「当たり前」で人を締め付けて苦しめているのではないかと思ったりもします。

ともあれ、今まであなたは心身の辛さを抱えながらもあなたなりに頑張ってやってきて、その結果疲れ果てているように見えます。長くて複雑な人生の道を行くには、疲れ果てた自分を守るための逃避、立ち止まったり、振り返ったり、Uターンしたりの迷走が必要なときがあると私は思います。
普段はなかなか言えないこと、ぶちまけてくれてありがとうございました。あなたの言葉を受け止めるとともに、あなたの時間に美味しいものを食べたり、趣味を楽しんだりする瞬間ができるだけ多くあるといいなと思いました。

一覧へ戻る