経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私の幼少期から20歳まで――誰かに「助けて」と言いたかった

私が3歳の頃、父親が亡くなりました。父とは入籍していなかったと聞いています。

その後、私と兄は母とともに遠方から奈良へ移り、親戚を頼って生活することになりました。

幼い私にとって、親戚は生活を支えてくれる大切な存在でした。何度か引っ越しをする際にも、親戚が家族総出で手伝ってくれました。今振り返れば、私は親戚に何度も助けてもらっていたのだと思います。

しかし、家庭の中には大きな苦しさもありました。

兄が荒れるようになり、私は家庭内暴力を受けることもありました。

家の中で怖い思いをしても、私は誰に相談すればいいのか分かりませんでした。

親戚や祖母には「敬語で話しなさい」と言われていました。

礼儀を教えられること自体が悪いわけではありません。

ただ、私にとって親戚や祖母は、何でも悩みを打ち明けられる身近な存在というより、「きちんとした言葉遣いをしなければならない相手」という感覚が強くなっていきました。

本当は相談したかった。

兄から暴力を受けていること。

家にいることが怖いこと。

学校でうまくいかないこと。

自分が苦しいこと。

でも、それを素直に話すことができませんでした。

「助けてほしい」と言える相手がいなかったのです。

そして中学2年生の頃、私は胃潰瘍を5個も患いました。

体調が悪く、学校にも行けなくなりました。

病院を受診した際、私の状態を見た医師は母に対して、

「ここまで放っておくなんて考えられない」

という趣旨の言葉を述べ、母を強く叱りました。

それほどまでに、私の状態は深刻だったのだと思います。

しかし、医師から母が叱られたことで、母はその怒りや苛立ちを私にぶつけるようになりました。

私は病気で苦しんでいるだけでもつらかったのに、そのことで母から八つ当たりまで受けることになりました。

本来なら、病気になった子どもに対して、「大丈夫だよ」「つらかったね」と安心させてくれる人がいてほしかった。

でも、私にはその安心できる場所がありませんでした。

体調が悪く、学校にも行けなくなり、中学2年生の3学期はほとんど学校へ行きませんでした。

母は自分が非難される事を恐れて私の体調は学校に言わず部屋から出てこないだけと説明されました。
不登校になったことで、周囲から笑いものにされるようなこともありました。

家にいても安心して休めるわけではありませんでした。

夜眠れずに起きていると、母から怒られることもありました。

学校にも行けない。

身体もつらい。

家庭でも安心できない。

それでも、自分の苦しさを誰かに相談することができませんでした。

今振り返ると、私はずっと「心配してほしかった」のだと思います。

「大丈夫?」

「何かあった?」

「つらかったね」

そんな言葉をかけてくれる大人が欲しかった。

高校に進学してからも、人間関係をうまく築くことができず、学校生活に馴染むことができませんでした。

そして、最終的に高校を中退しました。

その後も、家庭の問題や兄との関係など、さまざまな苦しさが続きました。

兄からの暴力から逃げるために母が引っ越す際には、また親戚が家族総出で手伝ってくれました。

親戚には何度も助けてもらいました。

だからこそ、私は親戚に感謝しています。

同時に、本当はもっと親戚を頼りたかったのだと思います。

最終的には母が親戚を非難していることが兄が暴露して絶遠されました。

「助けてほしい」

「話を聞いてほしい」

「どうしたらいいのか分からない」

そう言いたかった。

でも、子どもの頃から悩みを一人で抱えることが当たり前になっていた私は、誰かに助けを求めることができませんでした。

頼りたいのに頼れない。

話したいのに話せない。

苦しくても我慢する。

そうやって、自分の中に感情を抱え込むようになっていきました。

そして20歳の頃、私はパニック障害と診断されました。

振り返れば、それまでの人生には、父親を幼い頃に亡くしたこと、家庭内暴力、胃潰瘍、不登校、学校での孤立、高校中退、そして誰にも悩みを相談できなかった経験がありました。

もちろん、それらすべてが直接的に病気の原因になったと断定することはできません。

ただ、私は幼い頃から長い間、不安や恐怖、孤独を一人で抱えてきたのだと思います。

20歳という若さでパニック障害になったとき、私は「自分は普通に生きていけないのではないか」と感じることもありました。

でも今、幼い頃の自分を振り返ると、少し違った見方ができるようになりました。

私は最初から人との関係を諦めていたわけではありません。

むしろ、本当はずっと誰かを求めていました。

怖いときに相談できる人。

病気になったときに心配してくれる人。

学校に行けなくなったときに寄り添ってくれる人。

将来について一緒に考えてくれる人。

何も説明しなくても、「大丈夫だよ」と言ってくれる人。

私は、そんな人が欲しかったのだと思います。

あの頃の私は、弱かったのではありません。

わがままだったのでもありません。

ただ、子どもとして誰かに守ってほしかった。

誰かに気づいてほしかった。

そして、「助けて」と言っても大丈夫だと思える場所が欲しかった。

今の私は、ようやくあの頃の自分の気持ちを理解し始めています。

あの頃の自分にもし声をかけられるなら、

「あなたが悪いんじゃない」

「一人で全部抱えなくていい」

「本当は、もっと誰かに頼ってよかったんだよ」

そう伝えてあげたいと思います。

感想1

幼い頃からのことですから、周囲の人の行動、選択によってあなたの暮らしは左右されていたということなのかなと想像しています。頼ると言っても実質的に頼み事をするのはきっと親で、あなたは親や親戚の判断に身を任せていたのだと思います。
助けてくれる人がいる一方で、家庭内では暴力を受けていたのですね。痛みというのは直接的に生命を脅かすものだと思います。そんなとき、本当は相談したかった、助けを求めたかった相手は、しんどいときでも敬語を使わなければならない人たちだったと…。相談するという行為だけでも緊張して、私なら他のことなんて考えたくないくらいなのに、プラスアルファで気を配らなければならないことがあるなんて…助けを求めるのは諦めてしまうだろうなと、思ってしまいました。
やがて、助けてくれていた親戚とも絶縁となってしまったと…。親戚を非難していたのは母、それを暴露したのも兄。あなたの関与しないところで、物事が良くない方向へ進んだときのショックと、何をどうしたらよいのかという困惑といったらない…と、読んでいてイメージしました。

中学生のときには、胃潰瘍を5つも患い…保護者が医者に怒られるくらいですから、相当な状態だったのだと思います。胃潰瘍が見つかったこと、お医者さんがお母さんを叱ったことは、もしかするとあなたのなかで救いの兆しになり得るものだったのではないかと思いました。そして、それは思ったような展開にはならず、八つ当たりを生み出し、かえって嫌な経験となってしまったのではと思わざるを得ませんでした。
お母さんはあなたを気に掛けることよりも、自分が非難されないことを優先した、ということにも、孤独やしんどさを感じたと思います。そして、お母さんもまた、助けを求めたくてもその術を知らずに、長らく苦しんでいたのではないかとも考えてしまいました。そうだとしてももちろん、あなたが感じた苦しさが「仕方ないもの」になるわけではないです。
のちにパニック障害と診断されたことが、これまでの人生における出来事が原因なのかはわからないけれど、少なくともなんとなくは、繋がりを感じているのかなとは思いました。因果関係はともあれ、何よりも不安、恐怖、孤独を抱えながら生きてきたことは、事実なのだと受け止めています。

この文章を投稿してくれた今、「当時」からどれくらいの時間が経っているのでしょうか。今のあなたは、当時してほしかったことを言葉にできるようになったのだと感じています。私も一人でどうにかするのが当たり前だったので、誰かを頼るという発想がありませんでした。わからなかったら自分で調べる、できなかったら工夫する、そういうものだと思っていましたし、そうしてきたつもりです。なので、人を頼っていいと理解し、実行しはじめた今でも、未だに人を頼るのが下手だと思いますし、申し訳なさを感じます。その申し訳なさが負担になって、やっぱり自己完結したほうがよかったかも…なんて思ったりもしています。

子どものうちは特に、自分に何ができるかよりも、どんな環境に取り巻かれているか、だと思いますし、その”何ができるか”も、周りの環境によって大きく左右されるものだと思います。子どもは、できないことがたくさんあります。体は小さく、お金を稼ぐ方法は限られ、知識も経験も浅く、未熟な存在です。できないことが多くて当然、弱くて当然なのです。だから守ってほしかったというのも、子どもとして当然の気持ちだと思いました。「この人なら」と思えないと相談なんてできないだろうし、でも「この人なら」と思える人がいなかったから、相談しなかったんだと思います。それは助けを求めなかったあなたのせいではないと思っています。
渦中、子どもらしく過ごすことが難しい環境に身を置いていたのかなと思い、はっきりと「助けて欲しい」と認識することも難しかったのではとも想像しました。
だからこそ、あなたがご自身にかけたい言葉のどれもが、本当にその通りだと思います。こうして今、自分の人生を振り返ったのは、どんなタイミングだったのか、どんなきっかけで思い起こされたのだろうか、今のあなたはどんな状態なのだろうかと思いました。過去を振り返る余裕や、安全が担保された環境があるということだったら良いな…と願う気持ちと、たとえそうでなかったとしても、今あなたにはこうやって声をあげられる力と場所があるということなのだ、という考えがあります。

感想2

あなたの経験談を読ませていただいて、あなたの気持ちや言葉が整理されていることがとても印象的でした。
それほどまでに、長い時間をかけて、過去のことを何度も何度も振り返り、自分自身と向き合ってきたのだろうなと私自身は思いました。
そして、あまりにもあなたの子どもの頃に抱いていただろう、あなたの心の核の部分(本当の願い)が率直に語られていたので、「この経験談を過去のあなたが読んだら、とても救われるのではないか、勇気づけられるのではないか」と感じました。(私自身もなぜか、読む中で、浄化されるような、勇気づけられるような感覚でした。)

そんな中で、語られていた内容に焦点を当てたいと思うのですが、あなたの子ども時代は子どもらしく、SOSを出して対処してもらう、ケアしてもらう、そういったことがとても難しい環境だったように思えました。だから、子どもでいたかったけど、自分で抱え込むしかない、やり過ごすしかない、そんな日々だったのかなと思いました。

そして、あなたの経験談を遠くから眺めてみると、もしかしたら、お母さん自身も家計を支えること、子ども2人を1人で育てることに必死で余裕がなかったのだろうか…や、お兄さん自身もあなたと同じように、子どもらしく、守られ、ケアが受けられないからこそ、暴れることが何かのSOSとなっていたのだろうか…などと、家族全体で色々な問題を抱えていた可能性があるなと思いました。

だからこそ、私は、あなた自身が兄から暴力をうけることになった、そして、母からただただ責められるしかなかったのかなと思いました。
ただ、、そうはいっても、あなた自身はその吐け口さえもなかったこと、そして、ただただ、その2人の振舞いを受け止めるしかなかったことを考えると、私自身もなんだか苦しくなる感覚と、あなたが吐き出せる場所があったらどんなによかっただろうかと思わずにはいられませんでした。そして、吐き出せる場所、頼れる場所があったら、こんなにあなた自身が長年苦しむこともなかったのかな…と思いました。

他にも、親戚に頼りたかったというのも、普段からの兄、母親の振舞いによって、その2人には頼れないだろうという想いからだったのかもしれないと思いました。そして、学校にも行けなくなったとのことだったので、人との関わりがかなり限られてしまったあなたにとって、引っ越しを何度も何度も手伝ってくれた親戚の方が唯一頼れそうな存在だったのかなと思いました。それでも、やはり、子どもにとって、敬語で話さないといけないというのは、厳かな雰囲気があるというか、少しハードルがあるような気がしたので、あなたが相談できなかったというのも、うなづく自分がいました。

そんな中で、色々なものを飲み込み、消化しながら、生き延びてきたことがとても伝わってきましたし、そのしわ寄せがあなたにいってしまったことにモヤモヤしつつ、もっと、母子家庭でも支えられる制度やネットワークがあれば、あなた自身もあなたの家族もこんなに悩むことがなかったんじゃないかと思わずにはいられませんでした。

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