幼い頃の呪縛です。
小学生中学年まではよく笑い、よく泣き、よく怒る子どもでした。
しかし我が家では私が泣いたり怒ったりすると、必ずと言っていいほど私が怒られました。
そしてある時、父が言いました。
お前は些細な事で怒りすぎる、あまり怒ったりするな、と。
私はいつも笑ってなさいってこと?と聞くと、そうだと頷きます。
またある時は母に諭されました。
心まで不細工になるな。いつも笑ってなさい。
それを聞いた私は思いました。
あぁ、私は怒ることも泣くことも許されてないんだ。許されてるのは笑うことだけなんだ。
それからは極力怒らないように努めました。
泣くこともほぼありませんでした。
だってそれは私に許されている権利ではないと思ったから。
泣くことも怒ることも恥ずべき行為だと思ったから。
今思えばバカな勘違いです。
協調性を身につけてほしい。笑顔の多い、人に愛される人でいてほしい。
両親の願いです。
でも長年の癖は消えません。
人前に出る時は基本的に笑顔です。
どんなに疲れていても、どんなに怒っていても、どんなに悲しくても。
私が怒るのは悪いこと。私が泣くことは恥ずかしいこと。
その考えは今も残っています。
そして人の顔色を過剰に窺う癖もつきました。
今この人は怒ってないか、この人は悲しんでないか。
怒っていたり悲しんでいたりした場合、その原因が私である可能性はどれだけあるのか。
私が原因だった場合はどう対処すべきなのか。
人と接する時は常に片隅にあり、それ故に頭は常にフル回転をしています。
こうして文章を書いている時も
果たしてこれは誰かの気分を害するものではないのか。
そもそもこの程度の体験や考えは少なからず皆が持っているものではないのか。
など色々な考えが巡っています。
底の浅い私のことです。
大した経験も考えも持ち合わせてはおりません。
でも、いえだからこそ、なのかもしれません。
私が消えたいと願ってしまうのは。
私は笑うことしか許されていない、つまらない、必要とされていない存在なのです。
死ぬのは迷惑になるので、できるなら存在していたという事実ごと消えてしまいたいのです。
本当に消えてしまいたいなら、こんな話を送るべきではないのでしょうね。
つまらない話をしました。
申し訳ございません。
感想1
「呪縛」と書かれているように、まさに投稿者さんの心を長らく縛っているのが「怒るのは悪いこと」という考えなのだと感じました。
投稿者さんは「今思えばバカな勘違い」と書かれていることから、現時点では頭ではそうではないと思っているのだと思いますが、それでも「癖」となって残っていることは簡単に消えないのだなとわかりました。
「人前に出る時は基本的に笑顔です」と書かれていましたが、自分ひとりのときはどうなのだろう?と気になりました。ひとりのときだけでも、少しでも自分の感情を出すことができたらいいのかもしれないと想像しました。
怒りも悲しみも、一般的に「負の感情」と言われるようなどんなことでも、それは人が持つ正直な感情だと私は思います。もちろんそれを他者との関係性の中で出し切ることがあまり望まれない場合もあるようにも思います。でもたとえ怒りを表出しないからといって、怒りがないということにはならないという気がします。
投稿者さんの中にある感情が、表情でなくても、たとえば経験談のような文章でも、絵でも、なんらかの形で自分の内側から出せる機会があるといいなと思いました。
また、「顔色を過剰に窺う癖」という部分で「どう対処すべきなのか」と書かれていることから、怒りや悲しみなどの感情は「対処すべきもの」という感覚が強いのかな?と想像しました。たしかに、怒りも悲しみも、本人にとって気持ちのいい感情ではない場合が多そうですし、周囲の人もそれを受け取ると、ざわざわした気持ちになることもありそうです。でも感情はまずただ発生し、そこにあるものなので、必ずしも対処して片付けなくてもいいのかな?とも思いました。
私自身、怒りなどの感情をうまく表すことは中々できなくて、むずかしいと感じることはかなり多くあります。周りを見ていると、怒りや悲しみなど自分の感情との付き合い方もかなりさまざまだなと思うので、私も少しずつ自分の感情を理解しようとしてみながら、過ごしたいと思っています。
「笑うことしか許されていない」と感じる投稿者さんが、自分の中に渦巻いてきた考えやその背景を含めた思いを書いてくださったことを嬉しく思います。貴重な経験談の投稿ありがとうございました。