経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

お金じゃ幸せは買えないと気づいて

ASDと吃音をもっている大学生です。

自分はこのいらない特性のせいで非常に生きづらさを抱えています。

前提として自分の今の生活は、それなりにお金があり欲しいものがあれば買える状況なので、その点は恵まれていると思います。そして両親とも良好な関係です。これだけ聞いたらさぞ恵まれた暮らしをしていて幸せなんだろうなと思うかもしれません。

ただ自分自身今の生活に幸せを感じることができません。

その理由がASDと吃音という特性をもっているせいで、日常生活に支障をきたしているからです。

吃音のせいで「ありがとう」や「おはよう」といったコミュニケーションにおける基本的なことを言うのでさえ詰まってしまい上手く言葉が出てこないことがあります。このせいでバイトでもかなり苦労しました。毎日のようにもし言葉が出てこなくなったらどうしようと考えてしまい、それがきっかけで体調不良になりバイトは辞めました。

バイト先には吃音のことは言うことができませんでした。吃音のことを話したときに相手がどんな反応をしてくるのかを考えるだけで怖かったからです。

他にもASDと吃音のせいで上手く他者とコミュニケーションをとることができず、ゼミも辞めてしまいました。とにかく障害のせいで大学生活の楽しさは奪われました。

今は3年生で就活の時期なのですが、障害があるせいで就職した会社でも上手くやっていけないんだろうというふうに悲観的になってしまっているせいで、就活のやる気が全然出ないです。

さらに自分は恋愛に関することでも劣等感を抱えています。それは恋愛をしたことがないという事実です。
自分は特に異性と話すことに苦手意識を感じているため恋愛経験がないままここまできてしまいました。

これが1番劣等感を抱えている要素で、街中を歩いているカップルを見る度に胸が苦しくなってしまいます。

1年前、恋愛がしたいという思いが強くなり出会いの場に行きました。

ただ結果はボロボロでした。

緊張しすぎてしまい酷く吃音が出てしまった結果、相手の女子には笑われそれが今もトラウマになっています。そこからASDと吃音をもっている自分に恋愛は一生無理だと悟るようになり、今ではもうほぼ諦めています。

そこから自暴自棄になり幸い金銭的に余裕があったためとにかく色々なものを買ったり、旅行したりして気分を紛らわしました。しかし、それで幸せになることはありませんでした。

このときお金で幸せは買えないんだと痛感しました。

とにかくASDと吃音さえなければコミュニケーションで問題を抱えることもなく就活やゼミ、バイトといった普通の大学生ができることが自分も当たり前にできるはずだった。そして恋愛もして日々の生活は充実しているはずだった。最近ではそんなことばかり考えています。

当たり前のことを当たり前にこなしている人がとにかく羨ましい。
そんな思いでこれからもずっと生きていかなくてはならないのでしょうか?

感想1

投稿ありがとうございます。ASDと吃音、特に吃音においてのこれまでの、そして今の苦労がとても伝わってきました。ここへ全てを書き込むこともとても勇気のいることだったのではないかなと思います。

わたしには吃音持ちの先生や、ASDの友人がいるのでとても身近な二つの特性なのですが、ここまであなたに劣等感を抱かせたのはどんな経験からなのかなと気になりました。「相手がどんな反応をしてくるかを考えるだけで怖い」というのは、これまであなたが受けてきた他者の反応に傷つき、あなたの中にすでにトラウマとして形成されているということなのかな、と感じています。

あなたの抱える対面のコミュニケーションの難しさが伝わってくる一方で、文章ではスムーズに、また伝わる文章力もお持ちだと思いました。こうした文面や文章は吃音が障がいにならないコミュニケーションのあり方でもあるかも知れないなと感じています。

障がいはあなたのものではなく、周囲の環境とあなたの間やズレにあるものだとわたしは考えています。学生生活や、アルバイトの中で、挨拶やあなたが人前で喋ることなど、苦手なことをしなければならない場面も多かったのではないでしょうか。それはあなたの心や体にはとてもストレスの大きいことだったのではないかなと思います。

苦手なことに精一杯挑戦してこられたあなたの姿は、本来それだけでも半分成功と言えることだとわたしは思うのですが、「普通」を求めるあなたの中で納得ができなかったり、努力が足りないと自責したりし続けてきたのかなと想像します。

吃音とASD、幾重にもなったあなたと対人関係の難しさの中でトラウマを引き起こさないよう、必死に「普通」や「当たり前」を自分に課し、自分以外の何かになろうとされてきたということでもあるかも知れません。安心やリラックスとは対極に、常に緊張状態の中で過ごされてきたようにも感じ取っています。そしてそれは、同時にあなた自身があなたを否定し続けてこられたということでもあるようにも思います。

吃音持ちの先生は、吃音を障がいではないように過ごしているような印象があります。それは、先生自身が吃音をあまり気に留めておらず、他者もそれを受け入れているからなのかも知れません。そうした環境において、吃音は障がいにはなっていないとも言えるような気がします。吃音があってないように、先生がどんなことを考えてどんなことをしているか、そこに人との交流が生まれているようにも思いました。

死にトリや経験談が吃音が障がいにならない環境の一つになりながら、社会にその輪を広げたい思いと、そして障がいよりも、あなたがどんなことを考え、どんな人なのかを通して交流できたらいいなという思いとを持っています。あまり語られなかったあなた自身のことも、ASDの特徴や苦労についてももう少し聞いてみたくなりました。また必要な時には書き込みお待ちしています。

感想2

頭の中にはどんどん言葉が浮かんでくるのに、うまく言葉がでてこない…。今の世の中は、まだまだ、口で話すことが、コミュニケーションをとる手段の主流となってしまっているからこそ、あなた自身がここまで生きづらさを感じることになってしまっているように思えました。私の人生を思い返してみても、学校でも挙手してみんなの前で話したり、音読があったり、そもそも、誰かと時と場を共有するときには、口でモノを言うこと(コミュニケーションをとること)を求められてきたように感じます。そうやって発語を求められることは本当に1日の中でさえも数えきれないほどだと思うので、その都度不安になったり、緊張したりするとしたら、あなたにかかってきた負荷は想像もできないほどのものだろうなと思いました。

だけど、それでも、それでも…、あなたが思う当たり前を実現するために、不安を抱えながらも、トライし続けたんだろうなとあなたの大学生活に関する語りから感じました。きっと、ゼミで吃音が出てしまったら大学での交友関係がうまくいかないんじゃないかと悩みながらも、馴染もうとされたのでしょうし、バイトでも吃音がバレたら、色眼鏡で見られて働きづらくなる、もしくはクビになるんじゃないか怯えながらも、バイトの面接を受けて、バイトされていたのだろうと思いました。そして、恋愛だって、最も劣等感を感じていたからこそ、出会いの場に行くこと自体のハードルはとても高かったと思うので、そこに行くだけでも相当の負荷がかかっていただろうに、勇気を振り絞ってトライされたのだろうと思いました。

しかしながら、そうやってトライしてきたのに、それでも跳ね返されたからこそ、この今の世の中で生き抜く限界を感じてしまったのかもしれないと思いました。そして、あなた自身が自分の特性以外の点ではなんとなくできる感覚もあるからこそ、歯がゆさや悔しさを感じるし、自分の特性の受け入れ難さがあるのかもしれないと思いました。

私自身があなたと同じ経験をしてきたわけではないのですが、以上のようにあなたがどんな想いをしてきたかを考えながら読んでみました。きっと、こうやって考えてみても、私にはまだ見えない生きづらさやしんどさのようなものがあるのかもしれないと思ったので、他にASDや吃音と付き合いながら生きている人ならもっとあなたの感覚がわかったり、そういう人たちと話すことでこの世の中で生き抜くヒントが見つかったりするのだろうか…、どこかにそんなコミュニティーはあるのかな…なんて考えました。あとは、もう少し、ASDや吃音について世の中の人が知る機会が増えれば、あなたの生きやすさも変わってくるかもしれないと社会の課題を感じました。(しかしながら、すぐすぐどうにもならないからこそ、あなた自身も追い込まれているように感じました。)

それにしても、こうやって文字だからこそ、あなたの想いを知ることができたのだろうと思います。経験談に想いを綴りにきてくださり、ありがとうございました。

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