私は昔に言われたことやされたことを今も思い出してくよくよすることがある。友達からされた一回きりのいじめも。親から、「幼稚園の頃の方がもうちょっとお母さんのことわかってくれてたよ」とか、「誰に似たんだろうね」とか、そういう言葉も。ここだけ聞いたら、ひどい、毒親だ、と思う人もいるかもしれない。けど、シングルマザーなのにここまで育ててくれてるし、最近泣いてしまった時に、こう言われて辛かったよ、と本人に相談できたし、謝ってくれた。それでも心にずっと残ってる。
最近自分が朝起きれない、午後はげんきになるなあ、と思って調べてみた。そんな病気があるかも、と思って。ちゃんとした病名がついたら、世界がちょっとだけ優しくなると思って。お母さんに相談したら、小児科に連れて行ってもらえた。少し通院すると、起立性調節障害だった。お医者さんからプリントをもらった。直すためには、無理のない範囲で運動すること。日中は、あんまり横にならないこと。起きる時はゆっくり起きること。お母さんは時々そのプリントを指差して言う。「ほら、ここにも運動するって書いてあるでしょ?」って。朝起きるのも苦手で、運動も苦手ならどうすればいいの?運動苦手だって一番知ってるのはお母さんじゃないの?っていいたかった。反論とか、怖くてできないから。優しくしてもらってるし。またそうやって、どっちの道からも逃げる。お母さんに少し反論したら止まらなくなるから逃げる。お母さんに反論して、屁理屈言って、本当のことから逃げる。ちゃんと話すのは、難しいから。泣いたら許されてきたから。
小さい頃、お母さんに「『ちゃんと』ってなに?」って聞いたことがある。そうしたら、づらづらと怒ってたお母さんが黙った。その時、お母さんは、どう思ったんだろう。初めて私の発した言葉で黙ったなぁ、と思った。普段は優しいんだよ。帰ってきたらただいま~って。で、食べ物も色々買ってきてくれる。でも、ここ最近はお母さんに帰ってきて欲しくないって思うようになった。お母さんが帰ってくるのが怖い。家も、学校も、安心できないから嫌いになった。友達なんかじゃ埋まらない穴がある。○○ちゃんも待ってるよ、って言われても。行って欲しいって言われても。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私
感想2
昔のことだからと、全て忘れて無くなるわけではない。心のどこかに引っ掛かった言葉は、何かの拍子にその思いが湧いて出てくる。急速冷凍したかのように、その時の気持ちがそのまま戻ってきてしまい、取り扱いに少し困るような何とも言えないそれを私も知っています。自分の外に出し、相手に伝えてみたけれど、それの余韻は今も取れないそんな感覚でしょうか。
母親と自分、お互いに傷つけ合わないようにしながらも、出したい言葉を持っている。産まれた時からの親子の関係は年齢の変化と共にどんな人にも訪れて、何となくぎこち無い時間が気まずく流れる。体のことと、自分の心のありようを滑らかに言葉にし、誰かに伝えることは結構至難の業と思います。行ったり来たり、まとまらない言葉の間を右往左往しているあなたを思い浮かべ、涙が流れるのはきっとその時のあなたにとって必要な代謝のようなものと考えたりしました。
曖昧と疑惑いっぱいの『ちゃんと』という言葉を前に、あなたが立ち止まって疑問を持ったことに、大人である母親は「ぎくり」としたのかと、勝手な想像をしています。衣食住などの実質的なことへの感謝とは別として、自分自身でもわからない、思いや気持ちがあることを知って欲しいしわかって欲しい。思い合っているはずなのに、それぞれの思いがぶつかり合うとき、世界は優しくない音がする。あなたの思いは大切で、かけがえのない言葉です。ヒリヒリと傷つくこともありますが手放さず、また気持ちを書きに来て欲しいと思う私がいました。投稿、ありがとうございました。
感想1
「ちゃんとって何?」という一文が、本当にその通りだなと思って感想を書かせてもらいました。私自身もきっと小さい頃から色々な場面で悪意ない「ちゃんと」って言われてきた気がするし、私ももしかしたら無意識に日常で使ってしまっているような気もします。それは傷つけようとして言われたわけでもないとわかるけれど、人によって違うであろう「ちゃんと」という曖昧な言葉を押し付けられるのは、なんとも苦しい気持ちになるなと今改めて思いました。子どもの頃に何気なく聞いたその言葉も、大きくなってから「朝起きられない」「運動が苦手」という悩みも、あなたはその時その時で、自分なりに一生懸命言葉にしようとしてきたのだと思います。でも、言葉にするのって難しいことで、あなたの中ので”ちゃんと”話せないから本当に伝えたいことを飲み込むことが増えていったのかな、と私は感じました。
読んでいて、お母さんのことを悪く言いたいわけではないという気持ち、とても伝わってきました。「育ててくれた」「相談したら謝ってくれた」と、お母さんの優しさもちゃんと書いている。それでも、優しい人だから何を言われても傷つかないわけではないし、謝ってもらえたからって心の傷がすぐに消えるわけでもないと思います。人の心って、そんなに単純ではないですよね。
起立性調節障害と診断がついて、「少し世界が優しくなると思った」という言葉が印象的でした。病名が欲しかったのではなく、「怠けているわけじゃない」と分かってほしかったのかな、と私は受け取りました。お母さんとのやりとりでは、声に出さず「できないから困っているんだよ」と、きっと何度も心の中で叫んだのかなと想像しています。私自身も、「言えば分かってもらえる」と思えない相手には、本音を伝えることを諦めてしまったことがあります。嫌いになったわけじゃない。でも、分かってもらえないかもしれないと思うと、何も言えなくなってしまう。その苦しさは、年齢に関係なくあるものなのだと思います。家も、学校も、安心できないあなたが今なんとか過ごせているのは、他に頼れる何かがあるのかな。本来なら安心できるはずの場所で気持ちを張り詰め続けることは、それだけで十分しんどいことだと思います。まずは、あなたが安心して「怖い」「苦しい」と言える場所や人が、どこか一つでもありますように。