生きることが面倒になってしまいました。
死にたい気持ち…ではなくて。
もっとフラットに考えています。
(たまにかなり落ちます)
面倒というか割に合わないと思ってしまう。
生きていくだけでめちゃくちゃハードル高くないですか?
僕の感覚ではそんなに頑張って こんだけ?って思ってしまう。
だから死にたいというより、もう終わりたいって感じ。
舐めてるんですよね、社会、世の中を。
甘えているんです。
辛いことから逃げたいだけなんです。
でもなんで逃げちゃだめなんでしょうか?
なんで頑張って生きてなきゃいけないんでしょうか?
みんな辛いのになんで逃げないの?
理解できないんです。
どうして「生きる」ということに対して「頑張れる」のか?
「頑張る」価値が僕には見いだせません。
誰かの意見を聞きたくて話してみたら
あんまり理解されなくて
命の尊さ、大切さを説かれました。
楽しいこと、趣味、目標、色んな案を出されました。
聞いた感想が「まぁそう言うよな」ってのと
「やっぱり理由にはなり得ないな」ということでした。
まぁ他人でも目の前で死ぬって言って本当に死ぬ奴がいたら目覚め悪いもんな。
僕も人に言われたらそう言うのかも。
変な事聞いてごめんなさい。
同じような人はいるのだろうか?
少しだけ前向きに考えました↓
早く化学が進歩して自分の寿命を他人に分けれるようになって欲しいです。
感想1
最後の一文には“なるほど・・!”という妙な納得感と発想力に驚きで、つい感想を書いています。経験談には辛い気持ちも書かれているはずなのに、私にはサラサラと読みやすく、スッと理解できた感覚がありました。
本当に、生きるには莫大なエネルギーが必要で、ただ生きるだけでもあなたのいうとおり“頑張らなければいけない”場面がどうしたって多くて。むしろ、その連続だなあと私も思います。死にたいと言葉にすると、どうしても周りは共感よりも止めたり、どうにか考え直してもらいたいと言わんばかりの説得のような助言が始まってしまうことが多く、安心して言えないことも多いなと感じます。
「辛いから逃げたい」その想い自体その通りで、生きている中で逃げたくなる瞬間が、頑張らなきゃいけない場面と同じ回数あるのだとしたら、たまには逃げたいし、逃げてもいいんじゃないかと私は思っています。ただ、社会は頑張ること前提に作られている構造ゆえに、安心して逃げることも休むこともできないのも事実あるのが難点だなとも思うのです。
だから最後の、「自分の寿命を誰かに分けられるようになってほしい」という言葉が、私には不思議と温かく感じました。自分の命はいらないと言っているようでいて、本当に伝えたかったのは、「生きたい人には生きてほしい」という願いなのかな、と勝手に受け取りました。答えが出ない問いを抱えながら生きることは、苦しいことだと思います。でも、あなたのように「なんで頑張るんだろう」と率直に問いを投げかける人がいるからこそ、私自身も改めて考えさせられました。ありがとうございます。