経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
小さい悩みが重なっています…。
頼れる人が誰もいないので、ここに書こうと思いました。でも、あまり深刻でもないかもしれません。ものすごく長くなってしまいました。まとまってもいません。本当にすみません。
僕は、小学1年生の時にいじめられました。暴言を吐かれたり、ものを隠されたり、机を投げられたり。けれど、他に話せる子もいなかったので、そのいじめっ子といつも過ごしていました。親もその子と僕がいつも一緒だからか助けてくれなかったし、そこら辺で、我慢することが身についてしまった気がします。それ以降、小中で友達はたった一人しかできず、その子とも疎遠になってしまいました。
高校になって、新しい友達ができました。生まれて初めて、こんなに人間として、誰かを好きになりました。本当に、優しくて、大好きでした。その子のおかげで、縁のないと思っていたキラキラした高校生活を過ごすことができました。けれど、高校3年の最後の方に、絶交されてしまいました。原因は、僕の失言だったらしく、一ヶ月以上僕に怒っていることを態度で示してくれていたみたいです。僕は全く気づきませんでした。反応薄いなぁとか、何で無視するのかな。とかくらいでした。その失言も、相手を気遣って言った言葉だったんですけどね。だめだったみたいです。まあ、その子に依存しすぎてたので、離れられてお互い良かったのかもしれませんが。
悲しかったですね。悪意を持ってわざとやってたんだなって。
結局、散々責め立てられて、縁を切られてしまいました。そこから、自分がおかしいことに気づき始めたんです。思い返せば、空気の読めない発言をよくしていたとか、癇癪をすぐ起こしたりとか、気づかないようにしていただけなのかもしれないけれど、明らかにおかしくて。前から発達障害じゃないかとか親には言っていたのですが、そんな事言うなとか言われて、性格悪いのは直せるとか、全く真面目に取り合ってくれなくて、散々でした。(家族の一人が精神疾患を持っていて、母が苦労していたからかもしれませんが)
でも、今回の出来事で、僕が泣いて頼んだので、検査に連れて行ってくれました。結果は、ASDでした。簡単な検査では、HSPまで発覚しました。やっぱりな。って感じでした。メンタルクリニックの先生とは相性がものすごく合わなくて、気を使ってまたそこで疲れました。もう行きたくないです。
高校が終わって、大学入学までが、一番つらかったです。
毎日、希望もないし死にたかったし、こんなに傷ついて相手も傷つけるなら、新しい環境で友達なんか作るもんかと思ってました。(今のところ実行できてますが)そんな感じで泣いてるのに、親はここで休んだらいけなくなるとか言って行かなくてもいい入学式に連れ出したり、入学して落ち着くまで待ってほしいと言ったのに自動車学校にまで入れられてしまいました。(自動車学校は、いまだに仮免試験までも行っておらず、気分も沈んでいるため、事故をおこしかけまくってます。時間オーバーしまくりです。受かる気がしないです。)おまけに、その頃僕が友達から最後にもらった手紙を読んで泣いているときに、酔っ払っている父親が物に当たりだして喧嘩になって、完全に心が折れました。あのときは、本気で死んでやろうと思いました。けど、特に方法も思いつきませんでした。
結局、父親は翌朝「お前が最近だらしがないから怒った。」とか「サポートしてる人の前で死にたいとか言うな、暗い顔をするな」とかぬかしましたよ。こんな精神状態でテキパキできるわけないでしょう。
どうでもよくなりました。普段は、いい人なんですけどね。お酒がはいると、昔っからよく泣かされました。父の父もあんなだったから、治らないんでしょうね。僕もいつか、ああなるのかな。
他にも、僕は、体は女性でも、どちらかといえば男性でいたいんです。男になりたいと言うよりも、「男性」の姿形が、僕のなりたいものなんだ…って、今は思ってます。
だから、胸も気持ち悪いし、尻なんか潰せないから本当に気持ち悪いです。でも、母は僕の刈り上げ頭を見て「女の子らしくして」とか言います。父親もあからさまに悲しそうな顔で見てくるんですよ。 ナベシャツを買ってもらうのに、ずいぶん長い時間をかけて説得しました。なんか悪いこと、してるみたいですよね。申し訳なくなってきました。
この見た目のせいで、同性とは キモがられるのでは?と話せなくて、男性だと、あからさまにすべてのどうしようもない違いを感じて勝手に辛くなって話せないです。
あまりに自信がなさすぎます。
弟が僕にはいて、スタイルも容姿もおまけに性格と頭までいいのを見ると、うらやましいですね。
すべてが僕と面白いくらいに真逆で。僕は弟の踏み台というか試作品だったみたいで。男という性別も、親の関心が、手のかかる僕から弟へ向かうことも。
全て持っていて。悲しくて、それでも弟は本当にいいやつで、憎めなくて、死にたくなります。
大学も、その仕事に就くわけてもないのに芸術系に進んでしまって、毎日が辛いです。絵の授業に出たくないです。何しに行ってんだか。絵を描くのが大好きで、高校生の時に、かなり大きな賞をもらって、当時一番好きだったイラストレーターの方にコメントをいただいたこともありました。けれど、特に有名になりたいとか売りたいとかは全くありませんでした。ただ、なんとなく好きで、続いたのがそれしかなくて、社会に出る前のあと4年間だけ、絵を描いて、遊んでいたかっただけなんだと思います。マジでなめてました。
周りはみんななりたい夢を持っていて、上手くても、拙くても、キラキラして、そこでもまた死にたくなりました。それに、その子たちは絵以外にも、何かを持ってるんですよ。友達とか、恋人とか、推しとか。夢中になれるものを。僕にはそれが何もない。友達は作らないと決めた。話も合わない。合わせられる話題がない。恋人は、アセクシュアルなのでそんな感情がないです。推しもいない。…なら、絵しかもう残ってない。絵が僕自身になってしまって。でも、本気の割にはそこまでうまいわけでもなく、その絵を、授業で評価対象にされるのが本当につらくて。最近は練習も怖くなってしまって。絵が描きたいのにかけません。
分かっていたんですよ。入学前から。本当に心から大切なことは、自分の心にしまっておくだけにしとけばよかったんです。でも、普通の大学も、就職も、きっと続かない。どこにも適応できないんだなってほんとに思いました。
最近は、親に辛いとか死にたいって行っても「そんな事言わないの」で終わってしまって、挙句の果てに怒られたので、親に言うのは諦めました。親の気持ちも分かりますよ。どうしていいのかわからないって。僕だってそんな事言われたら困りますよ。けど、向き合ってほしかったし、一緒に考えるくらいは…してほしかったですね。やっぱり。
身の回りのことはしてくれる、心から愛してくれているけど、内面までは向き合ってくれそうにないことがわかりました。
母は、友達がたくさんいて、少し発達特性に近いものがあるし、父は友達が一人もおらず、イジメとうつを何回も経験しているので、両極端で。二人はそれぞれ別の意味で僕の悩みが軽く見えるのかな。
今は、自分をロボットみたいに暗示をかけて、無理やり大学まで連れてってる感じです。いつ燃え尽きてしまうのか、本当に怖いです。秋からは、本格的に進む美術の専攻を決めます。もう何も考えられないです。
留年はできないし、自動車教習も、こんなだから終わらなくて。離人症みたいなのにもなってしまいました。
周りが絵の話をするのが当たり前なのに、それすらも本当に聞きたくなくて。絵と関わりたくなくて。下手な絵を見せてくる人には苛立って、上手い絵を描く人みて悲しくなって…本当に何してんだって感じですね。何様なんですかね。生まれてくるべきじゃなかったです。
最近では、家族の前で笑顔を作るのに疲れました。家族の一人は、ちょっといろいろあって、どうやら僕が生きがいになってしまったみたいです。その家族の心の病気を悪化させたくなくて、演技が無駄にうまくなりました。
でも、反対に癇癪を起こしやすくなってて、キレて親に怒られて親の関心が弟へ向かう…それでまたキレる…という負のループ、いつか人を傷つけるのではと、怖くてたまらないです。授業中も、どうしてもじっとしていられなくて、変な動き…?をしてしまったり、最悪です。本当に、普通に生まれたかった。みんなみたいになりたかった。みんなもみんなで悩みがあるのは分かっているんですけどね。
とりあえず、今は仮免に受かることを頑張ります。大学も、心を殺して行けるようになりたいです。全部放り出して逃げ出してしまいたい。長生きなんてしたくないです。もうとっとといなくなりたい。
でも、絵もうまくなりたくて。
親に養ってもらって、家族仲も良くて、何不自由なく、高い学費を出してもらっているのに、贅沢な悩みです。本当に。こういった思考がもうよくないのかな…。
とりあえず、頑張ります。長くて、生意気で、すみませんでした。
感想1
高校までの対人関係のこと、親の理解が得られないことなどなど…たくさんの悩みを抱えていることが分かりました。たくさんの悩みでいっぱいになっている様子が経験談から感じられました。
まず、友達付き合いのことについて書きます。
いじめを受け、我慢することがくせになっていたとのことで、今も知らないうちに気を遣うこともあるのかなと思いました。
そんなあなたにとって、高校のときにできた友達はとても大切だったんだろうな…と感じました。本当にその子のことが大好きだったことが、経験談から伝わってきました。
でも、相手を気遣ったつもりの発言がきっかけで関係が悪化し、最後には絶交というところにまでいってしまったのは、本当にその人のこと大事に思っていた分、しんどかっただろうと思います。
障害があるとか関係なく、時には人間関係において誤解やすれ違いから、大きな問題に発展することはあると思います。「それを学びとして捉えよう」と言うのは簡単かもしれませんが、「そうやって立ち直れないときもあるよね」と感じる瞬間が私にはあります。
また、高校生のときの出来事以降、「こんなに傷ついて相手も傷つけるなら、新しい環境で友達なんか作るもんかと思ってました」っていうあなたの気持ちは、個人的に分かるような気がしました。
私もトラブルを起こしたことがあって、そのとき、自分もボロボロになって、相手も傷つけたとき、「もう人と深く関わるのはやめよう」って思いました。「自分は家庭環境が悪かったから上手く人間関係を築けないのかもしれない」と思ったとき、自分で自分に対してレッテル貼りをして、「もういいんだ」「自分が人と関わったら迷惑をかける」って自分に言い聞かせていました。
今のところ私は人と一定の距離を置いています。それは「人を傷つける自分を見たくない」っていうふうに自分を守る側面もあり、必ずしも悪いことではないのだろうなと思います。相手を傷つけたくないって気持ちもありますし、もうこれ以上自信を失いたくないって気持ちもあります。
ただ、時折、過剰に「自分は○○だからダメなんだ」って自分自身に対してネガティブなレッテルを貼ろうとしていることに気付きます。「そう思うぐらいしんどい思いを私はたくさんしたのだろう」という自分の辛さを受け止めたい気持ちと、「このままじゃダメだ」っていう焦燥感や自己嫌悪、そして、どこか諦めるような気持ちが同時に出てきます。
次に、親とのことについて書きます。
経験談を読んでいて、親はあなたの苦しさについてあまり理解がなさそうという印象を受けました。発達障害じゃないかとか親に訴えても真面目に取り合ってくれなかったり、大学や自動車学校に行くのを強制されたり、「死にたいとか言うな」と言われたり…。親も親でいっぱいになっているのかもしれませんが、あなたからしたら、そんな無理解はしんどいだろうと感じます。
「向き合ってほしかったし、一緒に考えるくらいは…してほしかった」ってあなたは経験談に書いていましたが、それは普段我慢しがちなあなたの大切な本音なんだろうなと思いました。でも、そういった本音に気付いた辛さを含めてかもしれませんが、つらいことが多すぎて「心を閉じてしまおう」「感情を殺してしまおう」って感じているのかなと思いました。これに関しては、正直、感情を麻痺させたほうが救われるときもあるよなと感じてしまいます。一方で、感情を麻痺させないと生き延びられないほどの出来事が起きている人間社会にもやるせなさを抱きますし、そういった苦しさを感じてきた一人ひとりの幸せを祈りたくなります。
そして、性別や絵のこと、大学のことについて書きます。自分のなりたい姿になるのは自己表現の一種なのかなと思いつつ、でもそれが社会から要請されがちなものと違うと、それは苦しいだろうなと思います。「女の子らしく」っていう言葉が象徴的な言動なのかなと思います。というか、そもそも「女の子らしい」ってなんだ…とも思いますが…。「女の子らしく」っていうのはたぶん、「髪の毛は長め」とか「スカートを履いている」とか、そういったものを指しているのだろうと推測しますが、「女の子らしく」じゃなくて「自分らしく」をもっと尊重してほしいと感じるときがあります。
一方で、私も「自分ってなんだ?」と思うときがあるので、「自分らしく」とか「個性を出して」と言われても「分からん…」って言いたくなります。私はよくスカートを履いていますが、自分が好きで履いているかもしれない一方で、どこかで「社会から女性と見なされたい」という理由でそのようなファッションを選んでいる可能性もあるのかもしれないな、と経験談を読んで感じました。
確固たる個性(?)を持っている人は少ししかいないのかもしれないし、自分で個性に気付かないのかもしれないし、個性というのは案外個人じゃなくて社会に帰属しているものなのかもしれません。
また、自分も絵を昔描いていたので、「絵を描きたくない」という部分には少し共感しました。描いた絵を大会に出していて、そのときは良い評価をもらえたのですが、良い評価をもらえなかったらしんどかったかもしれません。単純に画力で勝負がつくなら「まあ自分は下手だしなぁ」と思えます。でも、そうじゃないなら自己を否定されたように感じてしんどくなっていたかもしれないです。他にも表現の媒体があればいいかもしれませんが、唯一の自分自身を体現するものだと否定されるのはつらいのかもしれないなとあなたの経験談を読んで感じました。
みんな夢中になれるものを持っているのに自分には何もない、といった感覚をあなたは持っているのかなと私は経験談から解釈したのですが、正直私も自分に対して「何もない」って思います。私はとあるKPOPグループの曲をよく聴くのですが、語れるほどでもないし、そこまでの強い熱量もないと感じています。そういう人もきっと世の中にはたくさんいると個人的には思いたいです。
スポーツ漫画の世界とかでも「夢を持って頑張ること」を大事にしがちに思うのですが、「なんでそんなに夢を持つことを持ち上げるのだろう」と私は感じます。夢を持たなかったら「冷笑?」とか言われそうな気がして、「あんまり夢がない」「夢中になれることがない」って言えない空気感も今の社会にはありそうな気もします。
しんどい状況で生きていてそれどころじゃない人もいるでしょうし、幸せでも夢がない人もいるんじゃないかなと思っています。でもそういう人たちの声は矮小化されているのかもしれません。
そんな生活の中で、頼れる人がおらず、笑顔をつくって生きているあなたを労わりたい気持ちです。「とりあえず、頑張ります」とのことですが、もう十分すぎるぐらい頑張ってきたんじゃないかなと、経験談から思いました。
感想2
学校、家族、人間関係、メンタル、セクシュアリティ…小さな悩みという表現はあまりに見合っていない根深く絡み合った問題を抱え、長い間ずっとしんどい思いをしてきたことを受け取りました。その積み重なったしんどさを背負いながら、気の進まない大学と自動車学校に通わなければいけない状況、想像するだけで体がぐったりしてしまいます。あなたがいま癇癪を起こしやすかったり、身体が落ち着かなくなったりするのは、心身の両方が精一杯に「もう限界だ!」とSOSを発しているように私には感じられました。
お酒を飲んだら豹変してしまうお父さんがいたり、精神疾患を持っているご家族を気にしたり、弟と差のある対応をされたり、ずっと笑顔を繕っていないといけないような家庭ではリラックスして過ごすことはできなかったのではないかと思いながら読んでいたので、あなたが最後に「家族仲も良くて、何不自由なく…」と締めていることにびっくりしました。保護者に養育してもらうことは子どもとして当然のことでありますが、ただ経済的に不自由のない状態にしていることが健全な養育の条件であるかというと、私はそうは思いません。たしかに、衣食住が満たされることは生きていくために最低限必要なことですが、人間というのはたとえば昆虫のように、ただご飯を与えて寝床を整えてやればいいというわけにはいかない生物であると思います。いくら衣食住が十分で、物理的には快適な環境で過ごしていたとしても、安心できなかったり、演じることなくそのままの自分でいられない場所では、ストレスを受けてしまいます。それは人間誰しもに生じることだし、人間誰しもに心理的な安全が担保されるべきだと私は考えています。だから、あなたが確かに感じている苦悩は「贅沢な悩みだ」「生意気だ」なんて抑圧するべきものではないと思いました。
最近も、自分の辛い気持ちをそのままの気持ちを受け取ってもらえないどころか怒られてしまうことがありましたが、これは今に始まったことではなく、このようなことが幼い頃からずっと繰り返されていたのではないかと思っています。家の外のことは家族には言いにくく、他に相談できる人もいないとしたら、悩み事を一人で抱え込むばかりだったのではないかとも想像していました。自分の発達特性については何とか訴えられたけど(泣いて頼みこまなければ聞いてもらえないという状況も相当しんどかっただろうと思います)、その裏には夥しいほどの「本当は聞いてもらいたかったけど言えなかったこと」があるのではないかという気がしています。
また、「自分はこうありたい」という姿や態度について、特に身近な人から否定的な態度をされてしまうと心がごっそり削られるような、身体の内奥に氷水を流し込まれるような感覚になってしまう気がします。
私は自分の中にどんな性別も感じられない人で、それなのにいわゆる「女性」と見なされる身体に私という心が入っていて、周囲から勝手に「女性」と認識されるのが不快で不快でたまりません。昔から心の中のモノローグでは「僕」を使っているのですが、これがあまり親しくない人と話しているときにうっかり出てしまわないかいつも注意しているし、今は「女の子らしく」とは言ってこないけれど、それでも親の前では警戒して極力一人称を使いません。「お姉さん」なんて声をかけられるたび、私の心が本来入っているべきだった肉体との現実的な距離を思い出させられます。
奇遇なことにアロマンティック・アセクシュアルでもあるのですが、自認に至るまでは「どうしてみんなと違って恋愛できないんだろう」と焦る気持ちがとても強く、他人にそういう感情を抱けない自分はまるで未熟者のように感じていました。今も時々、恋をしている人、恋愛・性愛という感情が分かる人が羨ましい、妬ましいと思うことがあります。その感情の根源には、自分も他人と同じ経験をしてみたいという好奇心もあるのですが、恋がイニシエーションのように扱われていること、恋愛/性愛の感情が喜びや怒りのように、さも「普遍」な感情とされていること、「恋愛関係」がどんな関係性よりも最上位に置かれるという優位性を持っていることを再認識させられたときに羨望や嫉妬が起こりやすくなります。
なりたい自分・本来の自分を生きたいだけなのに、申し訳なくなったり、自信を持てなかったり、どうしてこんな思いをしなくちゃいけないんだろう。悲しくなっています。
好きなことを本業にしたり専攻にしたりすると、途端にしんどくなって嫌になるという話はよく耳にします。私も読書が好きで、「大学に入れば4年間本をいっぱい読んでいられる!」と思って大学に入った節があります。本当になめてたと思います。今のあなたと同じく、全然楽しくない状態になってしまいました。きっと締め切りがあったり、講評されたり、他人と競わされたりで、自分でも他人と比較してしまったり、自分の好きなように取り組むことができなくなってしまうのが、純粋な楽しさを奪ってしまうんだろうなと思います。しかもそれが自分自身であるというほどの大きな存在であれば、自分を丸ごと見失ってしまったレベルの大きすぎる不全感が生じるだろうと想像しました。
アイデンティティや感情や意思などを含めたそのままの自分を受け入れてもらえた経験がないこと、自分に危害を加える人間とずっと一緒にいなければならなかったこと、大事な人と悲しい終わり方をしてしまったこと(態度じゃなくてはっきり言葉で伝えてほしかったな…と私は思ってしまったのですが、お相手の方も色々難しさがあったのかな)、周りの人の様子を窺ったり、他人と自分を比較してしまうこと、家庭のこと、学校のこと、自分自身のこと、好きなことが楽しめなくなってしまったこと…こうして並べてみましたが、やはりどれもこれもが一人で背負うには重すぎると私は改めて感じています。これだけのものを抱えながら、よくここまで踏ん張ってきたと心の底から思います。でも、いま心を殺しながら無理やり大学へ行って、教習所へ行って…あなたが危惧しているように、きっとこのままでは本当に体が動かなくなってしまうと私も思っています。
教習期限は決まっていて、教習代も安くはないから何としても取らなければという気持ちになるのも痛いほど理解できるのですが、運転は精神的に疲れているときは控えるべきとされるほど精神と直結しているもので、一時でも何とか休めないかなと思ってしまいます。家族に相談できなくても、大学の学生課や保健室、スクールカウンセラーは利用できそうですか?もしまだだったら、ぜひ行ってみてください。高い学費にはその分も含まれていますから、元を取る勢いで利用しちゃいましょう。
本当は、あなたに必要なものは安心できる環境での休息なのだと感じています。けれど実際、なかなかそうすることが叶わないだろうことも薄々分かっています。ならばせめて、日常の中で少しでも心休める瞬間、肩の力を抜ける瞬間、笑顔を無理やり作らないでいい瞬間があってほしいです。ささやかな場ですが、このサイトはありのままのあなたを歓迎します。今回は本音を伝えてくれてありがとうございました。またいつでも来てください。
感想1
高校までの対人関係のこと、親の理解が得られないことなどなど…たくさんの悩みを抱えていることが分かりました。たくさんの悩みでいっぱいになっている様子が経験談から感じられました。
まず、友達付き合いのことについて書きます。
いじめを受け、我慢することがくせになっていたとのことで、今も知らないうちに気を遣うこともあるのかなと思いました。
そんなあなたにとって、高校のときにできた友達はとても大切だったんだろうな…と感じました。本当にその子のことが大好きだったことが、経験談から伝わってきました。
でも、相手を気遣ったつもりの発言がきっかけで関係が悪化し、最後には絶交というところにまでいってしまったのは、本当にその人のこと大事に思っていた分、しんどかっただろうと思います。
障害があるとか関係なく、時には人間関係において誤解やすれ違いから、大きな問題に発展することはあると思います。「それを学びとして捉えよう」と言うのは簡単かもしれませんが、「そうやって立ち直れないときもあるよね」と感じる瞬間が私にはあります。
また、高校生のときの出来事以降、「こんなに傷ついて相手も傷つけるなら、新しい環境で友達なんか作るもんかと思ってました」っていうあなたの気持ちは、個人的に分かるような気がしました。
私もトラブルを起こしたことがあって、そのとき、自分もボロボロになって、相手も傷つけたとき、「もう人と深く関わるのはやめよう」って思いました。「自分は家庭環境が悪かったから上手く人間関係を築けないのかもしれない」と思ったとき、自分で自分に対してレッテル貼りをして、「もういいんだ」「自分が人と関わったら迷惑をかける」って自分に言い聞かせていました。
今のところ私は人と一定の距離を置いています。それは「人を傷つける自分を見たくない」っていうふうに自分を守る側面もあり、必ずしも悪いことではないのだろうなと思います。相手を傷つけたくないって気持ちもありますし、もうこれ以上自信を失いたくないって気持ちもあります。
ただ、時折、過剰に「自分は○○だからダメなんだ」って自分自身に対してネガティブなレッテルを貼ろうとしていることに気付きます。「そう思うぐらいしんどい思いを私はたくさんしたのだろう」という自分の辛さを受け止めたい気持ちと、「このままじゃダメだ」っていう焦燥感や自己嫌悪、そして、どこか諦めるような気持ちが同時に出てきます。
次に、親とのことについて書きます。
経験談を読んでいて、親はあなたの苦しさについてあまり理解がなさそうという印象を受けました。発達障害じゃないかとか親に訴えても真面目に取り合ってくれなかったり、大学や自動車学校に行くのを強制されたり、「死にたいとか言うな」と言われたり…。親も親でいっぱいになっているのかもしれませんが、あなたからしたら、そんな無理解はしんどいだろうと感じます。
「向き合ってほしかったし、一緒に考えるくらいは…してほしかった」ってあなたは経験談に書いていましたが、それは普段我慢しがちなあなたの大切な本音なんだろうなと思いました。でも、そういった本音に気付いた辛さを含めてかもしれませんが、つらいことが多すぎて「心を閉じてしまおう」「感情を殺してしまおう」って感じているのかなと思いました。これに関しては、正直、感情を麻痺させたほうが救われるときもあるよなと感じてしまいます。一方で、感情を麻痺させないと生き延びられないほどの出来事が起きている人間社会にもやるせなさを抱きますし、そういった苦しさを感じてきた一人ひとりの幸せを祈りたくなります。
そして、性別や絵のこと、大学のことについて書きます。自分のなりたい姿になるのは自己表現の一種なのかなと思いつつ、でもそれが社会から要請されがちなものと違うと、それは苦しいだろうなと思います。「女の子らしく」っていう言葉が象徴的な言動なのかなと思います。というか、そもそも「女の子らしい」ってなんだ…とも思いますが…。「女の子らしく」っていうのはたぶん、「髪の毛は長め」とか「スカートを履いている」とか、そういったものを指しているのだろうと推測しますが、「女の子らしく」じゃなくて「自分らしく」をもっと尊重してほしいと感じるときがあります。
一方で、私も「自分ってなんだ?」と思うときがあるので、「自分らしく」とか「個性を出して」と言われても「分からん…」って言いたくなります。私はよくスカートを履いていますが、自分が好きで履いているかもしれない一方で、どこかで「社会から女性と見なされたい」という理由でそのようなファッションを選んでいる可能性もあるのかもしれないな、と経験談を読んで感じました。
確固たる個性(?)を持っている人は少ししかいないのかもしれないし、自分で個性に気付かないのかもしれないし、個性というのは案外個人じゃなくて社会に帰属しているものなのかもしれません。
また、自分も絵を昔描いていたので、「絵を描きたくない」という部分には少し共感しました。描いた絵を大会に出していて、そのときは良い評価をもらえたのですが、良い評価をもらえなかったらしんどかったかもしれません。単純に画力で勝負がつくなら「まあ自分は下手だしなぁ」と思えます。でも、そうじゃないなら自己を否定されたように感じてしんどくなっていたかもしれないです。他にも表現の媒体があればいいかもしれませんが、唯一の自分自身を体現するものだと否定されるのはつらいのかもしれないなとあなたの経験談を読んで感じました。
みんな夢中になれるものを持っているのに自分には何もない、といった感覚をあなたは持っているのかなと私は経験談から解釈したのですが、正直私も自分に対して「何もない」って思います。私はとあるKPOPグループの曲をよく聴くのですが、語れるほどでもないし、そこまでの強い熱量もないと感じています。そういう人もきっと世の中にはたくさんいると個人的には思いたいです。
スポーツ漫画の世界とかでも「夢を持って頑張ること」を大事にしがちに思うのですが、「なんでそんなに夢を持つことを持ち上げるのだろう」と私は感じます。夢を持たなかったら「冷笑?」とか言われそうな気がして、「あんまり夢がない」「夢中になれることがない」って言えない空気感も今の社会にはありそうな気もします。
しんどい状況で生きていてそれどころじゃない人もいるでしょうし、幸せでも夢がない人もいるんじゃないかなと思っています。でもそういう人たちの声は矮小化されているのかもしれません。
そんな生活の中で、頼れる人がおらず、笑顔をつくって生きているあなたを労わりたい気持ちです。「とりあえず、頑張ります」とのことですが、もう十分すぎるぐらい頑張ってきたんじゃないかなと、経験談から思いました。