経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

家族

私の家は、貧困と暴力が全てを支配していた。祖父母と両親、そして私。あとはペットが沢山いた。
私は母の不倫によってできた子どもで、父がそれを知ったのは私が生まれて少ししてからだった。その事実を知っていたはずの私は自分の記憶に蓋をして、20歳になるまですっかり忘れていた。
そんな家庭では殴る蹴る暴言を吐くが日常だった。私と祖母とペットが標的になった。農家の我が家では全員が労働力であるが、働かずにゲームばかりで外面の良い見栄張りの父を、母は恨んでいた。母の「早く死ねばいいのに」を聞くのはいつも私だった。いつしか私も父を恨むようになった。
大人になって一家離散した今でも、暴力の記憶が鮮明に残っている。父が母の目を殴る瞬間を、母が私を殴り土下座させてあの時を、父が祖母を脅したあの日を、全て覚えている。
中でも強烈なのが、高校か大学の頃、夏の暑い日に5人で畑仕事をしていた時の記憶だ。私は母と一緒に作業していた。すると、父がなにか怒鳴り始めた。祖父もそれに応戦していたが、あろうことか父が祖父を殴り倒して、襟元の後ろを掴んで引きずり回した。祖母はそれを見て、足が悪いながら必死に止めようとしたが、祖母もまた怒鳴られ殴られた。私と母は見ているしか無かった。母の気持ちは分からないが、少なくとも私は、殺される恐怖と「止めないと」と思う責任感でいっぱいだった。ポケットに突っ込んだスマホで通報しようとしたが怖くて動けなかった。周りには誰もいない、白昼堂々だだっ広いりんご畑でのことだった。先に帰った私は、恐怖と責任感から来る殺意に突き動かされていた。台所で包丁を握って泣きながら父の帰りを待った。一人の時間が怖くて怖くて、包丁を戻して自室に籠りひたすら泣いた。泣き声が漏れないように枕に頭を押し付けた。一生忘れることのない日だろう。
もう一つ、忘れてはいけない日がある。私が大学に入る前、当時のセンター試験が近づいた頃だった。その頃はもう、家族と話さず部屋にこもってイヤホンをしながら勉強をするのが常だった。ある日突然、父が部屋に押し入ってきて、「本当に大学に行くのか」と聞いてきた。AOで合格していた私は「え、行くけど」とだけ答えた。「そうか」と言い残して父は滅多に行かない居間へ向かった。その直後、居間から叫ぶような声が聞こえたかと思うと、母が部屋に泣きながら転がり込んできた。動揺した私は黙って勉強し続け、少しして母は戻って行った。私のせいだと気づいたのはその後だ。父が通帳を握りしめて母と共に部屋に来た。只事ではないと悟った。聞くと、母の借金が明るみになり、生活が立ち行かないことを父が知ったらしい。父は私の大学進学の為に、祖母を脅して年金通帳を奪い取った。私にそれを見せながら、「こうでもしないと全員死ぬ」と父は言った。「ごめん」と母は言った。私は死ぬことを決意した。母が沢山借金をして生活を回していたのを私が1番よく分かっていた。その借金で私の誕生日を祝ったり、学用品を賄っていたのを知っていた。なのに、未熟で浅慮だった私は、虐待と暴力に塗れた家から出たくて、お金に囚われた今を変えたくて、大学進学を決めた。そんな私のせいで、家族は死の淵に立った。全員の心を傷つけた。
そんな状態が続けば、家族がバラバラになるのは時間の問題だった。母は借金の精算をするために自己破産した。私の奨学金を2年以上使い込んでいたことも発覚した。その後はなんとか暮らしていたが、元々赤字続きで農業収入だけでは生活できなかったこともあり、母は心を病んだ。正確には病みきる直前だった。母は寝込み、誰とも会話をせず、時には過呼吸を起こした。家事は私が全て担った。そんなこんなで両親が離婚することに決まった。安心したのも束の間、父は私に「家に残れ」と言った。父とは血の繋がりはないし、農家を継ぐ気もなかった私に残る理由は無かった。だけど、精神的に疲弊しきっていて、父の説得に流されるまま家に残ると答えた。が、数日後には父から「お前を見てるとイライラしてくる」と、「だから早く出ていけ」と告げられ、私は恋人の家に転がり込んだ。そのまま父とは疎遠になった。最初のうちは連絡を取っていたが、母の引越しと再就職が落ち着く頃に連絡を絶った。もうこれ以上苦しめないで欲しかった。だから、父の様子も祖父母の生死ももう分からない。
一方で母は、種々の手続きを済ませた後引越しした。引越しは、母の幼なじみと、父の友人の男性が手伝ってくれた。気持ちが悪かった。母は父の友人と懇意になったようだった。この女の為に私は壊されたのだと気づいた。私たち母娘は親類とも縁を切っているので、今でも母とはふんわりと繋がりを持っている。少しずつ助け合う形に落ち着くまでは、本当に大変だった。お金の問題が大半だったし、母は大学生だった私に金銭的に頼っていた。当時は母を愛せない自分が何よりも嫌だった。
大人になりようやく家族から脱することができた。だが、家族の事件が終結すると同時に私の精神は崩れていった。張り詰めていたものが弾けてしまい、何度も何度も死のうとした。大学で涙が止まらなくなり、友達に引っ張られて帰ったこともあった。それくらいもう限界だった。
それから数年、やっと心が安全を認識し始めた。新たな問題も発生しているところだが、責任が私を生かしてくれるので、時間をかけてゆっくり処理していこうと思う。もしかすると、不安や恐怖に負けてしまうかもしれない。全てがどうでも良くなってしまうかもしれない。それでも良いと思いながら、私は明日も生きるのだろう。死にたいまま生き続けていく。これが20数年の戦いの結果だ。

感想1

傷ついた日々を思い出しながら経験談を綴ることは、あなたにとって辛いことではなかっただろうかと心配するような気持ちと共に、嵐は過ぎたと確認するような作業だったのだろうかと、あなたの思いを様々に想像します。
あなたが産まれる前から、両親とその家族の物語は始まっていて、一つ一つの選択の理由や辻褄は家族だけに留められた。家族には家族ごとのルールや暗黙の了解があって、世の中の良し悪しとはまったく別の当たり前ができあがっていくことを、自分自身の家族と重ねるように思い出しました。両親の恨み合いの戦場が、あなたにとっては家庭であった。

暴力や暴言は、何度見ても慣れていくことは無く、回数を重ねるたびに自分自身を支配しその恐怖は薄まらない。いつも見ているただ嫌いな父親ではなく、とりつかれた怪物を目の前に人間は太刀打ちできない。いつでも通報してやると、ポケットにテレホンカードを入れて過ごしていた私も一度も公衆電話を使うことはできませんでした。そこにいた誰よりも若いあなたが責任を感じ、誰よりも傷ついたあなたが殺意に飲み込まれず包丁を戻してくれたこと、家族にあなたの全ての人生を奪われなかったことに胸をなでおろした私がいました。

父には父の、母には母の、歪ながらも家族を保つ方法を考えてこなかったわけでは無いと、あなたはどこかでわかってはいながらも改めてそれを感じ、ショックと共に家族への思いが口をついた。不幸になりたい家族はいないはずなのに、これでもかと押し寄せる現実が憎い。家族全員が怪物になる前に、あなたが大学に進学したことは、家族にとって唯一と言っていいほどの間違いのない選択だったのではないかと、率直に思う私がいました。自営業者は守られるものが無く、儲かっている時は親切にされ赤字が続くと自分たちでなんとかしなければならないのは当然で、家庭の中はやり繰りするお金のことばかりで安心できる時間は短くその犠牲に家族はなる。私の母も同じく、離婚し事業で背負わされた借金で自己破産の末祖母の家は抵当に取られました。どんな言葉で家族を語ればいいのだろう、ただ憎いの一言だけではない。あなたが大人になり家族から脱することができたと口にするまでの長い時間、よく踏ん張ってこられたと涙が出る思いです。長い時間をかけて、無理やりとってきたバランスはあなたを揺さぶりながら、自分なりのバランスをつくっていくはずです。太陽を当て過ぎず、傷が疼く日は冷やしてあげて、涙を流す自分が見えたらハンカチを貸してあげて欲しいと思います。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

あなたの戦いの記録を読ませてくれてありがとうございます。あなたの家族の出来事を読み、激しい暴力の連鎖がある状況の中で幼いあなたが見聞きし感じ受けてきたものはどれほどの苦痛だっただろうと感じています。
暴力は、金銭や精神面やさまざまな面での安定の不足と苦境の中で膨れ上がっていく性質を持っていて、得てしてそれらは強い方から弱い方へ、幼い方へと向かってしまう仕組みがあるように思います。
それぞれが安全に、安定したサポートを受けられて、当たり前の生活の実感を持って過ごせたなら、その状況はすこしでも違ったのではないかと思わずにはいられません。でも実際のところ、そのようなサポートの仕組みはいまだにとても不足している現実があると思います。子どもだったあなたにどんなサポートや、場所や人間がいたらよかっただろうと考えています。あなたの感じていることがあれば、聞いてみたいです。

あなたがその家族の状況から抜け出せたことはよかったと思いつつ、それが「ようやく」とあるように大人になるまで放置され続けてしまったことにはやるせない気持ちになるし、なぜ?と思ってしまう気持ちがあります。深刻な状況からやっとの思いで離れた後で体調やメンタルを大きく崩すという状況を私は何度も目にしたことがあり、「張り詰めていたものが弾けてしまい」とあったのも本当に無理もないことだと思いました。
あなたの文章は全体を通してとても理性的で客観的で、自分からもすこし離れたところから、自分とこれまでの経験をつぶさに見つめて言葉にしているような印象を受けました。感情について書かれている部分も、慎重に統制されて書かれているように感じて、あなたはこれまでもかなり感情を抑えて生きてきたのかなとも感じました。
安全を感じはじめているということが書いてあって、あなたがすこしずつあなたなりの実感と経験を積み重ねてきたことを感じています。さまざまな刺激や感覚の中で、揺れ動く部分もありながら「それでも良いと思いながら、私は明日も生きるのだろう。」とすこし他人事みたいに書いてある感覚は、私個人の希死念慮との距離感の中での実感としてもどこか重なる気持ちになりながら読みました。あなたの決意表明みたいでかっこいいと思うと同時に、いまもあなたが戦っていることも感じました。あなたの安全がすこしずつひろがり、優しい時間の中にいられる瞬間が増えていったらいいなと思っています。

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