精神的に辛くなって仕事を辞めて実家に帰り、1年半が経ちました。まだ復帰できていません。
実家に帰った直後は1ヶ月間眠り続けて、その後精神科に通うようになりました。1個目の病院では「医療介入は必要ない」と言われました。その後別の病院にも行って、ASDとADHDとうつ病の診断を貰い、精神障害者手帳も2級で通りました。
貰った診断を、今も疑い続けています。だって1個目の病院で病気が否定されたのに、それを受け入れられずに別の病院を受診して、診断欲しさでもぎ取ったみたいなものだから。主治医に伝えている内容は、何も嘘は言っていません。でも「辛いですアピール」を過度にして、誇張しているような気はしています。
何も、進んでいません。ずっと実家で寝てばかりで、時間だけが進んでいきます。仕事を辞めなければ、こんな焦りも悩みも抱える必要は無かったのに。確かに精神的に辛かった。休みがちになって、働ける時間が減って、仕事しながら涙がボロボロ溢れた日もありました。でも、もう少し耐えたら改善されていたかも知れない状況だったんです。それならもう少し頑張れなかったのかな、本当に辞めるしか無かったのかなって、今でも思います。
それに、わざわざ精神科に行って、医師を変えてまで診断をもぎ取って、貰った診断名で自分をラベリングして、それが回復を遅くしている原因になっているかも知れません。精神科に行かなければ、「大丈夫だ」って自分に言い聞かせて、前を向こうと自分を鼓舞して、そうすれば本当に大丈夫になれるから、もっと早く立ち直れたんじゃないかと思います。
でも、何もしたくなかった。もう前に進みたくなかったし、頑張りたくなかったし、何も背負いたくなかった。ただ「それは辛いよね」って、「もういいよ、もう充分頑張ったよ」って、言って貰いたかったんです。
今は、実家で養ってもらいながら就労移行に通い、ぬるま湯の中で過ごしています。
このままではいけないと思います。でも、もう今までみたいに頑張りたくはありません。今までずっと100%フルスロットルで生きてきたから、30%くらいの出力で生きていきたいんです。無理せず生きられるようになりたいんです。
だけど、「無理せず継続できるペース」って私にとって何だろうと考えたら、週3の勤務で限界なんです。そんなんじゃ生きていける筈もありません。みんなもっと頑張ってるのに、みんなフルタイムで働いて生きているのに。週3で限界ですなんて甘えたこと言って、もっと頑張らなきゃいけないのに。無理なんてみんなしてるのに、無理したくないなんて、誰が許してくれるんですか。何より私がそんな私自身を許せません。
中学生の頃から数年前まで続いていたリスカの跡が、まだ私の腕に残っています。私が頑張ってくれた証、辛かったという確かな証拠で、誇りのようにも感じます。
だけど、それだけ長い間辛かったんです。中学生の頃からもう十数年、間に病んでなかった時期はあったし、生きててよかったと思った記憶もあります。でもまた結局辛くなりました。生きるって辛い。
この先きっと楽になると言われても、信じられません。例え楽になっても、どうせまたどこかで辛くなるんです。生きるって辛いから、生きたくありません。
希望ならあります。もう少し彼氏と一緒に居たい。でも、それだけじゃ生きることの重さを支えるには足りません。
今の私が生きているのは、自殺未遂が余りに苦しかったから。生きてるんじゃなくて、死ねなかっただけなんです。
半年前に私が書いた経験談を読み返しました。今と同じようなことで悩んでいました。何も変わっていません。何もできていません。
半年前より少しだけ休めるようにはなりました。でも休みすぎても、腰が重くなるばかりです。結局いつかはえいやと頑張って、また社会に復帰しないといけません。そのいつかっていつなんだろうと怖いです。もう頑張りたくないのに、何も背負いたくないのに。疾うの昔に、生きることに疲れ切っているのに。
人生100年時代、医療の進歩が憎いです。30代が平均寿命だったという遥か昔の時代なら、まだ「あとちょっとだから」って希望も抱けたでしょう。それなのに100歳を超えても生き続けてしまうなんて。先が余りに遠くて、いつまで頑張り続けなきゃいけないんだろうって、未来を見る度に思考が真っ白になります。
安楽死制度が簡単に利用できる世界になれば、人生の終わりを自分で決めて良い世界になれば、どれだけ生きることが楽になるでしょう。医療の進歩で人類が生きる自由を得たのなら、死ぬ自由だって得られて然るべきじゃないかと思います。
なんて長々と語って結局、頑張りたくないだけなんだと思います。精神科に2箇所も行って診断をもぎ取ったのも、死にたいって思うのも、ただ頑張りたくないだけです。楽になりたいだけだと思います。頑張らない言い訳が欲しかったから、うつ病になったんだと思います。大丈夫だって思えば動ける筈なのに。辛い気になんかなって、きっと気の所為だと思います。
「頑張りたくない」なんて、「楽をしたい」なんて、みんな言ってます。それでもみんな頑張って生きてるんです。私だけ「頑張りたくないから」って仕事を辞めて寝て過ごして、それでどうして許されると言うんでしょう。
きっといつか罰が当たります。いつか私は、するべき努力を出来なかった結果として、仕事もお金も家も人脈も何もない中高年になるのでしょう。そうなる前に人生を終わらせられたら、眠るように消えて無くなれたら、どんなに嬉しいだろうと夢に見てしまいます。そんな事、出来る筈もないのに。
「頑張って夢を掴む」なんて、もう目指したくありません。もう期待も希望も抱きたくありません。疲れるからです。もう「楽しい人生に」とか「目標を持って」とか、そういうキラキラした言葉は懲り懲りです。
だって、今までずっとそれに縋って生きてきたんです。夢を叶えようと邁進して、私なりに努力して、一度は叶えました。就きたかった仕事に就きました。それでも人生は終わらないから、次の夢を叶えなきゃいけないんだと思いました。「もう頑張りたくないな、疲れたな、もう今のままで充分だ」って思った所で、職場の都合で仕事内容が激変しました。せっかく夢だった職に就いたのに、その会社を選んだ意味が無くなりました。
現状維持を目標にした途端、現状維持自体が高すぎるハードルに変わったんです。次の夢を目指さなかった罰だ、出来るだけ頑張らない方向へ舵を切った罰だ、と思いました。結局生きてる限り、死ぬ気で頑張り続けないといけないのかな、全力の努力を続けざるを得ないのかな、って思いました。
折れました。もう夢なんて見たくありません。叶えたくもありません。頑張りたくありません。期待したくありません。大きな希望なんて抱きたくありません。
「頑張らず穏やかに終わる」を願ってしまいます。でもきっと穏やかに終わることさえ、頑張らないと出来ないことなのでしょう。頑張らないと、苦しい未来が待っているだけなのでしょう。じゃあ頑張りたくないと言う私は、その怠惰のツケを未来で払うことになるんです。
彼氏は今の私を見て、「お金のことは僕が何とかする」と言ってくれています。でも同時に、「養う場合、僕は仕事を辞められなくなるし、僕が努力し続けるのが前提になる。それに対してモヤモヤとした気持ちを抱いてるのも事実。」とも教えてくれました。
彼の自由を奪う存在にはなりたくないし、彼の人生を縛るなんてしたくありません。でも彼と対等にお金を稼げるかと言われたら、私には無理です。フルタイムの勤務さえ負荷が高すぎるのに、誰かに寄り掛からずに生きていける訳がありません。
「頼って良いと言ってくれてるんだから、頼れば良いじゃないか」と、外野なら言えるでしょう。でも、そういう事じゃないんです。私だって彼を支えたい、支え合いたい。なのに支えられてばっかりで、それなら私と居ると彼は負担を強いられてばかりで、何も返ってこなくて、それなら私と一緒に居ない方が彼にとって良い筈です。だからそんな状態に甘んじる私自身が嫌なんです。
自分1人の力で生きていけて、楽しそうで余力があって、人を支えることが出来る人に、なりたかった。
出来ることなら、もし彼が倒れても私の一馬力で支えられる人でありたかった。彼の枷にはなりたくなかった。
そんな理想を夢見ながら、現実の私は彼に支えられてばかりです。出掛ける度に、こまめに体力の残量を確認してくれて、適宜休息を取るように促してくれて、メンタルが荒れたら何時間でも話を聞いてくれて、本当に感謝しています。
でもその恩を返せる気がしません。寄り掛かるばかりで居たら、いつか愛想や気力が尽きて見捨てられます。だと言うのに、この先を生きていく為に、経済面でも彼の力を借りたいとさえ思ってしまいます。共働きが主流の今、そんな甘えたことを言うなんて良くないのに。
与えられた恩を返すどころか、もっと欲しいと寄り掛かろうとしてしまっています。そんな不義理な人にはなりたくないのに、私の心の弱さが「楽をしたい」と言うんです。そんな私自身の身勝手さに辟易とします。
うつは治らないとよく聞きます。寛解しても以前のようには戻れない、一生付き合っていくしかない、そう言っている人ばかりです。それにASDとADHDだって生まれつきの特性で、一生ついて回ります。どうやら私は負荷への耐性が低いみたいで、それじゃあ一生、人並みに働けないということになります。
一体この先何をどれだけ諦めて、彼氏にもどれだけの負担を掛けて、私自身どれだけの無理をしないといけないんでしょうか。それだけ頑張っても、外から見れば「怠けてる人」に映るのでしょう。だって週3でしか働かず、人に養って貰って、そんな人はそう映るじゃないですか。
「今まで出来てたじゃないか」「やれば出来るのに」って、何度も思います。実際、やれば出来ます。だって今までもフルタイムで働いてきました。
今もやらざるを得ない状況になれば、きっと普通に働けます。アクセルを踏めば動けます。それは分かっています。でもやりたくないんです。だけど「働きたくない」なんて、みんな言ってる事です。「働きたくないから働かない」という選択を私は今してる事になります。そんな甘えたことをして、駄目だなぁと思います。
だけど先日タイミーで4時間だけ働いてみたら翌日20時間寝込んだので、やっぱり今は「やれば出来る」ではないのかも知れません。それでもやっぱり「やれば出来るのに」って、何度も思います。
今まで2〜3年フルタイムで働いて、メンタルを病んで辞めて、年単位で休んで、それを数回繰り返しました。働くことは出来ていました。でも無理が掛かってたんだと思います。もう繰り返したくないんです。だから無理せず継続できるペースを掴もうとしてるんです。でも、無理せず継続できるペースで働きながら生きていける未来が見えません。
ここ数日は、メンタルが荒れることが減りました。でもその代わりに、疲れて怠くてしんどくて、ぼーっとする時間が増えました。
ベットに寝転がって、ただ天井を眺める日々です。だんだんと自尊心が削れていきます。何かをすれば自尊心もきっと回復する、何かをしなきゃ、そう思いながら、重い腰は動く気配がありません。「何もしたくない」が強すぎるんです。
仕事を辞めなければ、こんな悩みは抱かなくて良かったのに。今すぐにでもまたバイトでも何でも始めれば、きっと元気になれるのに。でも嫌なんです。何もしたくないんです。理屈じゃなくて私の中の何かが、もう嫌だって言ってるんです。
楽に死ねればいいのに。そうすれば生きなくて済むのに。責められなくて済むのに。もう何も頑張らなくて済むのに。これ以上疲れなくて済むのに。何も考えなくて済むのに。そう思います。
死んだら消えるであろう未来の楽しいことや嬉しいことを、惜しく思う気持ちはあります。でもそれを遥かに上回る程に、もう頑張りたくありません。
ただただ、疲れました。
感想1
投稿ありがとうございます。一つ一つの出来事に対してあなたの想いや葛藤が細かく素直に書かれているので、この長い文章を読む中で、何度も「よくやってきたじゃない」と声をかけたくなってしまう衝動にかられました。人生の先が余りに遠くてという話に、寿命が伸びたことで色々な選択肢ができる一方、イメージのつかない、終わりの見えなさから漠然とした不安を抱えるなんていうことも課題の一つであると改めて考えさせられました。
何度も「怠けているだけ」「頑張りたくない言い訳をしているだけ」と自分を責めていますが、読んでいる私はむしろその逆のことを考えていました。頑張りたくないと何度も書かれているのに、その言葉の裏側には、今までずっと頑張り続けてきた経験と時間の長さを感じます。夢だった仕事に就くために努力してきたこと。フルタイムで働いてきたこと。辛くなりながらも何度も社会復帰を繰り返してきたこと。リスカの跡を「頑張ってきた証」と表現していたこと。どれも、決して楽な道を選んできた人の言葉に私は見えませんでした。
また、診断を受けたことも、休んでいることも、「本当は自分が弱いだけなのではないか」と考え続けていて、どれだけ苦しかった出来事を書いていても、最後には自分を責める結論に戻っていってしまうのは、100%頑張る自分を続けてきた長さ故なのかもしれないと思うと、簡単に思考は変えられないなとも思いました。人は必要な時には驚くほど頑張れるものだと思います。けれど、短距離走を全力で走る時の力を100%だとすると、その力を毎日出し続けることは誰にとっても簡単なことではありません。むしろ難しいことがほとんどですし、そう生きていくには必ず他の何かに支障が出てくるものだと思います。「できるかどうか」と「続けられるかどうか」は、実は別の話なのかもしれないなと思いました。
彼氏さんが支えてくれていることに感謝はありながらも、それと同じくらい「自分も支えたい」「対等でいたい」という気持ちも伝わってきました。 人に頼ることは大切だと言われますが、実際には頼る側になることの苦しさがありますよね。私は心の底から頼るというのは案外難しいと思っていて、特にこれまで頑張ってきた人ほど、自分が誰かの負担になっているように感じたり、返せないことに申し訳なさを抱えたりすることがあると思っています。
色々な言葉が書かれていましたが、今はやっぱりまだまだ疲れ切っているあなたが想像できました。今はもしかしたら生きているだけで頑張っているのかもしれないと思うと、これ以上あなたに何かを求めることはできないなと思ってしまいます。どうか少しでも肩の力を抜ける時間があると良いなと祈っています。